荒野に進む
端整な顔立ち、という言葉が、これほど似合う男もいなかった。切れ長の目は、線で描いたような二重で、顔貌の骨組みは、まったく歪みを感じさせないものだった。色白で、肌は少し、乾燥気味に見えるが、それも欠点というほどではなかった。とかく、美しい男だった。
だが、見ていたいと、見続けていたいと、思うほどでもなかった。
触れたいと、思うほどでもなかった。
「お前は、俺のことが、好きだろう」
だから、まったくの疑いを持たない調子で、そう言われても、中里には、異国の言葉を聞いているようだった。理解が、できなかった。意味を、自分に、浸透させられない類の、話だった。
「いや」
出した声は、かすれたが、言い直しはしなかった。
「そうか」
男は、否定されたことも、気にしていないようだった。
「ああ」
中里は、水の入ったグラスを見た。汗をかいている。自分の手も、汗をかいていた。理解ができないことに、恐れを、抱いているようだった。
好きではないと、否定するほどでもなかった。
この男を、見てたいとか、この男に触れたいとか、好きだとか、そういうことでなく、ただ、この男と話をしたかった。車の話、走りの話、チームの話、生活の話。
否定するほどでも、なかった。だが、肯定しようとは、思わなかった。
手のひらが、汗で湿っている。
「なあ」
声をかけられて、顔を上げない理由もなかった。男は、相変わらず、美しい顔をしている。その顔に、何か、均衡的に、危ういものを含んだ、表情があった。
「永遠の愛も、まず、疑うことから始まるんだぜ」
手のひらが、汗で、ぬめっている。男は、綺麗に充血している目で、中里を見ている。中里は、男をただ、見返した。
「だから、疑ってみようじゃないか」
男は、中里を見続けていた。中里は、一旦男から目を逸らしてから、唇を舐め、再び男を見返した。
「何を」
聞いた。
「俺と、お前をだよ」
男は、そう言って、唇と、その周囲の筋肉だけを、動かした。美しい顔だった。醜さすらも美しい顔だった。それを、中里はただ、見返していた。
(終)
2007/11/30
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