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毎日毎日朝から晩まで、雨はぐだぐだ降っている。峠もウェットコンディションの連続だ。こうなりゃドライが恋しくなってはくるもんだが。
「そうそう、毎日嫁さんの手作り薄味和食ばっか食ってっとさ、たまーに添加物超盛りのブラック系外食とか食いたくなるんだよなあ」
うちのチームの中じゃあ割とまともなツラしたリアル嫁持ち野郎に自信満々でそんな下らねえ例えを披露されると、猿人ヅラした年齢イコール恋人いない歴の童貞野郎がそいつに後ろ回し蹴りを食らわせようとしたって、どうぞどうぞと思えもすらァな。別に俺は童貞でも結婚に夢見る奴隷志望人でもねえけどよ、ただでさえ降るかやむかハッキリしろって小雨のせいでじめじめ鬱陶しいってのに、そんな鬱陶しい自慢野郎を擁護する気が起きるかよ。ねえよ。
「うわあ、今のよくかわしたな、廣田」
「顎先すれすれじゃねえか」
「あの反射神経意味分かんねえ、理系のクセに」
しかしまあ、そんな心和まない光景見ながらどうでもいい感想言い合える奴らと一緒にいるのは、鬱陶しいってわけでもない。服が湿って重くなるような天候の平日の夜、わざわざ峠に来るような走り屋は、どっか似たような感覚を持っている。同じチームのそういう仲間と、他にお客さんもいねえ山の駐車場で優柔不断な雨にさらされながら、どうやって新しいエアロパーツ用の二桁万円ひねり出すかって話をするのも、ま、悪くもねえってこった。
ただ、ここは峠だ。出入りご自由、公共の場。内輪の世界が永遠に続くなんてことはありえない。つまり、いくら平日、夜、雨って鬱陶しいコンボが決まってたって、他に誰もいらっしゃらないってことも、ありえない。
で、その時は童貞泰士が嫁持ち廣田に前蹴り飛ばす構えに入ったとこで、それが現れた。
湿った黒い空気を切り裂くような白い車だ。ポルシェのパクリかってフォルム、リトラクタブルヘッドライト、金垂れ流してるエンジン音。マツダ色強すぎてマニアにしか乗りこなせねえだろって車、二代目RX−7、FC3S。するっと駐車場に入ってきたそれが、俺らの目の前で停止する。
「あれ、FC?」
「え、彗星さん? ハロー?」
「いや違うだろ、毅さんいねえし」
「白いFCなんて群馬にもう一台くらいあるよな、多分」
「でも俺この形は見覚えあんぜ、一ヶ月くらい前に」
「形ってお前三歳児かよ」
「二十二歳児でーす」
「ぶつぞ」
ざわつく他の奴らの会話を聞き流しながら、俺は黙ってそのFCを眺めていた。似たり寄ったりの感想にシビアなツッコミ入れる気もしなくなるくらい、嫌な予感がしていたからだ。
手前にあるFCのコックピットから、ドライバーが降りてくる。車に合わせたような襟つき白シャツに白い綿パンに白い革靴。そんな目的不明のオールホワイトコーディネートも普通に着こなすひょろ長い野郎は、赤城の白い彗星だとか言われてた群馬の元ストリートキング、どうでもいいくらいイケメンの、高橋涼介様そのお方だ。この妙義山にちょくちょくやって来る白いFCといえば、そいつの一台こっきりしか考えられないから、そりゃ想定の範囲内ではあったんだが。
「うわあマジモンだよ、マジでこのFC高橋涼介さんだよ」
「マジだマジだ、え、マジだ」
「雨なのに白えなおい」
「彗星さんチィーッス」
ざわつきつつ微妙に失礼なリアクションするうちのチームの面々に、高橋さんが無駄に美形な笑顔をくれてやって、こんばんは、と挨拶する。見慣れたやり取り。これがいつもの状況だったんなら、俺はスルーかましてただろう。ミーハー連中と同類とか思われたくねえし、っつーか基本俺関係ねえし。ただ今日は、場合が場合だった。
「中里なら、今日は来ないぜ」
高橋涼介が俺を見た、とこで俺はそうやって先手を打った。この白いお方は妙義に来るのに地元群馬愛を貫くためだとか周辺監視のためだとかと色々理由をつけてるらしいが、ハタから見てりゃあ明らかに、毅に会うため一択だ。中里毅。R32に乗ってるくどい顔した野暮な野郎で、俺のEG−6がここのダウンヒルで手こずる唯一の相手。やってみなけりゃ勝てるかどうか分からねえ、でも絶対負けたくねえし、負けるつもりもねえ。俺にとってはそういう相手だ。
で、今日あいつは山には来ない。飲み会入ってるっつってたからな。そのこと高橋さんがご存知ないんなら教えてやって、さっさとお帰り願うのが一番良いと思ったわけだ、俺は。それが一番スマートで、一番安全なやり方だと。
「知ってるよ。前に聞いた」
けど無駄な笑顔撤廃した高橋涼介は、しれっとそう答えてくださいまして。
「……さいですか」
まあね。そうでしょうよ。あんたクラスの人ならそんくらい、チェックもしてますことでしょうよ、でもな。
「ところで、庄司慎吾君」
毅がいねえのにあんたが来て、俺をフルネームで名指ししてくるってこの展開じゃあ、嫌な予感が止まんねえんだよ。そりゃ俺の顔も人間凶器って呼ばれるベクトルに歪んじまうってもんだろ。ああそうだ、自分で分かってるから指摘するんじゃねえぞ二村。しやがったらてめえのギャラン即行落とす。崖に。
「少し話したいことがあるんだが」
俺の極悪人系に歪んだツラもまっすぐ見てきた高橋涼介に、気持ち悪いほど完璧綺麗な笑顔向けられながら、いいかな、って聞かれた時の時の対処法、急募したかったぜ。存在するかは置いといてもよ。
低い、狭い、硬い。慣れたスポーツカー定番の座り心地だってのに、腰とか首とかツりそうになるのは、そこが高橋涼介のFCだってどうしても意識しちまうからだろう。っつーか、高橋涼介本人をか。
「で、お話ってのは?」
他の奴らから十メートルくらい離れた場所に、ドライバーのそいつがFCを移動させ終わってすぐ、俺はナビからそう聞いた。雨天にサシで話をするなら車の中が便利だが、俺には高橋涼介とそんな密室で、油断できねえ緊張感味わいながら、一緒に過ごす趣味はない。毅じゃあるまいし。
いや、そこで真っ先に毅を思い浮かべる俺もどうだ。そんな趣味持ってる奴なんざファンかブラコンの弟じゃねえか。クソ、毒されてんな。大体毅は車で二人きりってシチュエーション、32じゃねえと燃えねえだろ。いや待てそれもどうなんだ。高橋涼介相手だと、走り屋として燃えちまうんじゃねえのか、あいつ。まあそうすりゃ何もないのかもしれねえけど。
「中里と、付き合うことにしたんだ」
そんな風に違う方向に考えやってたせいなのか、高橋涼介がフロントガラスを向いていて俺を見ていなかったせいなのか、どっちにしても俺はそいつが言ったそのセリフを理解するのに、五秒くらい費やしていた。
「……付き合う?」
「噂通りの意味でな」
理解しても信じる段階まで進んでなかった俺のそのまんまの聞き返しに、高橋涼介はそう答えてから俺を見る。その真面目一辺倒のご尊顔は、整いまくってるクセに精密機械並に込み入ってて、軽い疑い差し挟むような隙もなかった。
まあだから、本当なんだろう。こいつが中里と、付き合うことにした。噂通りの意味で。つまり、野郎同士で恋仲なりました、ってこったな。去年の暮れからその噂が広まってたこと考えりゃあ、そうなるのが遅いくらいの十分ありえる話だった。毅の奴はいちいち否定していたが、あいつが高橋涼介を好意的な意味で気にしてるってことは、高橋涼介が毅狙いってことくらいに筒抜けだったし、晴れて両想い、めでたしめでたしってなもんだろう。
頭ではそう分かってるんだが。ちょっと前に俺があいつをそっちに軽く誘導した要素もなくはないんだが。四日前に高橋涼介があいつにセクハラかましたって話が流れた時点で薄々勘づいてはいたんだが。その次の日の朝に毅の奴から相変わらずクソ真面目な、ツケはそのうち返すってメールがケータイにきた時点である程度の予想はついていたんだが。
俺にとって一応あいつはライバルみてえな走り屋で、何かあれば一緒に行動したり何もなくても個人的に会ったりする程度の付き合いもあって、そういう相手が目の前の野郎と実際に、ホモることになりましたと。そういうことが微妙に引っかかっちまう俺もいるわけで。ついでにそれをあいつじゃなくて、こいつに聞かされて知っちまったってのが、まあそりゃあいつにさっさと結果確認しなかった自己責任かもしれねえけど、ホモの恋愛沙汰なんてどうでもいいだろ普通。って、そう思いきれねえから、こんな微妙な気分になってんだよな。思春期かよ。しゃらくせえ。
で、多分。高橋涼介は、俺のそこらの反応確かめるために、わざわざ報告してきやがった。こいつが俺を見る目ったら、ガラス一枚挟んでるような距離感の、ザ・観察者って感じのやつだ。気に食わねえ。何かこう、イヤミの一つでも言ってやりたいところだが、毅絡みでこいつに敵だと思われんのもな。飛んで火に入る夏の虫っつーか、自分から地雷踏みに行く自殺志願者っつーか、絶対得策じゃねえだろ。
「そりゃどうも、おめでとうさんで」
とりあえず敵対意識ないことアピールするのにお祝いして差し上げたら、ありがとう、と真面目なお礼のお言葉、の後に。
「その様子だと、あいつからまだ聞いてもいなかったようだが」
さらっと図星突いてきやがるからな、このカリスマ様は。やっぱ油断できねえ。俺は顔しかめつつ聞いてみる。
「あんた、俺とあいつがコイバナするような関係に見えるのか?」
「キスをする関係ではあるんだろう?」
あー、きたよ。純粋そうなツラしといて、ペテン師十八番の質問返しでこれ持ってきたよこの人は。まあ九割九分くるって予想してたから準備はできてたけどよ、サバと嫌な予感はあたっても嬉しくねえって言うだろ。言うんだよ。嬉しくねえんだよ。んであいつはそれ言ってんじゃねえよ、とばっちり食う俺の身にもなって行動しろっての。ったくあの単純野郎、ガス代三回奢らせてやる。ますます微妙になった気分をそれで流して、俺はとにかくこのシチュエーションで無駄な誤解をされないように、最低限は説明することにした。
「確かにな、この前俺はあいつとキスをした。一回だけ、話の流れでかるーくな。でもあれは、キスじゃねえ」
開いた両手を左右に振って、身の潔白をジェスチャーで表すと、高橋涼介は純粋そうなツラのまま、ちょっとばかり首を傾げる。わざとらしい。
「キスなのに、キスじゃないって?」
「そういう意味じゃねえんだよ」
「ならどういう意味なんだ」
それで冷静に質問畳みかけてくるとか、ペテン師っつーかプロファイラーか? 俺相手にそんなテク使ってどうすんだ。俺が毅にキスしたことに関しちゃあ、感謝される義理はあっても尋問される筋合いはねえぞ。あんたらがめでたしめでたしになりやがったのがその証拠だ。まあそんな世にも貴重と言われる俺の親切な行いを、こちらのお方に余計な真似とか思われたらさすがに軽く走馬灯見せてやりたくはなるから、いちいち言いはしねえけどよ。意味なんて、一つしかねえだろ。
「俺は、あんたとは違うってことだ」
その辺の線引きの意味でもホールドアップをしつつ、断言する。分かるだろ?
「よく分からないな」
いや分かるだろ。わざとらしいトボケ顔してんじゃねえよ、カッコイイ奴がやっても演技感半端ねえぞ、それ。
「いや。生憎俺は言葉にされないことまで分かるほど、洞察力に長けた人間じゃない」
何かの当てつけかと思えるようなトボケ顔のまんま、高橋涼介はまた大げさに肩をすくめる。何でその表情とその動きの組み合わせで優雅に見えんのかね。まあそれもカッコイイからなんだろうが、そりゃ俺にはどうでもいい。っつーかあんた間違いなくそういう人間だろ。何ほざいてやがるこの狐野郎、って俺の気持ちもひしひしと感じていらっしゃるだろ。それでもそこを言葉にしてほしいのか。俺がそうしねえと、満足なさらねえってか。上等だ。
「つまり、俺はあんたと違ってな」
ホールドアップしてた右手の甲を高橋涼介に向けて、中指しっかり立てながら、俺はそれを言葉にしてやった。
「あいつじゃチンコ、勃たねえんだよ」
ナイトキッズの悪看板って顔でな。そして右手を開いて疑似チンコとおさらばして、分かりましたでしょうか、って感じで眉毛を上げる、と、高橋涼介はおんなじように眉毛を上げて、けど細められたその目は隙ゼロパーセント、湿度ゼロパーセントのドライなやつで。
「へえ」
ぞく、っとした。その一言だけで。額に銃口当てられたみてえに。そいつの低い声のせいなのか、それとも乾きまくってる目のせいなのか、表情あるのに冷気しか伝わってこねえ顔のせいなのか。ごくりと唾を飲んでいた俺に、そいつが、言う。
「お前は俺が、中里で、チンコが勃つと思ってるのか?」
ぞくぞくと、背中が一気に寒くなった。やべえ。彗星さんにチンコって言わせちまったよ。いや言わせたっつーか、言ったのは本人の意思なんだから別にいいだろ。でも何か、やべえ。結構、かなり、衝撃的だ。洒落た返事が出てこねえ。
「……違うのかよ」
「いや」
単純な質問に、単純かつ明快なお答えで、俺は内心ツッコんだ。否定しねえのかよ! まあされても信じなかっただろうけど、堂々と認められても気分はやっぱり微妙なもんだ。そういう俺の思いが伝わったのか、高橋涼介は冷たい顔をフロントガラスに向けて、距離を作った。
「勃つに決まってるだろう。勃つから俺は、なりふり構わず外堀を埋めるような真似をしてるんだ」
それは半分くらい独り言だったんだろう。だから俺も半分くらいは聞き流して、高橋涼介を見るのをやめた。フロントガラスに張りつく水滴が少しずつ大きくなっては下に流れていく。音もしない雨は、相変わらず降ってんのかやんでんのかって勢いらしい。だからどっちかハッキリしろっつーの。俺の立場じゃねえんだからさ。もうお役御免でいいのか分かんねえってな。
そりゃまあ、このお方にはこのお方なりの苦労も色々あるとは思うぜ。何せ相手があの毅だ。鈍さにかけちゃあ天下一品、そのクセ変なところで勘鋭くて、タチの悪い野郎にほど期待をさせる。そんな無自覚野郎相手に、よく半年かけてここまで関係整備したもんだよ。医学生とプロジェクトDの二足のわらじ履いてるとかで忙しいらしいのに。だから安心していいんじゃねえの。あいつはあんたと会えなくなったら、俺らの前じゃ平気な振りして、半年後には泣くだろうからよ、一人で。俺はそれ言わねえけどな。一応デリカシーってやつがありますから。あいつと違って。
「庄司」
いい加減マジでどっかツりそうだし、そろそろこっから降りてもいいか聞く前に、ちらっと高橋涼介の様子を窺ってみた、とほぼ同時に声をかけられて、俺は半端に不意を突かれた。そいつはフロントガラスを向いたままだ。そこにぶつかる雨を見てるのか、その先にある暗い景色を見てるのか、現実のものなんざ何も見ちゃいねえのか。そいつの視界なんて分からねえが、そいつが俺に対して声を出したのは、よく分かった。分からないままでいるのが無理なくらい、威力のある声だったからだ。俺だけを、標的にした。
「装っているスタンスに関わらず、お前はあいつの味方にしかなれないはずだ。走り屋としても個人としても、お前はあいつが本当に不都合になる事態は歓迎しないだろうし、あいつを深く傷つける人間には容赦をしないだろう。それを俺はどうこう言うつもりもない。あいつが自分で築いてきた特別な人間関係に亭主気取りで干渉するつもりはない、ただ」
素晴らしい滑舌でぺらぺら喋った高橋涼介が、俺に顔を戻してくる。ドライアイスみてえな白いツラを。見てるだけで火傷しそうなくらい冷たいやつを。
「もしもお前が、俺と同じになるようなことがあれば」
手ェ出してきそうな気配がねえのに、絶対殴られるわけがねえと思えるのに、首切り落とされそうな怖さを感じさせられた相手は、さすがの俺もそいつが初めてだった。
「その時は事情が変わるということを、記憶に残しておいてくれ」
そう言った高橋涼介は、返事は聞かなくても分かってますよって紳士な顔でニッコリ笑うと、すぐにFCを発進させた。そして半端に不意を突かれたままの俺をミーハー連中がたむろったままの場所に落として、満足げに帰っていかれましたとさ。ちゃんちゃん。
いや、っつーか。何だありゃ。一方的に言いたいこと言うだけ言って、俺の意見は聞く気もねえか。まあ言えるような状態でもなかったんだが。反論できるような隙もなかったんだが。正直否定しづらい指摘ばっかだったんだが。何だってんだ、おい。俺はあんたみてえな、カリスマでマイナー志向で現実主義者で夢追い人で策士で勝負師なホラー野郎とは、ハナから違うってのによ。毅みてえな奴をそこまで好きにもならねえし、亭主気取りとかありえねえし。
それでも同じになるな、って、警告か、今のは。あいつでチンコ勃たすなよと。いやねえよ。んなこと分かりきってんだろ、あんなむさ苦しい野郎でチンコ勃つのはマジモンのホモかあんたくらいだぜ。でもそれをわざわざ俺に、あんな脅迫すれすれのやり方で直接言わなきゃならなかったって高橋涼介の心情を想像するとまあ、いや想像できねえ。理解できねえ。そこで指名されても嬉しくも何ともねえ。っつーか普通に迷惑だ。怖いし。
「で、何だったんだよ彗星さん」
「やっぱデート? デートなの?」
「毅さんとの三角関係で愛の泥沼劇場か?」
こりゃ毅に酒も奢らせねえと割に合わねえとか考えてると、他の奴らが興味津々って態度でピント外れのことを聞いてきたから、俺はツッコミ代わりに廣田のケツを蹴り上げて、EG−6に戻ることにした。鬱陶しいウェットコンディションに変わりはねえが、下り攻めてりゃきっと気分は晴れるだろう。走り屋なんてそんなもんだ。そんな程度のもん、だけど、そこ割り切れねえのはもしかしたら、同じなのかもしれねえな。理解したくもねえけどよ、俺は。
(終)
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