ステークホルダー 2/2
清次が中里を横抱きにし、ベッドに運んだ。京一は後から続き、寝室の電気を点けた。そのまま清次に処理を任せてリビングに戻っても良かったが、拭い切れない不安がその選択を捨てさせた。清次は動物的な勘は鋭くとも、どうにも粗忽な男だ。状態の変化の前兆を見逃しかねず、薬物を摂取した中里と二人きりにするには信用に欠けた。何より自分の目で確かめていなければ、安心もできない。
結局京一は寝室に残ることにした。かといって行為をしげしげ見るのもためらわれ、ベッドの端に腰を下ろす。煙草を吸おうと思ったが、気になってつい、後ろへ目をやっていた。こんな時のために備えたのではないキングサイズのベッドの中央、仰向けに寝かされた中里の寝巻の下に、腕まくりをした清次が手をかけたところだった。
「脱がせるのか」
過剰な行為に思えて聞くと、清次は怪訝そうな顔を向けてきた。
「服汚したら、可哀想だろ。上頼む」
当然のように清次は答え、中里の下半身を覆う服を素早く乱暴に脱がし、露出させた足の間に座った。その中心にそびえるペニスを、節くれだった清次の右手が躊躇なく掴み、上下に擦り始める。
「あッ、あぁ……ッ」
その手つきは変わらず乱暴だが、中里は陶然とした風に高く掠れた声を上げ、肩と尻をシーツに擦りつけるように背を反らした。息は乱れ、頬には赤みが増し、ペニスからは粘液の掻き混ぜられる音が立つ。その音が頭の奥をじくじくと疼かせ、京一の思考を浅くした。最初からこの様子では、体液が服につくのも時間の問題だろう。このグレーの寝間着は中里が持ってきたものだ。それを汚すのは確かに可哀想だった。脱がせてやった方が良い。浅い思考が出した結論に従い、京一は動いていた。
ベッドに上り、中里の頭側に座る。その上半身を横から起こし、左腕で抱えながら右手でシャツをまくり上げ、首筋から脱がせた。
「はぁ、はっ……んっ……はあ……」
片腕ずつ袖を抜いて裸にする間も、中里は京一の腕の中で性感に身をよじって喘ぎ、その常と異質のしどけない様相と、酒の匂いを潜めた肉欲に湿る体臭を傍にして、京一は頭の奥の疼く部分が、じんと麻痺したように熱くなるのを感じた。自分が危うく思え、すぐに離れようとするも、その前に脇の下から回された手に背中を掴まれ動けなくなる。瞬間的に動揺しながら見下ろすと、中里が見上げてくるところだった。
「……須藤……」
その目は欲情に濡れ光り、声は期待に掠れていた。口からは赤い舌の先端が覗く。ぞくりと背筋を駆け上るものを感じながら、唇の上まで這い出した中里のそれに、同じ肉で触れることを求められていると、京一は一目で理解した。中里は、キスをされたがっている。薬の影響で、快感を次々欲する状態になっているのだろう。ペニスだけではなく、口でも感じたがっているのだ。それは拒むべき事柄だった。勃起を解消してやるのは射精という終わりがある。キスとなるとそうもいかない。続けようと思えばいつまでも続けられる。飽きるまで触れ合っていられる。きりがない。元より男同士でキスをする趣味は京一にはない。後は清次に勃起の処理を任せ、健康が悪化しないかだけを見張っていれば良い。
だが、普段偶然手が触れただけで狼狽し、気まずそうに距離を置く中里が、離れたくなさそうに背中を掴んできて、潤んだ目と開いた唇でより深い接触を誘ってくるこの状況は、普段抑えている京一の欲を、どうしようもなく掻き立てた。それは気にかかる相手の世話を焼かずにはいられないという、京一の内に根強くありながらも、極めて限定的な形に深化した支配欲だ。中里、たった一人のその男に、自分を求めさせたいという支配欲、そしてその求めるものを余さず与えて助けてやりたいという、庇護欲でもあった。それらに突き動かされ、京一は中里に唇を与えていた。
「ん、んぅ……」
はじめから深く口を合わせると、中里は舌を伸ばし、京一の舌を嬉々として迎え入れた。中里の熱くぬるぬるとした舌が舌に絡み、口腔を舐め回し、唇は唇に吸われる。呼吸のための間を置くことも我慢できないように、意地汚い肉食動物のようにがっつかれても、興醒めはしなかった。むしろ中里が自ら距離を縮め、そこまで欲望を剥き出しに、生々しく求めてくることに、京一は心地良い充足感と、舌の根が熱くなるような性的興奮を覚えていた。気付けば手が、中里の腹を撫で、胸を撫で、突起に指をかけていた。
「ッ、んッ、あっ」
触れる前から立っているそこを撫でると、離れかけた口から良い声が漏れた。下からは清次が中里のペニスを擦り立てる、粘着質な音が上がってくる。その音に合わせて乳首を親指で弾くと、中里はキスを続ける余裕もなさそうに、開いた口から嬌声を漏らした。
「ひ、ぃ……い、あ、あっ……」
だらしない口からは、涎まで漏れそうになっている。京一はそれに自分の口で蓋をしてやり、強張っている舌を強く吸いながら、乳首を指で捻るようにつまみ上げた。
「んんーッ……」
その刺激に耐えられなかったのか、中里は口の中で高く鳴くと、びくびくと体を痙攣させた。目だけで下を見れば、中里のペニスを握る清次の手を、白い液体がべっとりと濡らし、中里の胸を横切る京一の肘も、その飛沫を受けていた。
「汚されちまったな」
清次が笑いを含んだ声で言いながら、中里のペニスを絞るように擦り、残りの精液を吐き出させる。
「……は、はあ、はぁ……」
口を自由にしてやれば、中里は激しい運動をした後のように、荒く呼吸し、肩を揺らした。清次は四度手を動かし、京一を見た。
「ティッシュいいか」
「ああ」
京一は中里をそっとベッドに寝かし、後ろのヘッドボードに置いてあるボックスティッシュを手にした。二枚ティッシュを取ってから、箱を清次に回す。清次はまとめて何枚か抜き取り、精液のついた右手を拭う。京一はシャツの右袖についた精液を、今以上布地に染み込ませないようにティッシュで拭い、丸めてゴミ箱に放りざま、シーツの上に仰向けにさせた中里を見下ろした。まだ息は浅く、頬は上気し、ぼんやりとしている。
「満足したか」
「ひっ……」
だが京一が上からそっと聞いた途端、中里は鋭い刺激を加えられたようにびくりとし、濃いまつげに囲われた目を一頻り瞬かせてから、京一を見た。その目はいまだ欲情に濡れていた。唇から覗く舌は歯の間でひくひくと動く。中へと誘う動きだ。キスの続きを求めている動きだった。満足はしていないらしい。声にすら感じる体では、射精したところで満足にも至らないのだろう。そんな体に付き合っていたらきりがない。キスと同じだ。飽きるまで続いていく。そしてそのきりのないキスを、飽きるまで続けてやりたかったから、京一は中里の頭の横に肘をつき、顔を寄せ、再び唇を重ねていた。
「……ん、ぅう……」
くちゅくちゅと音を立てて唇を食い、舌を食わせる。そうしながら乳首を撫でてやると、舌の動きが激しくなる。唾液が零れるのも構わず、中里は京一の口を熱心に貪る。同じ男にここまでキスを求められるなど、本来は嫌悪感しか湧かない状況だった。しかし嫌悪感は欠片もない。あるのは中里に快感を求められている、そのことへの興奮だ。腰には狂おしい衝動まで生まれている。浅はかな昂りを示す自分を馬鹿馬鹿しく感じながらも、京一は堅固に思わざるを得ない。中里に、こうさせたかったのだ。こういう風に求められたかった。求めさせたかった。好意を、欲望を丸出しにした中里と、こうして近づくことを、直接触れ合うことを望んでいたのだ。はじめから、そうだったのかもしれなかった。
疲れたのか、中里の勢いが衰える。だが止まりはしない。健気に唇を押しつけてくる。受け身となっていた京一にはまだ余裕があり、苦しげな中里の求めに応じて、両の乳首を潰すように捏ねながら、一方的に口を犯してやった。
「んは……ッ、はあ……」
舌をしゃぶり尽くして解放すると、中里は汗の滴る真っ赤な顔を苦しげに歪ませながらも、満足げな息を吐いた。京一は被せていた体を起こし、中里の唇の端に溜まった唾液を親指で拭った。そこでふと視線を感じ、横を見る。視線の源は清次だった。ベッドの端に腰掛けた清次は、笑いながらこちらを見ていた。どぎつく卑しい笑みだった。そこに清次の存在にも構わず中里に没頭していた自分への揶揄を感じ、京一は声に険を含ませていた。
「何だ」
「また元気になってんぜ、そいつ」
だが清次はそれを意にも介さぬように笑いながら、そう続けた。言われて見てみれば、呼吸に合わせて上下する中里の腹筋の下、ペニスは再び隆起している。元々勃起力が高いのか、それも薬の効果なのか、どちらにしてもこの状況はまだ終わりそうにないらしい。
「なあ、俺もやってもいいか」
と、清次が不意に聞いてきた。京一が目を戻すと、その顔は真面目に整えられていたが、眉を上げて何のことかと問い返せば、また卑しい笑みが浮かんだ。
「お前とキスしてんの見てたら、むらむらきてよ。抜いてやるならどうせだろ」
その言い分を理解して、京一はつい顔を強張らせていた。それを誤解したらしい清次が、慌てた様子で両手を上げる。
「お前にじゃねえぞ、そいつにだから。俺には京一とキスしてえとかそういうやましい気持ちは一切ねえんだ」
そんなことは言われなくとも分かっていた。清次にあるのは中里とキスをしたいという、やましくない気持ちだけだろう。そしてそれこそが、京一の顔を強張らせたのだ。
「わざわざ言うな、くだらねえし、怪しく見える」
「……そうか?」
清次は気まずそうに顔をしかめ、京一はため息を吐き、再び中里を見た。浅い呼吸を繰り返しながら、時折腰をもぞりと動かして、そこへの刺激を求めている。このまま放っておけば、近く自慰を始めるに違いない。それでも中里は満足できるのかもしれない。一人で生み出す快楽だけで空白を埋められるのかもしれない。だが、京一はそれを許せない自分がいるのを感じる。独占欲に支配された自分だ。それは清次が中里に欲情することも許そうとしないが、それ以上に、清次にその自分の存在を知られることを許そうとしない。中里への独占欲を、中里以外に教えることを許さない。だが中里を放っておくことも、同等に許さなかった。
京一はもう一度ため息を吐いてから、中里の上半身を抱え起こし、顔をしかめたままの清次へ差し出した。
「こいつに直接聞いてみろ」
その理屈を言う自分が何を一番に望んでいるのか、京一には最早判然としなかった。
「んッ……ふっ……あ、あぅ……んん……」
唾液の擦れる音と、体液の擦れる下品な音と、中里の切れ切れの喘ぎ声が、明るい寝室に響く。清次は中里の後ろに座り、キスをしながら乳首とペニスを別々の手で弄っている。中里は清次の腕にすがりながら、体を幾度もくねらせている。京一はヘッドボードに置いた枕に背を預け胡坐を組み、煙草を吸いながらそれを見ている。こんな位置から見る必要もないと分かっているが、目を離せない。中里は清次の手に応えている。清次に高められている。その姿に、どす黒いものを掻き立てられる。誰でもいいのかと思う。誰でもいいのだろう。薬のせいだ。快感が紛れればそれでいい。中里の脳がそういう状態になっているだけだ。分かっているのに、清次が良いようにする中里を見て、腹にどす黒いものが溜まっていく。それを鎮めるように煙草をきつく吸い、股間に置いた灰皿に煙草の灰を落とす。清次が中里の口から、耳に唇を移す。中里が大仰に顎を反らす。
「ひ、あ」
「速えよな、お前、もうイきそうだろ」
「いッ……岩城ぃ……」
清次を呼んだ、その甘ったるい声を聞いて、京一は煙草のフィルターを指で折り曲げていた。頭蓋骨の中に、氷水を注入されたように、脳の後ろが冷えた。その冷たさが、辛うじて残っていた理性を切断した。潔白な傍観者を装うことを止めさせた。京一は煙草を灰皿に潰し、おもむろに、ヘッドボードの引き出しから、コンドームのパックと潤滑ジェルのチューブを取り出した。迷いはなかった。誰か別人が自分の体を動かしているようだった。その別人に迷いがないのだ。だがそれは間違いなく自分だった。冷静で合理的な主幹たろうとする自分ではない。感情的で嫉妬深い、凡庸な一人の男としての自分だった。
京一は清次に背を預けている中里の前に座り、足を開かせた。コンドームは横に置き、ジェルを指に絞り出す。その指を、尻の窄まりに差し入れた。
「んうっ……」
指を避けるように上がった腰を、片足を押さえることでその場に留める。
「京一?」
清次は手を止め、不可解そうな声を上げた。京一は清次を見た。中里の肩の後ろで、威圧的な感のある目を見開き、大げさに口を歪めている。
「続けてろ」
京一は中里の肛門を揉み解しながら言い、清次は眉間を盛り上げた。
「いや、でも」
「続けてろ」
意見を聞くつもりも、説明をするつもりもなかった。それを理解したのかは知れないが、考えるように斜めを見た清次は首をすくめて頷くと、中里を再び責め始めた。
「……あぁ、あ……」
その刺激を待ち侘びたように、中里は吐息に似た声を漏らし、肛門を緩ませる。その隙を逃さず、京一はそこへ中指を押し入れた。
「うっ……く、う……」
筋肉の収縮に合わせて指を奥へ進めると、中里は苦しげに呻いた。だが清次の手がさするペニスははちきれんばかりのままで、萎える気配もない。京一は皮膚にねっとりと張り付く粘膜の温みを感じながら、抵抗の少ない範囲で中指を押し引きし、そのついでに内壁を手前に引っ掻くように押した。
「あっ、あ」
それに連動し、中里が腹をくねらせ、叫ぶように嬌声を上げると、ペニスから精液を放出した。二度目の射精にしてなお胸まで噴き上げたその勢いに、ひゅう、と清次は口笛を吹いてねぎらうように中里のこめかみにキスをし、中里は絶頂を迎えて数度跳ねさせた体を、ぐったりと清次の胸に預けた。力の抜けた中里の尻は、京一の指を柔らかく受け入れる。中指に人差し指を添わせても、拒まれはしなかった。そうして京一が中里の尻を潤しながら拓き続けている間に、中里の腹を撫でていた清次が、嘆息しながら呟いた。
「フェラさせてえな」
京一は瞬間、臓腑を焦がす熱いものを感じた。嫉妬だった。清次は思い出したようにこちらを向く。
「いいか?」
尋ねてくる清次の顔には、純粋な劣情以外は見当たらなかった。中里に口で奉仕させることへの劣情だ。それを清次が抱いていることに、嫉妬がたぎり、内臓が焼かれる。だが、口腔でペニスを味わう行為に耽る中里を想像して京一が感じた興奮は、内臓どころか全身を焼き尽くすように、激しく強かった。その感覚を、誰にも知られたくはない。自分が中里の存在にもたらされる嫉妬も興奮も焦燥も、中里以外に教えてやりたくはない。それを清次に知られるよりは、清次が中里の口を性器で感じさせることの方が、まだ許せる。
中里は視線を虚空にさまよわせながらも、京一の指に反応を示す。腰を震わせ尻を伸縮させ、か細い声を漏らす。物足りないと言わんばかりだ。口と乳首とペニスを同時に満たされていた時と比べれば、実際物足りないのだろう。ならその不足は補ってやらねばならない。手段は提示されている。それはまだ、許せる手段なのだ。瞬きを二回する間にそう結論づけた京一は、手を動かしたまま、清次にそれとは別の理屈で応えた。
「無理はさせるなよ」
「おう」
頬を上げて頷いた清次が中里の上半身をベッドにゆっくりと下ろし、服を脱ぐ。汚さないためだろう。全裸になった清次は、中里の肩を下から持ち上げ、斜めに組んだ胡坐の上に載せる。そして股間の横に位置したその顔の前に、自身のたくましく太ったペニスを持っていった。
「口開けろ」
中里がその言葉を理解したかは知れなかった。だが京一が尻を弄る度に声を漏らしていた中里の緩んだ口は、清次がペニスの先端を触れさせると、その侵入を求めるように一層開かれ、すぐに雁首まで咥え込んだ。
「……ん……む……」
「噛むなよ」
清次はペニスに手を添えたまま、中里の頭に別の手を回し、腰にゆっくりと引き寄せる。幹の根元まで押し込み、反動で引かれたところを、また押し込む。中里は呻きながらもそれを従順に受け入れる。下の口は京一の指を三本まで受け入れた。締め付けて、奥へと誘う。そのはしたなさに、京一は否応なく中里とのキスを想起させられた。激しく絡みついてくる、熱い肉。それはキスの時と同じように、清次のペニスの粘膜を刺激しているのだろう。厚い唇が表面を吸うように撫ぜ、柔らかく硬い舌が裏筋をさすり、亀頭をねぶる。その感触を想像するだけで、京一の先端は濡れた。
「んぅ……ちゅっ……ぬぷっ……んふぅ……」
下品な音を立てながら、中里は清次のペニスをしゃぶり続ける。清次は心地良さそうな息を、感嘆の言葉と共に吐く。中里の頭は最早清次の補助を必要としていない。前後に一定の速さで、自発的に動いている。清次はそれをうっとりと撫でていたが、出し抜けに髪ごと掴み、腰から引き剥がした。
「んはっ……はあっ、はっ……」
「舌出せ」
解放された口から空気を貪る中里に、引き抜いたペニスを再度突き出して、清次が命じる。中里は慌ただしく呼吸をし、唾を飲み込んでから、清次に言われるがままに舌を出した。それに清次はペニスを舐めさせる。亀頭を舌ですくうように舐めさせ、幹を伝うように舐めさせ、陰嚢をくすぐるように舐めさせる。一通り終えると、今度はペニスを中里の手に持たせ、唇と舌だけでの愛撫を命じる。中里は清次の指示通りに動く。そうできるだけの意識はあるらしい。その程度の意識しか残ってはいないのかもしれない。清次の言うことを聞き、清次のペニスを味わえても、その行為がどれだけ淫らに映るのか、理解できてはいないのだろう。それがどれほど京一の肉欲を刺激するのか、知りもしない。
「うまいじゃねえか、ほら、ご褒美だ」
中里からペニスを取り戻した清次が、再び口に咥えさせる。中里はそれを変わらず熱心にしゃぶる。そうする中里のペニスは艶やかに濡れ勃ち、その尻は京一の指を三本とも呑み込もうとする。快楽の虜囚となって口腔奉仕する中里に追い詰められた清次は、堪えがたそうに中里の頭を掴むと、自ら腰を動かし始めた。
「……おっ……いいぜ、中里……」
「んっ、むぐっ、んんんッ……」
「最高だ、お前……あっ……あー、出る……ッ」
幾ばくかして、清次は中里の顔を股間に強く引き寄せ、唸った。絶頂の波がその筋肉を震わせ、それから解放された中里は、えずくように咳き込んだ。清次の精液に咽せたのだ。
「げっ、げえ、ごほっ……」
「よしよし」
清次は咳をする中里のよじれた背中を親身にさすり、中里は咳を挟みながらぜえぜえと喘いだ。その音が耳障りではなくなった頃、京一は中里の尻から指を抜き、腰を両手で掴んだ。膝で大きく下がってから、清次から奪うように、中里を引き寄せる。そして京一は部屋着の下を太腿まで下ろし、たぎらされたペニスにコンドームをつけた。それを手にして、広げた中里の後ろへ押し当てる。一つ呼吸を置いてから、昂りのほどを知らしめるように、じわじわと突き入れた。
「ぐうっ……」
中里が体を強張らせ、顔を歪める。だがねじ込んだものは、拒まれてはいない。体を被せながら、優しく腰を揺すると、動きに合わせて漏れ出る呻きは、最後に鳴くように高く上がった。歯を食いしばっては緩める中里の顔は、清次による喉への凌辱のためだろう、汗と涙に濡れている。京一がそれを指で拭うと、中里はむずがゆそうに瞬きをしたのち、涙の残る目を京一に据え、はっとしたようにそれを見開いた。
「やっ……あっ……な、なに……」
「ん?」
「何……須藤、これ、なに……」
中里は京一のペニスを甘く締め付けながら、舌がもつれたような声を出す。みっともない。そのみっともなさがたまらなく快美に感じられ、京一は薄く笑っていた。
「これか?」
「ひゃっ、あっ」
聞きながら浅く中を擦ってやると、中里は声を裏返し、京一の腕にすがった。京一は動きを止め、中里の反応を窺う。中里は、大きく開けた口から細く呼吸を取りながら、おずおずと京一を見上げ、下方へと頭をもたげる。その目に結合部が克明に映るように、京一は持ち上げた腰を、大げさに動かした。
「これだろ?」
「あっ、これッ……」
中里は下腹部へ目をやったまま、これ、と繰り返し、京一の袖を握る。京一は薄く笑ったまま、囁くように聞いた。
「何だと思う」
「これ、すどう、須藤の……」
「俺の?」
「須藤の、ちんぽ……ちんぽ、入ってる……」
子供じみた言い方に、背筋が震えるほどの官能が煽られ、当たりだ、と京一は中里の額に落ちている前髪を掻き上げキスをしてから、体を起こした。まとわりつく布が鬱陶しく思えた。中里の手から腕を外し、尻からペニスは外さず、上の服を脱いで、下の服を片足ずつ抜き取る。全裸になってから腰を据え直すと、奥にいる清次と目が合った。裸のまま、立てた右膝の上で腕を組みながら、餓えた視線を送ってきている。中里を貫いていることへの、強烈な羨望を向けてきている。それを受け、京一は優越感にぞくぞくすると同時に、この状態を、初めての尻での性交に感じる中里を、自分のペニスで淫靡に乱れる中里を、誇示したい衝動に駆られた。
「待ってろ」
言うと、清次は喉の動きが分かるように大きく唾を飲み、ああ、と水分の足りない声で頷いた。京一は再び中里に上に覆い被さり、肩を抱きながら、静かに腰を進めた。
「はっ、はひっ、いっ……」
摩擦する度に中里は喘ぎ、紅潮しきりの顔を、切なそうに歪めては弛ませる。中里の尻は京一のペニスによく馴染み、収縮する肉は濃密な快感をもたらす。喘ぎながら、中里が腕を首に回してくる。散乱しかけている目が、京一を捉える。京一は笑っている。全身を内側から震わす興奮とは別種の、安らかな愉悦が頬を上げ、それでも満ち足りない欲望が、言葉を使う。
「どうだ、中里」
「い、いい……」
「どうなんだ、どういいんだ」
「熱、熱い……」
「熱いだけか?」
性急な自分の口調に、自嘲が漏れてくるが、そうやって促すと、中里が素直に応えてくるために、改めようという気にもならない。
「熱くて……硬くて、おっきい……中、当たって、すごい……」
「すごい?」
「すごい、いっ、いい、気持ちい……」
「気持ちいいか、これが」
「いい、須藤、ちんぽ、気持ちいい……」
動きの緩慢な口から、中里はだらだらと卑猥な言葉を零してよがる。その素直さを褒めるように、京一は中里にキスをした。唇と舌と唾液を与え、清次の精液に犯された口を、奥深くまで清めてやる。中里は嬉しそうに尻をひくつかせ、それを受け入れる。味を上塗りし、京一は唇を中里の頬へと滑らせた。小さく吸いつき、顎、首、鎖骨と下りていく。胸を舐め、腫れたように立っている乳首を唇の内側に入れながら律動を速くすると、中里は仰け反って乱れた。
「いっ、あッ、ああぁ……」
肩の裏側に中里の指が食い込んでくる、その痛みに刺激され、京一は中里の乳首に噛みつき、一層速く腰を打ち振った。気忙しい快感がごっそり背骨を駆け抜け、筋肉を跳ね上げる。勝手に背が反り、腰が進み、電気が走ったように太腿が震える。射精はもう間近だった。それを求める欲望が暴走した。
「……はっ、中里……ッ」
「すど、すどぉ……」
強引になった抽送にも、中里は恍惚の表情で悲鳴に似た嬌声を上げ続け、やがて大きく全身を痙攣させた。腹にとろりと生温かいものがかかる。中里の絶頂の証であるそれが、陰毛をくすぐった瞬間、京一は圧倒的な快楽に押し流され、中里の尻の中で精液を放出していた。
重なり合ったまま、情交の余韻に浸る。それが薄れると、名残惜しさが際立った。唇の表皮に吸いつくだけのキスをし、中里はそれにわずかに反応を示したが、呼吸するのに精一杯の様子で、京一の肩を掴んでいた手は、だらりと頭の横に落ちた。休憩が必要らしい。京一は最後に一度、音を立てて吸いついた唇を離し、体を起こして中里の尻からペニスを引き抜いた。
「……あ……」
中里がかすかな声を上げ、体を小さく震わせてから、四肢をシーツに沈ませる。京一はコンドームを始末して、ベッドに座り直し、一つ深く息を吐いた。頭の奥に引っかかるものがある。射精をしてから、その違和感はじわじわせり出してきた。何かが主張しようとしている。この状況に、何かを投じようとしている。煙草が吸いたくなった。一服しながら、頭の奥の違和感を探ろうとした。
「京一」
動く前、声が飛んできた。奥を見ると、素裸のままの清次が開いた膝を畳んで座り、両手を広げながら、股間にそそり立つペニスと同調したような、劣情と期待に染まった卑しい笑みを浮かべていた。だがその目には、中里を抱いた京一への羨望ではなく、中里を極みまで導いた京一への、謙虚な敬意が満ちていた。一連の行為において、清次は二番に下ることを甘受したのだ。そして、一番たる京一の許しを待っている。
ぞくぞくと、また優越感が皮膚を這い、頭の奥の違和感を消していった。京一は、中里を見た。呼吸は落ち着きを取り戻しているが、体はもぞもぞと動き始めている。まだ、足りないのだろう。今すぐ、新たに欲しいのだろう。京一は清次に目を戻した。清次は眉頭と唇の端を、伺いを立てるように一緒に上げる。中里は快感を求めている。自分は疲労の只中にある。清次はすぐに役立てる。澄んだ思考が、速やかに決断を下した。
「無理はさせるなよ」
最早筋の通らない言葉を、権威を示すためだけに、京一は吐いた。
中里を四つん這いにさせて、清次は後ろから責めている。中里は腕に力を入れられないらしく、犬が伏せるような体勢となり、京一のペニスを手と口で愛撫している。射精したばかりでは鈍かったものも、時間が経てば勢いを取り戻す。情熱的に求められれば尚更だ。十分に勃ち上がったところで、京一は中里の頭を股間から押しやった。中里は虚を突かれたように見上げてきたが、その頭を慈しむように撫でてやると、情欲の火照りを強く表している頬を、うっとりと京一の太腿に擦りつけた。舌を出して喜ぶ犬のようだ。浅ましい。だが、滑稽には感じない。京一の顔に浮かんでくるのは嘲笑ではない。中里のその浅ましさがゆえに満ち溢れる庇護欲と、尋常ではない事態に抑制を解かれた生来的な嗜虐性とが感じさせる、純粋な愉悦に基づく笑みだった。
ほどなくして清次が中里の尻を引き付けた体勢で止まり、短く吠えて無骨な顔に吐精の快感をにじませた。その衝撃に伸び上がった中里の背に唇を押し付けて、清次は離れる。中里は清次に貫かれる緊張が解けたように、京一の足の上に頭を落とし、深い呼吸を取った。京一はその頭を一度撫で、次に挿入する準備をした。中里の求めたものを、与えるためだ。
と、中里の頭が京一の足から浮き上がる。清次が後ろから、中里を抱き起こしていた。これ以上何をするというのか、清次の意図を読めずに京一は眉をひそめたが、清次は中里の肩の横から京一を見て、おじけもせず清々しいほどに嫌らしい笑みを浮かべた。何かの予感が京一の背を粟立てた。悪寒にも似ているが、それよりは甘美な予感だった。清次は前に座らせた中里の膝に手を置き、その間に潜む欲望を京一に見せつけるように足を開かせながら、中里に耳打ちする。中里がびくりと震える。その濃いまつげまで濡れている目が京一を向く。涎をせき止められていない口が、動く。
「京一……」
甘く掠れた声に呼ばれ、ぞくり、と妖しいものが京一の背筋を走った。中里は京一を熱い目で捉えたまま、立てた膝の下から回した両手を、尻たぶに当てた。そのまま指で、赤く熟れた肛門を、広げてみせる。
「ちんぽ、入れて、ください……きょういち……」
蕩けた顔での稚拙な、だからこそこれ以上もなく淫らな、中里の哀願だった。京一は、全身を官能で燃やされたような感覚に襲われた。あらゆる筋肉が熱く焼け、心臓が縮み、尿道から精液が噴き上げそうになった。それを何とか堪えると、急激な変化を過ぎたためか、鼓動は速まり汗は噴き出しと肉体は落ち着いていないにも関わらず、頭は妙に醒めてきた。
「……清次」
ひとまずこんな事態を演出した清次に軽く凄む。だが清次は変わらず嫌らしい、従者であり共犯者でもある笑みを浮かべながら、堂々と言うものだ。
「いいだろ?」
そうだ。良い。たまらなく、良い。もう一度頼まれれば、入れる前に射精してしまうだろうと思えるほどに、悦い。だから悪い。そこまで自分が中里に、粗野で素朴に雄臭いこの男に、淫らに振る舞われて興奮しながら、それを情で支配したくなるという現実は、どうにも質が悪いのだが、それを清次に言っても詮ないことだった。元より教えるつもりもない。京一は眉間を険しくしたままため息らしいものだけを吐き、中里の足を清次から取って、中里が開いたままの尻に、求められている剛直を挿入した。
「あぁ……」
中里は充足したような吐息を漏らしながら、京一を愛おしげに締めつけた。その刺激には十分堪えられることを確認し、京一は中里の体も清次から取った。
「お前、先に風呂に入ってろ」
「あ?」
中里を胸に抱いて、清次に言う。中里を失った清次は、呆気に取られたように見開いた目を、二度瞬いた。
「これ以上はやりすぎだ。俺もこいつを連れて、すぐに行く」
そう続けた京一が、同意を促すように眉を上げると、清次は素早く瞬きを繰り返してから、怪訝そうに顔をしかめた。
「すぐか?」
「時間はかけねえよ。負担をかけたくもない」
嘘ではない。醒めた頭は限度を判別している。本来ならもう終えているべきだった。求められても断るべきだった。しかし、受け入れた以上は、できるだけ短く、与えてやるしかない。だが、それだけが理由でもない。既に一度射精しているが、長くもたせる自信もなかった。中里の、媚態のせいだ。それを引き出した清次は、その責任を自覚してはいないのだろう、腑に落ちないように斜めに曖昧に頷きながらも、京一の命令には抗わずシーツの上に脱ぎ捨てた服を拾い集め、ベッドから下り、しかしドアに向かう前に、再びしかめた顔で京一を見た。
「ホントにすぐか?」
何度聞かれてもその答えは変わらないが、おそらく京一が早漏ではないと確信しているからこそ疑ってきている清次に、すぐに終わると繰り返しても納得させる効果がないことは明らかだ。質問の無意味さを知らせるには、冗談の色を薄めて脅すに限る。
「殴られてえのか?」
「いや、まさか。じゃあ、お先に」
大げさに首を横に振り、慌ただしく縦にも振った清次は、真面目たらしくそう言って、裸のまま寝室から出、ドアを閉めた。京一はそれを見送り、他人に自分の調子を乱されずに済む、清次にこれ以上中里を触られずに済むことからの、安堵の息を吐いた。途端、胸に抱いたままの中里が小さく鳴き、背にしがみついてきて、大きく震えた。一息吐くにはまだ、早いようだった。
そのままじっと待ち、中里の体から緊張が抜けるの見計らって、ベッドに倒す。この差し迫った状態でも、ある程度までなら続けられる自信はあった。だがそうすると、中里を焦らすことになる。それよりも今はただ中里を、自分のすべてで満たしてやりたかった。そのために京一は、やめるべき状況でも中里を貫き通し、清次のことを表向き、欠陥のない理由でもって追い払ったのだ。
「二人きりだな」
動く前に、京一は中里を間近で見下ろしながら言った。陳腐な言葉だと思った。今更だ。だが、事実だった。中里は、ぼんやりと見上げてくる。体液に塗れたその赤い顔の、目も口も力なく半開きで、まだ意識を保っているかは怪しかった。だが、それでも中里が、わずかに頷いたように、京一には見えた。二人きりというその事実を、はっきりと認めたように見え、即座に京一は、唇を重ねていた。
「ん、ん」
舌を探り、吸い上げながら、ペニスを押し込む。鼻から甘い声を漏らした中里が、背に爪を立ててくる。皮膚を引っかかれるのも構わず、京一は欲望に任せて腰を振るった。合間に舌先を触れ合わせ、首から胸を犬のように忙しなく舐め、また唇に戻る。肉を打つ音が響く。中里は息をするように高い声を上げながら、京一の腰に足を絡ませ、自ら動き、外からも内からも、刺激を加えてきた。ペニスが擦られ、圧迫される、鮮烈な快感が高まっていく。限界が近くなる。動きを速めると、中里は泣きそうな、もう泣いているような顔で、京一を見た。
「ひっ、い、だめ、も」
「中里」
「だめ、きょういち、いく、いくっ……」
どうしたと聞く前に、顔と同じく、泣きそうな、もう泣いているような声で、中里は応えた。その極みを迎えようとしている生々しい姿に、声に、言葉に、京一は引きずられた。分かっているのだ。中里は、自分が快感をもたらしていることを、自分だけが抱いていることを、分かっている。それを分かったら、堪えようはなかった。
「俺もッ、出すぜ、中里……ッ」
「出して、出して、きょういちぃ……」
請われるまま、熱い衝動のままに、京一は溜まりに溜まった精液をペニスから吐き出した。だが中里にそれが伝わったかどうかは知れなかった。京一が絶頂に達する前に、中里は大きく痙攣し、気を失ったからだ。
眠るつもりはなかったが、気付けば部屋は窓明かりで満ちていた。訓練された頑丈さはいつでも休息を貪ろうとする。肉体には都合が良い。精神にも、悪くはないだろう。睡眠不足の状態では、ろくに思考も回らない。
だが、たっぷり眠ったからといって万全の解決方法が閃くかといえば、そうはうまくもいかないものだ。寝室のベッドの上で目覚めた京一は、自分のいる状況を把握して真っ先に、隣に寝かせた中里の様子を確認した。顔色も、呼吸も心拍も正常のようだった。頭を撫でれば身じろぎする。目を離した間に最悪の事態が起こらなかったことに深く安堵し、全身からぬるい汗が噴き出した。それが冷えていくにつれ、四肢に残る疲労がまざまざ感じられた。久々に、激しい性行為に励んだ疲労だ。状況は悪化はしていない。同時に、良化もしていない。寝る以前から何も変わってはいない。問題は、何も解決されていないのだ。明晰になった頭が際立たせる外部に関与されないがゆえの一定性に、京一はもどかしさを覚えながら、中里の様子をもう一度くまなく見た。眠っているだけだ。それを確かめて、ベッドから出た。喉が渇いていた。
居間のテーブルに、空のペットボトルが置いてあった。昨夜、風呂上がりに飲んで、そのまま片付けるのを忘れていたミネラルウォーターだ。半分以上残っていたはずだが、誰かが飲み干したらしい。清次以外には考えられなかった。おそらく帰る前に見つけて、飲みたいから飲んだのだろう。そういう奴だ。清次に自分の所有物を許可なく使われることに、京一も苛立ちを覚えないわけではない。だが、叱責せねば気が済まないほどの憤りにまで、それが発展することもない。清次と共有することにはもう慣れた。京一は冷蔵庫から新しいミネラルウォーターを取り出して、一息で半分干した。勢い余って唇を伝う水を手首で拭いながら、清次と共有することについて考える。共有したことについて考える。中里についてだ。良い気分にはならなかった。こればかりは、共有し続けられないかもしれない。そもそも、所有できるものでもない。
ペットボトルを居間のテーブルに残してベッドに戻り、中里の横で、寝起きの一服をした。性交の痕跡は、清次にも半分手伝わせて、すべて消した。だが中里の肉体の痕跡までは消せはしない。事を覚えているかどうかは、中里が起きてみなければ分からない。覚えていた場合は、非常事態下における、緊急避難的措置だったと言いくるめるしかない。下手に疑問を持たせる余地を残せば、ただでさえ遠慮をする上に、性的な話題が得意ではない中里のことだ、清次への因縁が消えてなくとも、二度と栃木には来なくなるだろう。その結果だけは招きたくはない。覚えていない場合は、隠し通すだけだ。だから清次は早々に帰した。自分の意に染まない嘘は吐けない男だから、同じ場にいれば、必ず中里に事実を喋る。だが、いつまでも清次と中里を引き離しているわけにもいかない。二人の走り屋の距離は近い。峠で会っても支障が出ないように、早めに解決するしかない。
だが、ではどうすべきかという考えは、不思議なほどに浮かんでこなかった。最も忌み嫌う、正当な思索に基づかない、姑息な対応を自分が取ろうとしていることが、京一には不思議だった。かといって、それを改める気にもならなかった。
と、衣擦れの音が大きくした。隣からだ。見ると、中里が丁度、薄目を開けた。眩しそうに何度も瞬きをしてから、京一を見上げる。
「……須藤?」
低く、掠れた声だった。中里はそのまま横に体を倒し、起き上がろうとしてか肩と頭を上げかけて、呻き声を上げて突っ伏し、咳き込んだ。
「大丈夫か」
京一は煙草を灰皿に押し潰し、中里の背を撫でた。耳障りな咳を終え、深く息を吐いた中里が、信じがたそうに言う。
「……起きれねえ」
それはそうだろう。あれだけやられておいて元気でいたら、健康的には安心できるが、色々と疑わざるを得ない。京一は気取られぬ程度のため息を吐き、なだめるように中里の背を小さく叩いた。
「無理するなよ」
「いや……ああ……」
「気分はどうだ、気持ち悪くないか?」
顔色はひどくはなさそうだが、薬の影響が気にかかった。中里は枕の上で斜めにした顔を、複雑そうに歪めた。
「気持ち……悪い、っつーか、すげえ、だるい、ような……」
掠れた声で、合間合間に咳をしながら、中里は素直に答え、布団の下でもぞりと動く。
「……辛いもんでも食ったのか……?」
深刻な呟きは、道は正しいが、発想の方向性が残念だ。京一が再び気取られぬ程度のため息を吐き、背をさすってやると、中里は苦々しげに言った。
「クソ、何も思い出せねえ……」
京一は止めかけた手を、不審に思われないよう動かし続けた。中里の記憶は、失われているらしい。アルコールと薬物の影響による逆行性健忘症のようなものだろう。京一はひとまず無理を通す必要はないことに安心し、次には昨夜の行為をすべて忘れられていることに、欠落感を覚えた。この中里の親しさは、寝起きと体力低下による一過性に違いない。もう少し休み、通常の状態に戻れば、関係も元に戻る。何もなかったように、遠慮をする関係となる。
「悪いな……よく分かんねえが……世話、かけただろ」
ぎこちなく言った中里が、首をねじって見上げてきた。京一は、それを見下ろした。中里はばつが悪そうな顔をしている。何も覚えてはいないから、世話をかけたという推測をしているのだろう。酒を飲みすぎて、醜態を晒したと思っているのかもしれない。それほどの酒を京一が出すわけがないとは思いもしていない。それでも非は己にあるのだと、中里は考えている。動かない体を持て余しながら、京一に謝ることは忘れない。その居心地悪そうなままの顔に、京一は無意識に顔を寄せていた。
「そうでもねえよ」
かさついた唇に唇を押し当て、離れ、言うと、中里はぽかんと見上げてくる。昨夜何度も深く重ねたのに、初めて触れたような居たたまれなさがこみ上げた。
「今日は休みだろ、まだ寝とけ」
返事も聞かず、京一は寝室を出た。ドアの開閉は静かにしたが、ソファに座り込む時には力が抜けて、体重を預けていた。両手で覆う顔が熱いのは、この関係を、今さっき、踏み越えたからだろう。越えるのは存外簡単だが、後の処理は厳しいものもある。だが、昨夜のことを考えれば、耐えられないものでもない。
テーブルに置いた、ミネラルウォーターの残りを煽る。冷たい水が喉を通る。頭が冷える。筋道が見えてくる。この先どうするべきかが知れてくる。隠し通すことは不可能だ。忘れられたくもない。忘れさせたくはない。自分の勝手な振る舞いを、清次の介入を、中里の媚態を、忘れさせたくはない。記憶に深く刻ませたい。それをもって、新たな関係を築きたい。走り屋としてだけではない、一人の男として、一人の男である中里と、接していたい。最初からだ。初めて会った時から、そうだった。泊まらせるようになって半年経って、不測の事態で例外的な肉体関係を持つまで、それに正確には気付けなかった。自覚が遅いにもほどがある。時機は逸しているのかもしれない。だが、このまま引き下がるつもりもない。遠慮をさせるつもりはない。そこに、遠慮をしてやるつもりはない。それを失うくらいなら、道理を捨てても構わない、そう思えるほどのものが、目の前にある。今更だろうが無理筋だろうが何だろうが、押し通し、所有できなかろうが、手に入れてやるつもりだった。
思考を固めた京一は、ひとまず中里が二度寝に入ったかどうかを確かめることにした。すべてを話すにせよ、それからだ。
(終)
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