シームレストラフィック
ふと、会いたくなることがある。突然、何の脈絡もなく、会いたい、そう思い、そう思った途端、会いに行っている。日常生活を送る時とは違い、会ってどうするか、会えるかどうかも考えず、無計画に、ただ会いに行く。それは、息をするように自然で、それ以外には何も頭に思い浮かばないほど純粋な、想いによった。
幸い、中里は留守ではなかった。平日の深夜、部屋の電気は消えていたが、ドアチャイムを押して、出てこないということもなかった。
「こんばんは」
ぞんざいに玄関を開けた中里に、涼介が丁寧に言うと、中里は眠たそうに目をしばたたかせ、不可解そうに首を傾げて、高橋?、と、喉の枯れが顕著な声を発した。着ているグレーのスウェットには、強く皺が寄っているし、半ばは寝ていたのかもしれない。それを瞬時に見取りながら、ああ、と涼介は頷いた。高橋、それは涼介の苗字だ。縁遠い走り屋同士の関係が、いかに変化しようとも、平素、中里はその呼び方を変えようとしない。
何か眩しそうに顔をしかめた中里は、口を開き、五秒ほど経ってから、何も言わずにそれを閉じて、気だるげに顎をしゃくり、涼介を部屋に通した。
「何か、用か」
電気の点けられた部屋の中央、先に入った涼介は、立ったまま待っていた。そこに、中里が目の前まで来て、同じく立ったまま、そう聞いてきた。
「いや。ただ、お前に会いたくなってな」
短く、涼介は答えた。部屋で、古い解剖学の本の、黄ばんだ紙の乾いた匂いを嗅いだら、ふと、中里に会いたくなった。だから来た。
「……それだけか?」
「それだけだ」
「……そうか」
眠たげな中里は、不可解そうに顔をしかめる。この様子では、頭は回っていないだろう。会いたくなって来た、それだけだ。そして、実際に会えたことによる、優しい充足感に、心身にこびりついていた疲労は、融解したようだった。
「邪魔して悪かった、帰るよ」
これ以上、中里に求めるものは、涼介には何もなく、そう言って、帰ろうとした。
「え」
だが、中里が、残念そうにそう言ってきたものだから、回しかけた体を、涼介は止め、半身の体勢で、中里を見た。中里は、どこかぼんやり見返してきてから、はっとしたように目を大きく開いて、それをうろうろと泳がせた。
「ああ、いや、ああ。気ィつけろよ」
俯き気味になり、唇のあたりでもごもごと言う、その目元が、さあっと赤く染まった。相変わらず、直截的な男だった。それを久々に感じると、より一層感じたくなり、涼介は中里に正対して、改めて見下ろた。
「……帰らねえのか」
言葉を加えず堪能し続け、二十秒ほど経った末に、中里が、苛立たしげに見上げてきた。その鋭い頬にまで、赤は侵食していた。
「そのつもり、だったんだけどな」
帰るつもり、だったのだが、こうして直截的に、欲望を隠そうとする態度を取られると、それを今すぐ、完全に、暴いてやりたくなる。この衝動は、もう、なかったものにはできないだろう。涼介は、自嘲を僅かに含めた笑みを浮かべ、中里の顔に右手をかけた。中里はびくりとして、退こうとする。それを追い、物の置かれていない壁に追い詰め、また俯き気味になろうとする顔を、そっと上げさせた。
「お前……帰れ」
目を逸らしながら、歯切れ悪く、中里が言う。
「帰ってほしいのか?」
意外を装って尋ねると、ちらりとやりきれなさそうな視線が寄越され、すぐに離れた。
「……お前の顔は、卑怯なんだよ」
低く、か細い声だった。答えになってはいない。だが、明らかな羞恥の広がっている顔は、否定をしないことが精一杯の答えだと、主張しているようだった。欲望を隠そうとする中での、その情け深い、欲深い親切に、報いてやらない義理もなかったので、卑怯と言われた自分の顔を、涼介は寄せた。
中里は最初、首をねじって避けようとしたが、頬に当てた右手でそれを制し、その厚く柔らかい唇に唇で触れ、上下を交互に優しく咥えて、ほんの少し、引っ張りながら離すことを繰り返すと、徐々に顔が正面に固定され、口が開き始めた。白い歯の間から、赤い舌が覗いたところで、より近づき、角度を変えて、そこに舌を差し入れた。
「んっ……んぅ……」
歯の奥から出ようか出まいか迷っている、中里の舌を、涼介が硬くした自分の舌で、裏から表までじっくり撫でると、ぎこちなく、それは絡んできて、いつもの防衛のための凄みの失せた、艶っぽい声が上がった。それを恥じるように、同じような熱と硬さとざらつきをもった舌を、中里は引っ込ませようとしたが、構わず口腔の粘膜を、ぬるぬると涼介は舐めていき、中里の舌は結局、奥に留まり続けることはなかった。互いの唾液を攪拌し合う音、快感を堪える中里の声が、次第にいやらしさを増して、涼介の耳を心地良く支配する。その深く交わるキスは、耽溺する価値のあるものだったが、涼介は手を動かすことも忘れはしなかった。服の上から、胸を腰まで撫で下ろすと、中里は軽く身をよじり、すがるように、上腕を掴んできた。その手に必死な力が込められていたため、涼介はそこで一旦、舌を抜いて唇を離し、口を解放した。
「……はっ、はあ……」
大きく呼吸を取った中里が、とろんとした大振りの目で、見上げてくる。うるみのあるそこには、持続する快感がほのめいており、その光景は、涼介の全身、殊に下腹部に、粘ついた熱を呼んだ。急速に、確実に、昂ぶる自分の容易さが、そうさせる中里の魅力が、滑稽に愛おしく、涼介は薄く笑っていた。
「お前の方が、卑怯だな」
呟くと、中里は目に思考の光を取り戻し、睨もうとしてくる。
「何を、お前」
「そんな風に」
言いざま、中里の腰にかけていた右手を、涼介は前へと回し、スウェットの中に差し入れた。下着の上からでも形状が分かるほど、既にそこにあるペニスは張り詰めており、先端の場所を示すように、生地を濡らしていた。
「あっ……」
中里は、腰を引こうとしたらしいが、直後にある、壁に背中を押しつけるだけとなる。涼介は、再びその顔に顔を寄せ、頬へと唇を滑らせて、頬より赤い耳まで辿った。
「誘われると、断れない」
「ひ、いっ……」
下着の塗れた部分を擦りながら、耳に囁くように言うと、中里はびくりと肩と腰を揺らし、小さな悲鳴を上げた。だが、上腕を掴んでくる手に力が込められると、声はいつもの低さを取り戻す。
「誘って、なんか」
「いるさ」
涼介は、はっきりと耳に吹き込み、下着の中に手を入れ、中里の、反り立っているペニスを直接掴んだ。
「キスだけで、勃起するくらい、俺が欲しいんだろ」
「……ッ」
自惚れで言っているのではない。意地悪で言っているのでもない。ただ涼介は、感じたことを、当たり前に言っているだけだ。そうやって誘われると、断れはしない。中里が、懸命に隠そうとする意地汚い欲望は、涼介の、潜むしかしていなかった欲望を刺激する。偶然の接触で、初めてそれを引きずり出した時から、涼介は中里を、そう誘わせずにはいられなくなったのだ。
膝の上まで、スウェットも下着も追いやり、露出させた中里のペニスを、右手でゆっくり擦りながら、左手で肌着の下、汗ばんでいる胸を、同じように撫でていく。
「……はぁ、は、あ……」
中里は、背中に手を回してくると、頭を涼介の肩に押しつけ、熱い息を吐いた。胸を数度、手のひらで撫でただけで、中里の乳首は硬く尖った。それを、人差し指の爪で引っかくと、ひっ、と中里は小さな声を出し、肩の中でたまらなそうに頭を振る。そのいじらしい仕草は、涼介の胸を、甘くくすぐった。
「中里」
甘い刺激に誘われ、名前を呼ぶだけで、質量が失せたように、体も心も軽くなり、笑い出したくなる。
「高橋」
くぐもった声で、切なそうに呼び返してきた中里が、涼介の背中を掴んでいた手を、腰に下ろし、ベルトにかけた。金属のぶつかる高い音が小さく響き、腰回りは物理的に軽くなる。もう限界が近いのだろう、そういう時、中里は自棄になったように、積極的に動き始める。だがその動きには、捨て鉢な荒々しさよりも、切実な注意深さがあり、涼介は微笑む他ない。
中心に触れられる前に、涼介は中里の両手を取り、肩の上、壁に追いやって、間合いを取った。涼介の肩から離れた中里は、赤く濡れた顔を、怪訝そうに、焦れったそうに歪めてから、そうする自らのはしたなさに気付いたように、恥ずかしげに目をつむった。その姿も血液の流れを良くするものだが、これ以上笑わせられると、何もできなくなってしまう。キスで、愛くるしい動きの邪魔をしながら、涼介は履いているチノパンを、下着ごと太ももまで下げ、左足で立ちながら、右足だけ抜き出した。上は黒のハイネックを着たまま、下は四分の三ほど、直に刺激を与えていないのに、勃ち上がっているペニスも含め、露出している状態は、自分では見えないものの、何て格好だ、と下品に思うが、動きやすさには代えられない。走り屋としては何もかも剥き出しな中里が、この関係にあっては隠そうとする、下品な情欲を暴くためには、恥も躊躇も無用の長物で、涼介は中里の肩を壁に押しつけ、足を適切に開くと、晒した自分の股間を、躊躇せず、中里のそこに押し付けた。
「んうっ……」
痺れるような刺激が、静かにしていたものに加わり、互いの口内に、互いの声が響く。その終わりに、唇を離すと、中里は、唐突な行為への驚きと、恍惚を反映させた顔を向けてきた。それを涼介は満足に見ながらも、再び腰を動かした。
「あっ……あぅ、う」
顎を反らした中里が、びくびくと肩を揺らし、腰も揺らした。下に見えるその、ペニスを素早く擦り付けてくる中里の動きときたら、互いの体液のみでまかなっているとは思えないほど滑らかで、ずっと見ていたいと思えるほどに淫らだった。それが不意に、ぴたりと止まり、首の筋肉を失ったように、中里が俯く。だが、おそらくその目の先にある、涼介の勃起したペニスと、それより僅かに大きく張った中里のペニスが、変わらず密着している卑猥な光景を、涼介とは違い見ていられなかったのか、中里はすぐに顔を跳ねるように上げると、また淫らに腰を動かして、艶かしく喘いだ。
「……あッ、あ、あ……」
斜めを向いた中里の、耳の下から鎖骨まで、隆起した首の筋が、汗で光沢を帯びた肌に、僅かな影を作り、ぴくぴくと動く。誘われるように、影に沿ってそこを舐めると、その刺激を堪えるように、背中を抱かれながら、それを求めるように、ペニスを擦り付けられる。触れ合っている部分にだけ加わる半端な、だが強烈な刺激は、中里に焦らされているようで、涼介の快楽を際立たせた。こんな風にされるだけで、限界へ追い込まれてしまうのは、相当だろうと思う。相当、この男に、参っている。
「……いいぜ、すごく」
首から顎の骨、耳の軟骨を、立たせた舌でなぞり、吐息と共に、想いを込めて言うと、中里は涼介の耳元で、何とも可愛らしい声を上げ、ぎゅっと抱きついてきて、熱心に腰を揺らした。弾くように押し付けられたその瞬間、射精を近くに感じ、涼介はその体を、左手で抱き返しながら、右手で互いの亀頭を覆った。それを包むようにして、ぬめりを分け合うと、強い快感が神経を突いたのは、中里も同じだったのか、腰の振りが激しくなった。
「……はぁ、は……ぁ、あっ、いッ、いくぅ……」
中里の扇情的な声が、極まりを表しながら、りょうすけ、と呼ぶ。その、無限に特別な幸福と官能に、押し流されることを防ぐのは、涼介には不可能だった。腰に溜まっていた淀みのようなものが、ペニスから射出され、手のひらに二人分の精液がほとばしり、指の間から漏れて、皮膚にまつわる。その流動が止まらぬうちに、背を掴んでくる中里の手が、ずるりと落ちる。それに従って、床へ下がろうとする中里を、涼介は支えた。左手で腰を抱き、互いの精液に塗れた右手で、汗にじっとりと濡れた尻を、掴み上げる。
「中里」
ぐったりと寄りかかってくる、呼吸も覚束ない中里を、優しく呼び、そのこめかみに、微笑みながら労わりのキスをして、涼介は、続きをしようか、と囁いた。
(終)
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