妙義ナイトキッズにおける一つの議題〜高橋涼介は童貞か否か〜



 秋も深まるあまりに紅葉の季節も過ぎ去った頃、妙義山に集まる走り屋たちは冬に備えつつ笑えそうな事態を探していたが、栃木の皇帝が主要防塞を破壊していったことも最終防衛線を赤城の殿様高橋涼介が守り抜いたことも、我らがリーダーっぽい存在である中里毅が久しぶりにバトルに勝ったことも、何だかもう遠い過去の話となってしまって、ギャラリーの女性をかかさずチェックし下ネタに花を咲かせたところで、一発爆笑の話題には欠けた。
 何分リーダーっぽいお方が走り屋なんて走ってナンボ、という正論をきちっと掲げる律儀な彼女のいない男であるものだから、ヤンチャなことを見つかると厳しく注意されたりして、更に最近は秋名のハチロクだの交流戦だのいろは坂の皇帝だの箱根の雷さまだの何だの色々な事件が切れ目なく起こっていたものだから、走り屋集団妙義ナイトキッズの面々のおのずから話題を作る技術は劣化していた。
 しかし、元々火のないところに煙を立てるのが好きな人間が組んでいるゆえに、一度その力をふるえる状況ができると、走り出した車のごとく急には止められないもので、「何か最近つまんねえよなあ」と誰かが呟いたところ、そうだなあと賛同する人間が続々と現れて、あれよあれよという間に話は盛り上がる。
 その渦中に図らずしもいた庄司慎吾は、別に最近つまんねえとも感じていたわけではないので、ぼんやりと「やっぱトヨタの株は買っとくべきだ」「いやいやブリヂストンだよ」「株じゃなくて今は金だよ金」「車に金箔って貼っつくもんかな」「いやそこは全部金メッキだろ」と言ってる奴らの会話を聞いた。
「お前よお、車キンキラキンにしたってしゃーないべ」
「そうかァ? 車はむしろキンキラキンでこそ車っぽいだろお」
「いやいや、そこはシックにダークにいかねえと、女にモテるのはいつだってちょっとクールでちょっと悪い感じの奴だろ」
「黒か? ダークか、ブラックなのか!?」
「俺憧れんのはあれだな、完全ホワイティな感じだな。もう真っ白けっけ、キレーに磨かれてんの」
「あー、でもあれ汚れ目立つじゃん、それにケッペキそーな感じがしてよー、ワイルドさが足らんで」
 各々好き勝手に喋る中、「白といえばァ、FCの高橋涼介だろォ!」、と一人が目立ちたそうに叫び、あー、そういやそんな奴いたなあ、と皆思い出した。
「タカハシリョースケね、あれは確かにケッペキそーだな」
「ゼッテーあれだぜワイシャツとかアイロンかけてねーと着ねーんだぜ、そんで少しでもシワあったら『こんなもん着れるか!』ってお手伝いさん殴るんだぜ」
「こえーなタカハシリョースケ、絶対君主だな」
「それでもああいう奴がモテんだもんな世の中」
「まあ顔がアレだし? 俺ら一般ピープルとは遺伝子が違うんだよ、遺伝子」
「遺伝子レベルの話かよ、グローバルって感じだな」
「あーもーあれなら女ともいっぱいヤッてんだろうなあ、酒池肉林だよなあ」
「ってかマジ入れ食い状態っぽくね?」
 変態プレイくらいお手の物って感じだよな、スカトロまで許されんじゃね、俺があいつだったら千人斬るぜ絶対、だの何だの夢と股間を膨らませる奴らの間を縫って、まああれで童貞だったらマジ驚くよな、と慎吾が呟くと、「驚くなんてもんじゃねえだろ」とすぐさまツッコまれた。
「あれの人気すげえだろうが、こっちのギャラリー来てるくせに話してる女いやがんだぞ、しかもそういう女に限っててめえのツラを鏡でご覧になってからお話あそばせくださいませって奴なんだぞ!」
「そうそう、お前明らかに地球人じゃねえだろって奴に限って、俺らのレベルがどーのこーのと言いやがる」
「タカハシリョースケに比べたらあ、月とスッポンみたいなあ、っててめえの顔がスッポンだろうが!」
「そういう奴でも俺らにゃヤらせてくんねーんだぜ! スッポンのくせに!」
 自分の顔は棚に上げて一部違う方向に憤慨している奴らとは別に、タカハシリョースケの話だけで濡れる女もいるんだろうなあ、ヤられるモーソーとかしてんだぜ絶対、などと妄想を口にしている奴らがおり、「そりゃねーだろ」という現実を見ている奴のからかいに、「夢くらい見せろよ!」と本気で怒鳴り返していた。
「大体タカハシリョースケなんて3Pくらいやってんだろ! そんな奴なら女だって股開くんだよ! あの淫乱売女のメス豚どもめ!」
「いやお前が怒る基準が分かんね」
「まー赤城の白い彗星だしなー」
「連邦かジオンかはっきりしろってな」
「連邦だろ、RX-7だし」
「じゃあやっぱ正義のヒーローじゃん、ありえねー、ラブホで4Pかよ」
「あー俺も三人の美女に至れり尽くせりされてーなー」
 一部が妄想を既成事実にしていると、「おい、何くだんねえこと話してんだ」、と水を差す男が現れた。慎吾は気にせず、まあそうだよな、と一人頷きつつ言った。
「いくら車以外どうでも良さそうな感じでも、毅じゃあるまいし童貞ってこたねえよな」
「ああ? 誰が童貞だ誰が」
 予想通り中里は眉を大きく上げたが、他の奴が「くだんなくなんかないですよ!」と顔を真っ赤にして怒鳴ったので、慎吾は追及されぬまま終わった。
「タカハシリョースケが童貞か否かということはですよ、俺のようなこれまでの人生において女子との接触がまったくなかったような人間からすると重大なことなんです! あそこまでよりどりみどりでもできないものはできない、それは大いに我々童貞に夢を与えます! ですから訂正してください中里さん、これは多くの人間の人生に影響を与える有意義な問題であり、くだらなくなんかまったくないと!」
 鬼気迫る様相で詰め寄られた中里は少々怯えつつ、あ、ああ、悪かった、くだらくなんかねえ、と訂正していた。「まーでもありえねーっぽいけどなー」、とそのやり取りもどこ吹く風で眺めていた奴が言い、そうだなあ、と他の奴らも同意した。
「あれならヤってねえってかむしろ逆レイプされてるくらい考えなきゃなあ、ダメじゃねえか」
「逆援交みてえな?」
「まあ女が放っとかねえやなありゃ、将来有望だもの」
「将来医者だっけ? でも今医者も給料良くねえんじゃねえの?」
「良くねえったってお前、日雇いドカタよりゃよっぽどいいだろーよ」
「でもよくこんだけ走り屋で有名になってたくせに、捕まんねーよなァ、あいつ」
「そりゃ医者だからだろ」
「親が?」
「いや、そこであれだよ、大物議員とか警察官僚とか女のそういうすげえのを、カラダでトリコこしちまってんだよ! マジで!」
「マジで!?」
「いや知らねえけど」
 うおお何か俺興奮してきた、と一人が叫び、でもタカハシリョースケネタにすんのも何かなあ、と一人が沈痛な面持ちで言い、だからお前らくだらねえ話をしてんじゃねえ、と中里が事態を収拾しようとし、「くだらねえって言わんでくださいよ!」とさっきの奴に怒られた。他の面子がその混乱の隙に、「じゃあ俺経験済みに百円」「じゃあ俺も」「俺二百円」「俺五十円」と偏りまくりの賭けを始め、えー、と集計し出した奴が不平を言った。
「みんなヤリチンタカハシリョースケかよ、オッズやべえよ、誰かチェリーボーイタカハシリョースケに賭ける奴いねえ?」
「だって普通に考えて、二十二だかそんくらいで童貞ってのがキツイだろ」
「まあそんくらいになりゃあソープくらいにゃ連れてかれたりすんよなあ」
「金払ってでも捨てたがるもんだよな」
「現実的なこと言うなよなー、まあ俺も肉欲の日々に百円」
 金額をまとめていた奴までそう言ったところで、それじゃ俺は童貞に五百円、と慎吾は片手を上げた。おお、さすが天邪鬼、とざわめきが起こり、じゃあ俺もドーテー保持に百円、俺も俺も、と続く奴らが現れて、その流れに気付いた中里が「そんなことで賭けやってんじゃねえよ!」と怒鳴るも誰にも相手にされず、そして宴もたけなわになり、一人がぽつりと疑問を漏らした。
「で、どうやって確かめんの?」
 しばらく沈黙が広がり、各々顔を見合い、何となく小声で言い合った。
「……テレパシー?」
「いや受けらんねえべ」
「……直接聞く?」
「……しかねえよな」
「でも誰がだよ」
 誰がって、と答えかけ、再び各々顔を見合い、そして最終的に一人の男の顔を見た。集団に見られた中里はぎょっとし、何だ、何でそこで俺を見る、とそのままの問いをし、いやー、とそれぞれが好きなように答えた。
「ほら、適材適所?」
「ケースバイケース?」
「割れ鍋に綴じ蓋?」
「いやほら毅クン、やっぱ最後に出てくんのはアレでさ、大元締めじゃねーと」
「こういう危険な時こそ頼れる男の出番っしょ」
「だからやっぱねえ、中里じゃないと」
 ねえ、と頷く野郎どもを見、中里は深いため息を吐いて、俺はやんねえぞ、と顔の前で右手を振った。そこを何とかお願いしますよー、とへらへらした奴がせがんだ。
「俺らが行ったら絶対第二次群馬戦争の始まりっすよ、それはさすがにやべーし」
 そもそも行くんじゃねえよ、という中里の指摘も無視し、「おお、今年で終わるかどうかも怪しいよな」、と賛同する者たちがわいて出て、「総力戦になるだろうな」、と慎吾も言葉を入れた。
「だよな、やるなら徹底的に叩き潰すってのが向こうのポリシーだろ」
「俺たち平和人と違って凶暴だからな向こうの人は」
「そうなったらやべえどころの騒ぎじゃねえっすよ、俺たちの人生がメタメタにされちまう」
「容赦ないぞあいつらは、法律なんて知ったこっちゃねえって顔だからな」
 ううんうんと頷き合っている真剣な奴らの勢いに押されたように、中里は再び大きくため息を吐き、お、もう一押しだ、と思われてるとも知らず、仕方ねえな、と譲歩していた。
「分かったよ、つまり高橋涼介が童貞かどうかを確かめりゃあ、お前らの気が済むんだな。ただし賭けは成立させねえぞ、人のプライバシーをもてあそぶのは見逃せねえ」
 えーそんなー、と棒読みのブーイングを睨み、今分かるか分からんが、と中里は携帯電話を取り出した。ん? と慎吾は首をかしげた。
「毅お前、高橋涼介の番号知ってんのか?」
「交流戦の時に交換したんだよ。話、詰めるのに連絡取れねえと厄介だろ」
 ああ、と頷いたものの、あれ、何だ、と慎吾が違和感を得、話に矛盾はないことを確かめているうちに、中里は電話をかけていた。
「……あ、よお、涼介か? ああ、俺だ……バカ野郎、俺が好き好んでお前に時間費やすかよ、お前のシンパじゃねえんだぜ」
 さあどっちだどっちだと待ち構えている奴らの間に、んん? という疑問の波が一挙に広がった。そして慎吾は違和感の正体に気がついた。電話のかけ方の自然さが、交流戦以来に会話するのだろうと早合点していたため、しっくりこなかっただけだ。そうかそうか、と納得し、いや待てよしかしこれはこれで、と中里の声だけを聞いているうちに同じ種類の違和感を得た。
「あ? 何だって? いや、予定はねえけど……その日、確か雨降るぞ。ああ、天気予報で見た。どうかな、一日ずれりゃあいいだろうが……水族館? そりゃまあ興味がないわけじゃあ……まあ、いいが……いやお前そうじゃねえよ、一つ聞きたいことがあってな。うん。…………そんなこと知ってどうすんだ。俺にそんな冗談言うくらいなら他の奴に言ってやれよ、ったく。ああそう、で、お前って童貞か? あ? 何? いや別にお前が童貞だからって俺には関係ねえけどよ、ちょっと気になったというか……不都合もねえだろ? は? ああ、うん? ……何言ってんだ? ……分かんねえよ、意味が。いやいいけど……ああ、げ、マジかよ、早すぎだろお前……俺高校卒業する前に何とかだったのに……うるせえよ、指摘するな。それだけだ、じゃあ……あ? ああ分かったよ、日曜だろ? 多分な、じゃあ」
 ぶつりとあっさり電話を切った中里は、何だか微妙な空気になってしまっている奴らを見、何となく不思議そうな顔をしつつ、中一の夏に同級生の姉貴とだとよ、と言い放った。ご宣託に「えええええ!」と皆一斉に声を上げ微妙な空気も一蹴し、「げえマジかよひでえサギだサギ」「そんな早く捨ててんじゃねえよ勿体ねえ!」「いやまあ小学生じゃないしそんくらいなら普通な気もするような」「でもシチュエーションエロゲっぽくね?」「そんなエロゲがあったらやりたくねえよ」「え、俺やりてえけど」「天狗だ天狗、天狗の仕業だ!」と好きなように発言していたが、慎吾は携帯電話をポケットにしまった中里に、お前さ、と恐る恐る聞いた。
「高橋涼介と仲良いのか?」
 あ? と大きく顔をしかめた中里は、どっからそんな話が出る、と心底訝しそうに言った。童貞かどうか聞ける時点でそうじゃねえかと思いながら、いや、と慎吾は慎重に言葉を続けた。
「だって、日曜水族館行くんだろ」
「何で知ってんだ」
「話を聞いてりゃ誰でも分かる」
「ああそうか、いや、たまには気分を変えてとか何とか言ってたが、本当に行く気があるのかねえのかはな。この前は結局途中で隣で寝やがるから、ろくに走りもしなかったし」
 さらっと喋る中里を見るにつけ、慎吾の心中には『これは聞かなかったことにするべきだ』という確信が生まれたが、各自の童貞喪失エピソードについて盛り上がり始めた奴らほどにかるーく割り切ることはできなかったので、もう少しだけ聞くことにした。
「ってことはお前、あいつとよく出かけてんのか?」
「どういうことで、俺があいつとしょっちゅうどっかこっか出かけなきゃなんねえんだ。たまに走りについてアドバイスを貰うだけだよ」
 中里は怪訝な顔を崩さない。慎吾はううむと腕を組み、深入りすることの危険性をビンビンに感じ取り、最終的に『これはそういうことにするべきでやっぱり聞かなかったことにしよう』という結論を出し、そうか、と当たり障りのない相槌を打った。そうだ、と中里は頷いて、聞いてもいないのに話を続けた。
「あいつの言うことは分かりやすいからな。名が通るほどに速いだけはある。正直何で俺にそうまで時間を割いてくるのかって思っちまうほどだぜ。暇でもねえだろうに、けなすためってんでもねえし。まあああいう奴の考えることってのは分かんねえな」
「……分かんねえ方が、いいんじゃねえかなあ」
 素直な感想を漏らすと、何? と中里は分かっていないように慎吾を見た。実際分かっていないだろう、っつーか分かってたらこええ、っつーか俺も分かりたくねえ。思いつつ、いやまあ世の中努力が報われるとは限らねえよな、と慎吾が曖昧なことを言うと、まあそうだろうが何だイキナリ、と中里が言い返してくるものだから、何でもねえよ何でも、と言い切ったのち、まああれだ、と魔が差してつい言っていた。
「後ろには気をつけろ」
「……は?」
 よしオーケー俺は忠告したからもう関係ねえ、と慎吾は握り拳を作り、後ろという言葉を背後から刺されるという意味に解釈している中里を放ると、好きな童貞喪失シチュエーション談義を始めた奴らに見つからないように、しかし堂々と走りに戻った。
 そうして赤いシビックが出て行ったり中里が防刃チョッキについて考えていたりしているうちに、激論を繰り広げていたメンバーたちも我に返りかけたが、過ぎ去った議題を扱うことに背後から金属バッドで殴られそうないやーな感じを覚えたため、見ざる聞かざるを貫いて、結局慎吾が賭けの代金を払うことは、なかった。



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