企図浸漸
「あいつは所詮白馬の王子様を気取ってるが自分の妄想世界でしか生きられない自意識過剰なお嬢様みたいなもんだ」、高橋涼介は中里を厳しく見据えながら朗々と言い、かと思えば一般的な大の男は持ち合わせないであろう可愛らしさを発しつつ、小首を傾げた。「でもお前に対しては王子様になりえるか?」
中里は十秒ほど言葉を失った。それはその高橋涼介の絶妙な首の傾き具合、不思議そうな表情を作る端整な顔に漂う胸を貫くほどの可愛らしさのためでもあったが、そもそもの発言を理解しがたいがためだった。結局約十秒経っても理解しがたいままだったので、中里は失った言葉をわずかながら何とか取り戻した。
「……何だ、そりゃ?」
「お前が聞いたんだろう、京一はどういう奴かって」
首の傾きを消し、漂っていた可愛らしさも消し、端整な顔に苦みを利かせた高橋涼介が言った。その高橋涼介の雰囲気の変じ様とそれに左右されない言い分の妥当さは、中里を混乱させた。理解しがたいことが多すぎて、頭がぼんやりし始めて、言葉は再び失われ、口を半ば開けたまま黙るしかない。そんな呆けた中里を、高橋涼介は優しい視線で包み込み、柔らかい声で復帰を促した。
「つまり、あいつは事実より理屈を優先する自惚れ屋だ。自分のことを理論家だと思っていながら事実によらない想像ばかりしやがる、勘違い尽くしの勘違い星人だ」
しかしその視線も語調も発言内容の辛辣さからはかけ離れていて、余計に中里を混乱させるのだった。頭はぼんやりし続けて、言葉は取り戻せない。厳しいかと思えば優しくなり、可愛らしいかと思えば男臭くなり、理解のしがたいことを言ったかと思えばやはり理解のしがたいことを言う、高橋涼介という男のためだ。このまま呆けていては何もできなくなってしまうので、中里は一旦、高橋涼介を理解しようとすることを止めようと決めた。そうしてしまえば、高橋涼介が須藤京一を『勘違い星人』などという子供じみた言葉で括ったことでも、『お嬢様』だの『王子様』だのとどう考えてもあの厳つい風貌に似合わない言葉で表したことでも、カルチャーショックは生じない。差異は差異で放っておけば違和感も放っておけるものだ。
「分かったか?」
相変わらず端整な顔に、中里の理解のほどを確かめようとする慎重さを浮かべながら、高橋涼介は問うてくる。
「ああ、いや、いやじゃねえ、分かったぜ。ありがとよ、高橋涼介。参考になった」
とりあえず高橋涼介にとっての須藤京一が、勘違い尽くしの男であるらしいことは何となく分かったので、中里は説明の感謝を笑みで表しつつ早口に言い、帰ろうとした。須藤京一のことを高橋涼介に聞くなど、双方の事情を考えれば赤城山を走るついでですることではなかったと、中里も今更ながら気付いたのである。これならば地元で負かされた相手とはいえ、高橋啓介と遭遇した方が精神的には楽だったろう。少なくとも高橋啓介を心底理解しがたいと感じたことはなかった、しかしこのアニキはいけない。言うこともやることも、何もかもが理解を越えた世界での出来事ながら、肉体には確実な刺激を反映させ、中里に多大な混乱をもたらすのだった。これはもう情報を提供してくれた礼だけ言って、妙義山に引き返すに限る。そうして中里が回れ右をしようとした時、高橋涼介は低い、他人の動きを制する威力のある声を発した。
「感情の処理に対象者以外の他人を介在させてもろくなことにはならない、そのくらい、お前にだって分かるだろう、中里。個人間の好奇心は個人間で解消してくれ。それがベターだし、俺はあいつの個人的なことには関わりたくもない」
中里は動きを制されたまま、毒々しく語る高橋涼介の冷徹な顔を見ていたが、差異を差異のまま放っておけば違和感も放っておけるもので、肉体に刺激を受けても、理解しがたいという理由で混乱することも、言葉が失われることもなくなった。
「俺もそうか?」
だがしかし、失われなくなったからといって、浮かぶ言葉すべてがその場に相応しいものとは限らないのであることに、中里は声にして、高橋涼介の不思議そうな表情を作る端整な顔が再度胸を貫くほどの可愛らしさを発したところで気付いた。時既に遅し、出した言葉は戻らない。早くこの場から去るためにも、中里はごまかしにかかった。
「いや、何でもねえ。お前の言う通り、それがベターだから、俺は帰るぜ」
「だから、ろくなことにならなかっただろ?」
再度回れ右をしようとして、再度高橋涼介の声に動きを制される。その顔には男臭さが舞い戻り、中里は息苦しさを忘れるほどそれに見入り、言葉もつかの間忘れ、だが失いはしなかったので、すぐに思い出した。
「ろくなこと?」
「そうじゃないからさ。俺はお前にろくなことをしないんだ」
薄い笑みを唇で作り、その唇から太い声を高橋涼介は出した。その美しい顔と美しい響きを受け、中里は息苦しさも思い出し、代わりに思考を忘れた。
「まあ、潔癖ぶってるがあいつもお前みたいな奴は内心歓迎しているはずだ。一度アタックしてみるといい、あいつは確実に、落ちるぜ。俺が保証する。そうなったとして、俺はやはりお前にろくなことをしないけどな」
高橋涼介は美しく笑んだまま、美しい声を発した。その美しさは永遠のように嘘らしかったので、息苦しさは消え、中里の思考は取り戻されたが、それは幾分前のものだった。これはもう情報を提供してくれた礼だけ言って、妙義山に引き返すに限る。
「そう、そうだな。助かったぜ高橋、じゃあな」
素早く頷き回れ右をしようとしても高橋涼介の声が聞こえることはなく、中里は何にも動きを制されずに済み、愛車に乗り込んでほっとしつつ、少しばかり何かを惜しく感じつつ、妙義山に引き返した。その後、高橋涼介のろくなことにならないという正確な意味を中里が把握したのは、地元に帰り数日経て、一旦止めた高橋涼介を理解しようとすることを再開し、結果知らずのうちに須藤京一にアタックのようなものをしてしまったと気付いてからであった。
(終)
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