境目



 遅く起きてきた中里の挙動は、明らかにおかしかった。どうした、と清次が尋ねると、中里は何度も言いよどみながら、清次に尋ね返してきた。昨夜、どうしたのかと。

 なぜそんなことになったかといえば、酒に呑まれていたのだろう。どうせ休みなら、泊まっていけよと清次は言った。中里にだ。深い意味はない。家に他人を泊めることは、清次にとって生活の一部のようなものだった。友人の友人という奴が入り込んでも、物を盗まれさえしなければ、気にしない。だから、誰が部屋に泊まっていこうが構わない。ただ、散々走った後、暗い道程を一人帰らせることに少し、不安もあったのだ。集中力が切れるなり、眠気に襲われるなりして、事故を起こしはしないか。それは、走り屋として心配することではなかったかもしれない。今までも似たような状況で、中里は無事に帰っていた。だが、その日はいささか時間が押していた。だからつい、言っていた。明るくなってから帰っても、遅くはないだろうと。
 中里はしばらく考え込んだが、結局清次の申し出を受けた。疲労は感じていたらしく、明かりを点けた部屋に座り込むと、深いため息を吐いたものだ。それを見て、お疲れだな、と清次は笑っていた。ばつが悪そうな顔をして中里は、だが素直に、まあな、と言った。ありがてえよ、今日ばかりは。
 酒を出した。晩酌のついでだ。飯も出した。自分で食べるついでだった。話は特に目新しくもなく、途切れ途切れだったが、つまらないわけでもなかった。峠でいる時と同じだった。峠でしか、会ったことはない男だった。他県の走り屋。GT−R乗り。それが、部屋の中にいるということに、酒が入り始めてからようやく、清次は目新しさを感じた。それから、一気に酒が回った気がする。
 いつの間にか、女の話になった。それは最近機会がないということで、自慰の話に移った。週に何回抜いているかとか、好きなネタは何かとか、そういうことだ。話しながら、しばらくフェラチオもされてない、そう自分が呟いたことを、清次は覚えている。金がないから風俗には行かない、そうも言った。
 中里は、半分寝ているような目をしていた。船を漕ぎかけてもいた。ああ、と寝言のように、そして言った。なら、してやろうか。
 なぜそんなことになったかといえば、酒に呑まれていたのだろう。できるもんならしてくれよ。清次は笑って答えた。気分が高揚しすぎて、もう、何をしようがされようが、どうでもいいという思考停止の状態に入っていた。眠たそうに目をしばたたいた中里は、その目を閉じて、まあ、何事も挑戦だ、と薄笑いを浮かべた。
 随分長い間、されていた気がする。随分長い間、見ていた気がする。中里の、厚い唇が自分のペニスをついばむように刺激する様を、赤い舌が粘膜を這っていく様を、その削げた頬が一層こける様を。感覚はどこか鈍かった。だからずっと、眺めていられた。少しずつ勃起はしていく自分のペニスを咥えることに、没頭している中里を。射精はした。だが、随分長い間、されていた気がする。随分長い間、見ていた気がする。人間、その気になりゃあできるもんだな。つい精液を飲み込んだらしい中里は、顔を上げて、どこか愉快そうにそう言った。前を閉じてから清次は、中里に酒を差し出して、また頼むぜ、と笑った。

 あまりに鮮やかな映像として頭に残っていたため、起きたのち、清次はそれが夢なのか現実なのか、判断しかねた。だが、清次の記憶はすべて、中里の記憶と一致したらしかった。
 苦悩の表れた顔をしている中里の肩を叩き、清次は、まあ気にするなよ、と言った。よくあることだ。そう言いながらも、何がよくあることなのか清次自身把握していなかったが、中里はほんの少し、顔の強張りを緩め、そうか、と頷いたのだった。
(終)

2008/03/29
トップへ