軍配



 庄司慎吾は分かりやすい奴だ。ガキの頃から一緒の俺が言うんだから間違いない。望んだわけではないにせよ、生まれた時からご近所様、小中高と同じ学校、ほぼ同クラスときて、今では同じチームに入っている。
 チームの話をしよう。チームといっても暴走族だのギャングだのといった不穏なものとは違う。妙義山を根城とする走り屋チーム、我らが妙義ナイトキッズ。名づけた奴は名詞に名詞を重ねようとしたが、ステッカーデザインした奴は『K』を忘れたから、自虐の意味が含まれるようになったんだな。ナイトキッズ。深夜、バカみてえに暴走するガキどもだ。これがまた人気のないこと税金のごとく。大体の奴の風采が粗野、言動も粗野、でもモラルはそう低くもなく、ただやることは過激で、いつの間にか蹴り合い始めてたりエロ本鑑賞会始めてたりする。中には優等生タイプや一般人タイプもいるにはいるんだが、突然駐車場でフリスビー始めたりする奴らと自然に会話を持てるんだから、そういう奴でも普通とは少し違うってこと、誰にでも分かるよな。そんな連中が集まって馬鹿笑いしてる場に、女の子の黄色い声はまず生まれない。他の走り屋の羨望とも縁遠い。つまり、人気が出る道理がない。県内ではメジャーなチームな割に扱われ方があまり良くない、そんな我らが妙義ナイトキッズ。
 そこに集まってくるメンバーとなれば、自分たちの楽しさのみを追い求めがちの豪快なところの多い奴らだが、チームの人気のなさを気にする奴もちょくちょくいる。特によく悲嘆をしているのが、県内でも有数の実力を持つ走り屋として認められている、中里毅という32のGT−Rに乗ってるお方だ。童顔すれすれの精悍な顔立ちと黒い髪が合わさってなかなかの堅物に見えるが、威勢の良いこともよく仰る熱血漢で、チームに対する思いは人一倍強い。俺たちは駐車場でまとまって大声上げたり言い合いしたりもするが、他の走り屋を妨害するほど峠を占有してはいないし、チーム外でいさかいを起こしたりもしないから、毅さんとしては、自分たちがそこまで不人気なチームとして扱われるいわれもないと思っているんだろう。正当な評価が欲しい。あれは無茶を道理にしたいタイプだな。だからこそ、あれほど速さを追い求められて、実際身につけられるのかもしれない。負けが込んだ時期もあったが、GT−Rに乗る中里毅の走り屋としての実力を認めない奴はそういない。あの人だけを取れば決して人気がないわけではないのだ。ただそれがチームの対外的な人気に反映されていないことを、毅さんは気に病んでいる節がある。リーダー格としての自負もあるのかもしれない。意固地だの偏屈だのと言う奴もいるが、チームのことをよく考えてくれる人だ。チーム内でも評価は高い。
 ただ、下りなら中里さんに勝るとも劣らないくらいの、庄司慎吾ってシビック乗ってるメンバーは、チームの人気があろうがなかろうが気にする素振りもない。染めた前髪が張り出し気味の頬とつり目に被さって、より顔を意地悪く見せている、そいつが俺の古い知り合いだ。まあ友人といって差し支えはないだろう。チームの中で毅さんのことを意固地だの偏屈だの強情っぱりだの馬鹿だのアホだの間抜けだのと陰口じゃなく真正面から言えるのは、あいつくらいだな。ずる賢くて頭がよく回る、基本えげつねえ、不意打ちも謀略もお手の物、卑怯な手段もためらいなく取ることができて、自分の落ち度も他人の責任に塗り替えられる、口八丁手八丁な奴。チーム内でも評価は分かれる。あのくらいじゃないと慎吾じゃねえってのと、やりすぎだってのと。ダウンヒルについてはべらぼうに速いってことと、敵に回したら油断ならねえタイプってことは、皆否定しないだろうが。
 そんな風にあくどい奴なんだが、ただ結構神経質で臆病なところもあるし、追い詰められると弱い。一回キレると周りが見えてるくせに自爆も辞さないんだ。昔はそうでもなかった。神経質さと臆病さは今より十割増し、小さくてひょろっこくて、口数少な、いつもどこかおどおどしていて泣き虫で、反抗するってことがなく、イジメるには格好の標的だった。小学校四年から五年の間だったろうか。とすると、あいつが今のあいつになったのは、小五の冬だ。俺はその時クラスが違ったから、他の奴に聞いた話だが、ある日の休み時間、パンツ一丁にされたあいつが、パンツまで脱がされかけたところで、ついにブチギレて、冗談じゃなく教室が血の海と化したらしい。そして小六の時に俺があいつと同じクラスになると、その時にはもう、あいつは今のあいつだった。泣き虫の影も形もなかったな。
 そんなわけで、慎吾というのはキレてもキレてなくても、厄介な奴だ。でも繊細で、義理堅いところもあるし、常識は知っている。だから俺はあいつと特別離れようとは思わない。それが多分、ここまで長く付き合いのある理由だろう。お互いどこか、どうでもいいと思っているところがある。
 あいつは特にそういうことが分かりやすい。執着心の有無、意識の有無、そういったものが態度に簡単に表れる。チームについてもそうだ。仲間意識はあるんだが、速けりゃそれでいいと思っているらしく、他の面でチーム全体が外からどう思われていようが気にしていないことは丸分かり。ただ、あいつが本当に隠そうとしていることはいくら頑張っても俺には見抜けるものでもないから、あいつが躍起になって隠そうとしていないことについては分かりやすい、といった方が正しいかもしれない。機嫌とかな。

 さて、場所は夜、俺たちの峠、皆の峠。そして本日の慎吾の機嫌となると、分からない方がおかしいってほど悪かった。人の隣に来ても進んで話をしようとしない、相槌ゼロ、舌打ち多い、煙草を吸うペースが早い、眉間に常にしわが寄ってる、発する空気が重いこと重いこと。俺の隣に来るってことは誰彼構わず噛み付くような切羽詰った精神にはなってないんだろうが、この状態でも下手なこと言っちまえば、確実に毒舌を浴びせられるだろう。それを分からない奴もうちのチームにはいないから、わざわざその慎吾に近寄ろうする奴も、普通はいない。
 が、いつの世にも例外というのは存在する。そしてうちのチームには何でかそれが多い。暇で毒舌に耐性もあるから、わざわざぶすっとした面晒してる慎吾の前まで行って、
「何だァ慎吾、おめー何でそんな機嫌わりー顔してんのよ。生理?」
 とかにやにやしながら言う奴とかが。そうすると慎吾は不愉快そうに顔を歪めて煙草を口から外し、大きく舌打ちをして、そいつを追っ払おうと粘ついた感じの声を出すわけだ。
「俺はわざわざそれをお前に説明してやるほど暇じゃねえんだよ」
「へえ。車ン横に突っ立ってるだけでよ、何がそんなに忙しいって」
「思索をしねえ人間には何もしてねえようにしか見えねえだろうが、生憎俺はお前と違って脳味噌きっちり詰まってるもんでな」
「きっちりねえ、それ実際振ったらスカスカなんじゃねーの? でも車のGに耐えられるんだから、コンクリート詰まってるだけかもな」
「てめえの頭は産業廃棄物並に無用そうだな」
 とばっちり食うのは御免だが、こいつらのポンポン進む会話を聞き逃すのも勿体なくて、俺は慎吾の横で笑いを堪える。こんな時の慎吾にわざわざ突っかかってく谷田ってのは、見かけ通り心臓にまで毛ェ生えてんじゃねえかと思えるような奴だから、加減もしない。
「おっと、利権はついてるぜ。不要なものでも金に換わるのが資本主義よ」
「中卒風情が何偉そうに経済語ってやがる。資本主義持ち出すならマルクス読んどけ」
「俺は千草忠夫しか読まない主義なんだよ。人間は性欲の権化ってもんだ」
「女のアソコのことしか頭にねえなんざ動物未満だろ。去勢しちまえ去勢、チンポもタマも切り取っちまえ」
「はっ、なあ梅ちゃん、何でこいつ機嫌わりーの?」
 おいおい、何でそんなところでこっちに話題を振ってくるんだよ。
「だってお前慎吾のベストフレンドじゃん。何でも分かってんだろ」
 にやにやしながらそういうことを言ってくれるなって。慎吾は相変わらず仏頂面。さあなと俺は肩をすくめた。
「俺何も聞いてねえし、こいつも何も言わねえし、何があったかなんて知りもしねえ」
「予想くらい立てられんだろォ、お前ら十年以上付き合ってんだから」
 語弊のある言い方をしやがる。正味はそんなにいかねえよ。しかし予想というなら谷田も立ててるはずなんだが。何といっても慎吾は分かりやすい。今日、慎吾の機嫌を悪くさせている要因なら、チームのメンバーの九割はもう見当をつけているだろう。まあそれをわざわざ俺の口から言わせようってところが、谷田流の暇潰しなのかもしれない。しかし火の粉を被るだけならまだしも、俺だって火達磨にはなりたくない。
「それなら俺の隣に本人いんだからよ、直接聞いてくれや」
「聞いたって答えねーだろこいつ。なあ?」
 といって谷田はにやにやしながら慎吾を覗き込む。慎吾はうんざりしたように天を仰いで、独り言みたいに言う。
「俺の機嫌が悪かろうが良かろうが、てめえに関係ねえだろ変態野郎」
「関係あるぜえ、だってお前イジって楽しいのって機嫌悪い時しかねーもん」
 ま、通はそう見るだろうな。機嫌良い時のこいつなんてただ気持ち悪いだけで、機嫌が悪けりゃ悪いほどからかい甲斐がある。楽しむには反撃されても挫けない強い神経と、引き際を見極める観察眼が必須だが。よりにもよってというか何というか、谷田は両方持っている。
「いいか」、慎吾はいよいようんざりしきったらしい、そう言って谷田の額ぎりぎりに煙草の火を寄せると、真顔で囁いた。
「てめえは今日、今後一切俺に話しかけるな」
「話しかけたら?」
「燃やす」
 そんなことをやる馬鹿じゃねえが、やりそうな雰囲気をかもし出せるのが慎吾。自分の命の危険性よりつまんなさを敏感に察知するのが谷田。というわけで、これ以上慎吾を突っついても面白くないと悟ったらしい谷田は、あっさり身を引き場を去って、慎吾は煙草を地面に捨ててぐりぐり靴で踏みつけて、俯いたままため息一つ。俺はその吸殻を携帯灰皿に入れ、そろそろ走ろうかなんて考える。まあいつもだな。
 しかし今日はいつもじゃないことが一つある。予想を立てていたはずの谷田も直接口にしなかったのは、それがかなりの爆弾だってことが分かっていたからだろう。この場にいる奴らのほとんどは分かっているだろうし、俺も分かってる。だからその爆弾が前からやってきたら、そりゃ驚くさ。慎吾は俯いてるから気付いてないが、俺は気付いちまった。向こうも俺には気付いてる。ここでこの場から離れるというのもわざとらしいじゃないの。だから俺は腹を括ってそのまま慎吾の横に居座ることにした。よく考えたらその組み合わせを間近で見たことはないし、まあ何か面白いこともあるんじゃねえかと思ってな。
 そして慎吾にとっての超巨大爆弾であろう男が向こうからやって来て、俺に一つ会釈をしてから、
「おい」と慎吾に声をかけたわけだが、さっきの今だからだろう、
「てめえは人の話を聞いてんのか!」
 と、慎吾は間髪いれずに怒鳴った。しかし怒鳴った相手は谷田ではない。肩より下に伸びてる長い黒髪を後ろで結んでるから、岩を彫り上げたような厳つい面がどんと公開されている、栃木県民の白いエボ4乗り、慎吾の機嫌の悪さの源の一つ、岩城清次さんだ。それに気付いた慎吾は呆れた顔をして、怒鳴られた方の岩城さんは「あァ?」と驚いた後すぐ、不思議そうな顔をした。
「何の話だ?」
 リアクションを引きずらず反射的に謝りもせず文句も言わず、こんな風に問い返すのは、この人だけなんじゃないだろうかと思う。毅さんでも『何だいきなり』くらいは言いそうだ。俺もほとんど話したことがないからよく知らないが、この岩城清次って人はどうも神経が図太すぎるところがあるらしい。でなけりゃ我らがチームリーダー格中里毅とこの妙義山で、笑いながら話せもしないだろう。で、慎吾は見当違いの相手に怒鳴っちまったってのと、自分の機嫌の悪さのタネが突然近づいてきたってのとでかな、動揺示しつつも、言葉はちゃんと返した。
「いや……何でもねえ。それよりあんたは何だ。用事か。なら五秒で済ませろ、延長はナシだぜ」
「お前、俺と走らねえか」
 これには俺も噴出しかけた。何がって、走る走らないってのはお互い走り屋だから何の問題もない。しかし機嫌の悪い慎吾を含めたこの状況でそれはいくら何でも岩城さん、タイミングを無視しすぎだ。五秒も華麗にスルーしすぎ。案の定、慎吾はキレかかっている時特有の青白い顔になりながら、小ばかにしたような笑みを浮かべた。
「俺と? お前が? 走る? ここを?」
「ああ」、と疑問もなさそうに頷く岩城。俺ちょっと尊敬するわ、あんたのこと。青筋立てた慎吾をからかうならともかく、そいつと普通に話すってなかなかできないぜ。
「おいおい、この妙義山でこの庄司様とダウンヒルでバトルしようなんざあんた、正気の沙汰じゃねえな。何考えてんだ」
「バトルじゃねえよ。ただ走るだけだ。俺だってんなしょっちゅうバトルやってるわけにもいかねえからな」
「走るだけ。走るだけならそこらの奴らでもいいじゃねえか、何で俺だ」
「他の奴らはぱっとしねえからよ」
 え、おい、ぱっとしないってのはどうよ。俺はついそう口を挟んでしまったが、
「てめえは黙ってろ!」、と慎吾に大声食らわされて、はい、と大人しく身を引いた。その大声で、他の奴らのほとんどがこの組み合わせの妙に気付いたらしい。避ける奴と寄ってくる奴、二極化だ。慎吾は怒鳴った自分に苛立ったような舌打ちしてから、岩城をうさんくさそうに見た。
「なら……毅でいいじゃねえか。あんた、あいつに誘われてここに来てんだろ? それにあいつなら上りもできる」
「ダウンヒルならあいつよりお前だろ」
 当然のように、念押しするように岩城は言った。そして慎吾は言葉に詰まった。まあそりゃそうだろう。常々妙義ナイトキッズのダウンヒルスペシャリストは自分だと公言しているのだから、こんなところで否定はできないし、かといって肯定すれば走ることを了承するようなものだ。ここで相手の実力が低ければ、徹底的に見下してお前なんか相手にならねえとばかりにお引取りを願えるんだろうが、岩城さんの実力が低くないということは、周知の事実でもある。なぜならエンペラーの岩城清次は、ここのヒルクライムで一度毅さんに勝っているからな。
 余談だが、その時岩城さん、負けた我らが妙義ナイトキッズのステッカーも切って行って下さってるから、そうしてチームの面子を壊しやがったエンペラーの岩城清次と、チームのリーダー格たる毅さんがこの妙義山でにこやかに話しているという光景は、怪我の影響でそのバトルに出られなかった慎吾としては、一際歯がゆいものなんだろう。俺も岩城清次と毅さんが談笑している様子を、良く思うということはあまりないが、別に岩城さんここで傍若無人な振る舞いするでもなし、そこは相応の速さを持つ走り屋同士、何か通じるものもあるだろうってことで、慎吾ほど気にはしていない。他の奴らもそうだろう。ドロドロした感情の淀みが嫌いな奴が多いんだ。そして他人のことをいちいち気にも留めない無神経な奴も多いんだな。そんな我らが妙義ナイトキッズ。
 余談はここまで。というわけで、一応ここのヒルクライムで毅さんに勝っている岩城に実力を認められちまったら、さすがの慎吾も見下すわけにはいかないわけだ。そして、岩城さんが『ダウンヒルでは中里毅よりも庄司慎吾』という情報をどこで仕入れたかを考えると、さっきまで岩城と話をしていた人間が自然と浮かんできてしまう。笑いながら岩城と話していた走り屋。毅さんだ。あの人もプライドが高いから、手放しで慎吾を自分より上とするとは思いにくいが、条件つきなら認めそうなんだな。4WDとFFという乗っている車の特性の違いもある、鋭さでは自分より慎吾、突っ込みでは自分より慎吾、みたいに。俺が想像できるくらいだ、慎吾もそれを想像しちまったんだろう、否定も肯定もしないだけならともかく、何も言えなくなっている。戸惑っているのも丸分かり。いやこれはホント珍しい。見ものだな。岩城は岩城でそんな慎吾の胸中いざ知らず、普通に話進めるし。
「何だ。何か不都合でもあるってか?」
「……モチベーションの問題だ」
「言っとくが、俺はそこらの奴らよりは速いぜ」
 いやそれはちょっと、と俺はついまた言っちまって、
「だからてめえは黙ってろ!」
 と慎吾に怒鳴られはい了解ですと口を閉じた。岩城は慎吾が岩城を低く見ているから乗り気じゃないのだと考えて『俺はそこらの奴らより速い』なんて言ったんだろう、一応は毅さんに勝っている奴なんだから俺もそれは認めるしかないが、目の前で自分が遅いとされて黙っているのも地元民の名が廃る。しかし同じくそこらの奴らよりも速い慎吾に黙ってろと言われれば、黙っているのが一番だ。速さが足りないってのは悲しいね。まあ俺はこれで身の程ってのを知っているから無理はせず、大人しくこの二人の横に立っているだけだが。慎吾は舌打ちしてまた黙り、体を揺すり出す。イライラしてるの丸分かり。岩城さんは相変わらず何だこいつって面で慎吾を見ながら、慎吾の答えを待っているのかやはり黙っている。先に沈黙に耐えられなくなったのは、慎吾だった。
「クソ、分かんねえ!」
 と叫んだ慎吾に、何が、と岩城さんが何かもう関わるのも面倒そうな感じで尋ねる。慎吾は口を開いてから、やっとこさ自分の周りの状況に目をやる余裕が出たらしい。興味深そうに見てきているチームメイト。慎吾がガンを飛ばすとそれぞれわざとらしく顔を背けるが、時間が経てば興味津々といった風に目を、耳を向けてくる。そんな奴らを相手にしても仕方がないと割り切ったのか、周りを見るのをやめた慎吾は、また舌打ちしてから岩城をちらっと見て、とびきり不味いものを食ったような顔をした。
「あのよ」
「あ?」
「俺って結構、繊細なんだよ」
 それ言うのが慎吾なんだから、ま、誰だって疑っちまうわな。分かっているとはいえ、俺もそのふてぶてしい態度と『繊細』って言葉の似合わなさには、つい笑いかける。
「繊細ィ?」
 しかし本人相手にこれだけまともなしかめ面お見舞いできんのも、すげえよこの人。岩城清次。そりゃ慎吾もまともなしかめ面返すってもんだ。
「だから、毅の馬鹿があんたと笑って話してんの見てっとムカツクわけだ。分かるか?」
 論法は少々強引だが、慎吾にしては結論を明示していた。岩城相手に回りくどい言い方しても通じねえと思ったんだろう。俺もそう思う。しかしやはり論法は強引だったようだ。岩城は興ざめしたように鼻の頭にしわ寄せて、不審人物見るような目で慎吾を見て、そして言った。
「お前はあいつのことが、好きなのか?」
 ……まあ、そういう解釈の仕方もなくはねえってあたり、慎吾も急いだよな。俺は繊細、だから毅さんと話しているのがムカツク、これは間をすっ飛ばしすぎだ。その慎吾は即刻、「ちげえよ!」とのっぴきならないように叫んだ。
「何だその超次元的解釈は! 普通に考えてあいつが負けた相手にヘラヘラしてんのが嫌だってことだろ!」
「……分かりづれえなあ」、としみじみ岩城さん。正直すぎる。
「この上なく分かりやすいだろうが、チームのステッカー切った相手にチームのリーダー気取ってる奴がそんなこと忘れたみてえに親しくしてるって、見てるだけで胸糞悪くならァな!」
 言い終わった慎吾は、そこまで本音を晒すつもりはなかったのかもしれない、やるせなさそうにため息吐いて、両手を上げ、すぐに言葉を付け足した。
「けど、それはあんたと毅の問題だ。俺には関係ねえ」
 岩城はますますもう、理解ができねえって感じのしかめ面になった。
「じゃあ、何が問題だ」
 この人もストレートに聞くもんだ。慎吾のような天邪鬼には通用しないようで、ひねってもひねっても同じところに行き着いてしまうしつこさは、意外と効果がある。毅さんも似たストレートさを持っているが、あの人の方が優しい。慎吾にとっては鬼門だな。素直になれない。岩城さんにはそれがない。相手の状態を気遣うより、自分の疑問を明らかにしたい性質なんだろう。そのせいか、一度大声を上げて気が抜けたのか、慎吾は疲れたようなため息の後、ためも作らずぽつりと言った。
「関係ねえって思い切れねえ、俺がだよ」
 あたりがしんと静まった気がした。実際には車の音がそこかしこで鳴っていて、馬鹿笑いしている奴もいたから、いつも通りのやかましさだったが、慎吾のいつになく神妙な様子が、そう感じさせたのかもしれない。俺は少し慎吾に同情した。毅さんとこの人に挟まれちまったら、身動き取るのも難しいよな。当の岩城さんはそして、合点がいったように、にやりと邪悪な笑顔浮かべて、
「繊細だな」
 なんて言うし。今まで笑ってなかっただけに、この性悪さは強烈だ。慎吾は現実から逃げたそうに遠い目をした。
「笑ってんじゃねえよクソ」
「ふん。ま、そういうことならやめといてやる。俺もそこまで嫉妬はされたかねえ」
 案外物分りいいんだな、と思ったのもつかの間、そこでそれ言っちまうかって。空気読めてんだか読めてねえんだか。そんなに慎吾をキレさせてえのか、この人。いや、そこまで考えてもいないんだろうな。
「おいコラ」、とこめかみあたりをピクピクさせている慎吾が、意地悪く笑っている岩城に凄んだ。
「嫉妬って何だ。そんなもん欠片もねえぞ。俺はただ、あいつもあんたも気に食わねえ、そういう自分が気に食わねえだけだ」
「お前、俺があいつと親しくしてんのが嫌なんだろ? なら嫉妬じゃねえか」
「お前……人の話聞いてるか?」
「当たり前だろ」
 人を馬鹿にする笑みを浮かべ続ける岩城の前、二の句を継げなくなった慎吾。これを見られただけで、今日は峠に来た甲斐があったってもんだ。普段大口も軽口も悪口も正論も皮肉も言いまくりの奴が、言葉を出せなくなる場面を二度も拝むことができたんだからな。さてこの後慎吾はどうするのかと見ていると、慎吾ではなく岩城さんが先に動いた。不意に笑顔を引っ込め、真顔になって慎吾に向かう。
「一応言っとくけどな」
「何だ。俺も心は狭かねえ。今だけ訂正のチャンスをやる」
「ヘラヘラはしてないぜ、あいつは」
 岩城がそれを笑いもしないで出してきたのは、話を聞いていた証拠としてかもしれない。だがもしかしたら訂正のチャンスに乗じたのかもしれないし、庇うという意味もあったのかもしれない。何をかといえば、もちろん毅さんのことだ。その時の二人の睨み合いときたら、他の誰も入り込めない、当人同士で完結しきっている、ある意味で完璧なものだった。互いの腹の底を探り合っているようで、自分の譲れないものを主張し合っているような、顔を見ているだけだというのに人間性がぶつかっている緊迫感が、すぐ隣にいる俺にはひしひしと感じられて、慎吾が馬鹿馬鹿しそうに岩城から視線を外すまで、思いのほか冷や汗をかいてしまっていた。
「んなことてめえに言われなくても……」
 慎吾はごくごく小さい声でそう呟いてから、大きくため息吐いて、犬でも追っ払うように投げやりに手を振った。
「とにかく、俺はあんたとは走らねえ。他当たるんだな」
「そりゃ分かった。けどまあ、気が変わったらいつでも言ってくれ。お前とは一回、やってみてえからよ」
 にやりと笑うその顔は、慎吾以上の悪人面だった。誰の目にも明らかだ。軍配上がるは岩城清次。白いランエボへのもとへと去っていくその人の後ろ姿を眺めている慎吾の、歯軋りしたそうな様子ときたら、だからこいつは分かりやすいんだと思えてくる、まあ、今さっきの岩城に比べりゃよほど可愛いもんだった。それ言ったら絞められるから言いはしないが。
 しかし岩城さんも随分図太くすげえもんだが、一番すげえのって、その人と慎吾とタメ張れて、そしてその二人に気を遣わせている、我らがリーダー格なのかもしれない。俺はあまり気にならないが、ここまで胃が痛そうな面になっている慎吾は、これからも苦労するだろうな。その点だけは同情しちまう。それも言いはしないが。お生憎様、俺は面白さより命を取る方なんでね。
(終)

2008/05/25
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