本質的な感覚



 酒を飲めば気分は良くなる。それは酔っているということなのだろう。だが場にいる誰の発言も誰の醜態も記憶に残る。自分の言動も記憶に残る。理性はまるで慢性痛のようだ。時折悪化し消えていないと自己主張する。京一のように綺麗に割れた割り箸を見る度に小一時間ほど肩を震わせられる感覚は気になるが、できないものは仕様がない。清次は割り切っている。
 酒を飲んでキスをしたくなっても、無差別攻撃を実行した場合には徹底暴力あるいは存在全否定という社会的および人間的生命の危機に瀕するほどの反撃を食らうことは分かっていて、そんな認識はどれだけ酒を飲んだところで吹き飛びはしない。根本的にアルコールに強いのだろう。飲み会等で享楽しても暴走したことも潰れたことも一度もない。酔っ払いの介抱をしたこともない。支離滅裂な言動をする人間などは適当に扱うに限るのだ。
 中里は中里で昼に峠を撮影した観光案内的映像集を見ながら大笑いしている。笑いのツボは人それぞれにしても清次には何がそんなに笑えるものかさっぱり分からない。だが中里は目に涙を浮かべて腹を抱えて笑っている。まだビール一缶空けてもいない。酒に弱いのかもしれない。清次は面白さが分からない映像集ではなく息をするのも辛そうな中里を見ている。その方が人間の大いなる可能性を感じられて快い。これほど笑えるのかということだ。綺麗に割れた割り箸を見せてやっても京一と似たように笑うかもしれない。思いながらひとしきり笑った中里がソファに背を預けて乱れた呼吸を整えているのを見ていると、欲求が表れた。真っ赤な顔と涙目と張りついた笑みは抑止力も持っていない。結果殴られるなり無視されるなりして絶縁もあるだろうが、そうされたところで構わないという思いがあった。自分が中里に用があるのではない。中里の方が用件を持っている。走り屋としてバトルに負けているからリベンジをしたがっているのだ。勝っている清次としては縁を切られたところで未練もない。家に上げて酒をやったのもそういう気分だっただけだ。だから通常ならば自分の立場を尊重して抑えていた欲求をそのまま放り、テレビの間に割り込むように顔を右から近づけて、中里にキスをした。
 十秒ほど、舌を絡めていた気がする。胸を大きく突かれたのはその直後だ。ソファの背もたれにかけていた左腕に力をこめて、後ろに倒れるのは防ぐ。
「ッ、てめえ」
 口をシャツの袖で拭った中里が睨んでくるが、迫力のある目も潤んでいては形なしだ。
「あぶねえな、クソ」
 欲求を解消しきれなかったので、清次は体勢を立て直し、右手で中里の顎を掴み手前に向けさせた顔に顔を寄せた。唇が触れて粘膜が触れる。首の下に片腕をねじ込まれて喉を押されるが、顎を掴んでいた手で同じように喉を押してやると我慢比べの末に抵抗は薄れた。血流が滞ってぼんやりしながらそれでも唇は離さない。緩んだ肉に肉を擦り合わせると他のことなどどうでもよく思える。中里の喉を解放した右手をシャツの上から下ろしていったのも無意識だ。股間で多少のふくらみを感じて硬いホックを外したのは意識でだった。その時点で手首を掴まれたが構わず舌を吸いながらファスナーを下ろして中に手を突っ込む。直接触れたものは多少ふくらんでいるようだった。それを小さく擦ると手首を一層強く掴まれて、別の手で肩を押されて顔を思いきり剥がされた。
「何、して」
 目を斜め下に置きながら中里は震えた声を出す。
「キスだろ」
 中里とそうしていたと考えると妙な感じもあるが、していたことに間違いはない。不愉快そうに顔をしかめた中里は、手にしてるものをいじってやると体を揺らして目を閉じた。
「やめろ、この」
 細く開いた目でまた睨んでくるが、迫力は残念なことになっている。顔は赤くて目は相変わらず濡れている。太い眉は時折斜めになって白旗を上げかけている。強く握ったり柔らかく触ってやるといちいち刺激の結果が中里の顔に表れる。それを眺めていると動きを止めるのは惜しくなる。
 おもしれえな、これは。
 俺はホモかと清次は思う。男相手のこんな行為を楽しめるのだからそうなのかもしれない。あるいはただの酔っ払いかもしれない。ビール一缶空けてもいない。だがそんなことは顔に自然と笑みが浮かんでくる状況ではどうでもよく思える。それを見た中里がまた不愉快そうにしかめた顔を快感で緩めると余計に面白くなるし、欲情してくる。このまま勃起したものを突っ込んで滅茶苦茶にしてやりたいが、今すぐそれができるはずがないと分かる程度の理性は残っている。
「やめろって?」
「……クソ野郎」
 この状況で凄もうとする根性を称え、真面目にしごいてやることにする。手首にも肩にも爪を立てられて痛みが走り、それが行為を煽る。中里の息は耳障りなほど荒くなり、清次の呼吸もつられて浅くなる。やっちまいてえ。しかしそう簡単にできることでもない。簡単にできることは何かと考えられるほどの理性も残っている。それを押しとどめるべきかは理性ではなく本質的な感覚の問題なので、清次は躊躇なく綿パンの中から自分のものを取り出して、中里の硬くなったものから離した手でその短い髪を掴み、股間に顔を引き寄せる。
「しゃぶったらやめてやるよ」
 自分の勃起しかけてるものの前で面食らった後に怒気を放つ中里を見下ろすと、背中全体がぞくぞくとする。
「ふざけんじゃ」
「出したら終わりだ。俺がお前をいかせてやってもいいけどな」
 再び困惑した中里は結局咥える方と射精する方で、咥える方を選んだ。こいつもよく分かんねえなと清次は思うがそれも本質的な感覚の問題なのかもしれなかった。中里の口内はぬるいような熱いような、快楽でため息を吐かせる質感を持っている。なかなか良い。扱いは下手だが何とかしようという努力が窺える。噛みちぎろうとする意志は窺えない。背中はぞくぞくし通しで、必死になって咥えてきている中里を見ているとぶち込みたい気分が蘇り、やはり躊躇なく清次は中里の髪を掴んで強引に口内を犯した。中里は苦しげに顔を歪めて何度も呻いたが行為への抵抗は見せなかった。清次は欲求に従い存分に動き、中里の口に射精しきった。奥まで突いた状態で止まり舌のうごめきを感じてから解放してやれば、中里は戻しそうな声を上げながら咳込み、その間に清次は服を整えた。
「……この、てめえ」
 ソファに身を預け肩で息をしながら怒りをたたえた体液まみれの顔を中里は向けてくる。恐怖は感じないが、その打ちのめされているような様相に情は感じた。視線を落とせば下着からはみ出ている中里のものはまだ萎んでいない。清次はどうするかと考えたが、瞬間で考えるのも面倒になったので背を曲げてそれを咥えた。
「おいっ」
 裏返った声で叫んだ中里は咳込んだ。中里のものはよく濡れて勃起している。味は良くないが吐き気を催すほどでもない。無理ではない。人間やろうと思えばある程度のことはできるものだ。やろうとするかどうかの違いなのだろう。
「……岩、城」
 人の背を抱え始めた中里が熱い息を吐いている。顔を見ずとも口を満たす存在と聞こえる声と触れる体の震えで中里がどれだけ切羽詰まっているかが分かり、万能感が全身に広がる。とことん追い込んでやると中里は容易に達し、清次は放たれた精液を飲み込んだ。積極的に欲しはしないが、拒むほどのものでもなかった。背中にかかっていた重さが減ったところで中里の股間から顔を上げてソファに座り直し一息吐く。観光案内的映像集は終わっていない。
「お前」
 呼ばれて顔を向けると苦しげに呼吸をしている中里はみっともない顔で懲りずに怒りを表した。恐怖は感じない。去らない欲求は感じる。清次の笑みは深くなる。
「風呂でも入ったらどうだ」
 提案に中里は睨みを強くしてきたが、強く顔をしかめたのちに舌打ちすると思いきり立ち上がり、何も言わずに風呂場に行った。テレビで流している映像集は終わりに近い。清次は漫然とした快感の余韻に浸りながら缶に残ったビールを飲み干して、醒めている自分を感じた。
(終)


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