誠意 1/3
定期的に行なっているダウンヒルのタイムアタックを終えた中里は、駐車場で他のメンバー三人と、あそこのディーラーはいいだの何だのと他愛もない雑談を交わしていた。
会話が途切れたところで、駐車場内に目を走らせる。
休日のこの時間帯には必ずあるはずの車は、やはり見当たらなかった。
「慎吾が来るかどうか、聞いてるか」
走りに人生の大方を消費している庄司慎吾が、事前連絡もなくここまで遅れることは珍しい。中里は不思議に思い慎吾と割合親しいと思わしきメンバーの一人に話を振ってみたが、さあ、と首を振られた。今日はもう来ないんじゃないんすかね、と一人が言い、中里もそうかもな、と言ったところで、噂をすれば何とやら、荒々しい運転で赤のシビックが突っ込んできた。急激に唸りを止め、ドアが乱暴に開き、その男が現れる。
「計ったように来たな」
一人が言い、他の二人が笑い、中里も僅かに口角を上げた。だがその笑みも、慎吾の出で立ちを見た瞬間にピシリと凍りついた。
黒地にハイビスカス柄のアロハシャツ。ボタンの開かれたその下は、紫の下地に胸元に大きく『龍』と筆文字で白抜きされたタンクトップ。首には安っぽいネックレスの束。三本線の入った白いジャージの下、素足に雪駄が見えている。
その格好でどこか腹立たしそうな表情で目の前まで来、「おい毅、流すから付き合え」と言ってきた慎吾を、中里は腕を組んだまま上から下までつぶさに眺め、うなった。
峠に来る場合走りが妨害されない服装ならば何でも良い、それが中里の知る慎吾のスタイルだったが、これはもうそういう話ではない。
「……お前、思い切った路線変更したなあ」
その潔さに感心した中里に、ちげえよバカ、と慎吾は苛立ちを隠さず吐き捨てた。
「こんな動きづらくて空気調整できない服が、俺の趣味なわけねえだろ。これにはな、お前ごときじゃ理解できない深い事情があるんだよ」
出で立ちと口調から、慎吾には常よりも威圧感があった。服装一つで変わるものだ。元々慎吾は柄も目つきも悪い男だったが、品性の下劣さに磨きがかけられている。街ではもちろん峠でも関係を持ちたくない容貌だ。チームと無関係な客が慎吾の登場と同時に中里たちに背を向け距離を取っていることと、他の三人のメンバーが慎吾から二歩という絶対的な距離を崩さないことから、共通認識であることは明らかだった。
だがその程度で圧倒されることを良しとしない中里は、慎吾から一歩という距離を変えることなく、顎を撫でながら慎吾をうろんげに見た。
「お前にそんな深い事情が生まれるようなことが起こるってのは、イマイチ信じられねえな」
「てめえは俺を何だと思ってる」
「難しい質問をするな」
真面目に言い切った中里に、難しいのかよ、と慎吾はため息を吐くと、まあいいさ、と大仰に首を振り、軽快に語り出した。
「知り合いの女がな、付き合ってる奴がどの程度マジかどうか試したいっつーから、俺ともう一人のダチが引っ張り出されてよ。絡むんならいかにも低俗なチンピラがいい、っつーからこんな服押し付けられて、オプションでオレンジのグラサンと相手殴ったら自分の指がイカれるリングだ。正直あんま乗り気じゃなかったがそこまで用意されたらやらなきゃ仕方ねえ、ってことでいざ向かったら、その男ってのがボクサーくずれでよ。危うく俺の顔に傷がつくところだった」
言い終え、再びため息を吐いた慎吾に中里は「深くねえだろ事情」と指摘したが、うるせえよと一蹴された。
「これで報酬この服だけだぜ、冗談じゃねえや。こんな趣味の悪いモン誰が欲しいよ、売るに売れねえよ」
慎吾が天を仰いで嘆くと同時に、中里が何かを思いついたように「あ」とよく通る声を上げた。メンバーの一人が、どうしたんすか、とそっと窺った。
「いや、ちょっと思い出したんだが」
腰に手を当て言葉を切った中里に、何だよ、と慎吾は物騒な目をやって続きを促した。
「趣味が悪い服っつってよ」
「この服買い取るようなヤツでも思い出したか。いいぜ、処分してもらえんなら叩き売ってやる」
「高橋涼介」
「ああ?」
慎吾とメンバーから素っ頓狂な声が上がった。中里は具合悪そうに耳の後ろを掻きながら、系統違うか? と確かめるように各々を見た。
赤城山の帝王、白いMAZDARX-7FC3Sを操るカリスマ、歩くリーサルウェポンこと高橋涼介のファッションに関しては、群馬の走り屋の間で多くの伝説が残っていた。いわく純白のスーツに赤と黒のストライプ柄のシャツ、黒い革靴に裕次郎サングラスをかけてセカンドバッグ片手に早足で駆けていたとか、いわく小さな子犬が一面にプリントされたシャツの上に高級そうな革のジャケットを着ていたとか、いわく裾の長さが微妙に足りないズボンを履いていたとか、いわく素足に革靴だっただとか、様々だ。
が、しかし、それを趣味が悪いの一言で片付けるにしても、相手は高橋涼介なのだ。さすがの慎吾もそこまで妄想には走れず、お前なあ、と呆れた。
「いくらそう言ったって、あのお方にこの服はねえだろ。系統、っつーかジャンルが違う」
「意外と着こなすように思うんだがな。想像してみろよ」
無責任な中里に言われるがまま、慎吾はこの服装の高橋涼介を想像してみた。
オレンジのサングラスから透ける切れ長の目、ハイビスカス柄のアロハシャツは白い肌に映え、タンクトップから覗く首、鎖骨にかけてのラインが美しく感性をそそる。白のジャージと雪駄はワイルドさを付加し、ネックレスも指輪もすべてがブランドものに思えるほどのきらびやかさだ。彫刻のように精緻な顔は崩れることがなく、サングラスが映画俳優のするように外されると、濃いまつげに縁取られた涼やかな目が変わらず現れる。
なぜかバックに真紅の薔薇が踊った。
慎吾は口元を押さえ、何つーか、とくぐもった声で言った。
「着こなすといえば着こなしそうだが、こう、生物を超越しているみてえな、とてつもない気持ち悪さがあるぜ」
漫然とした沈黙がそれぞれの間に流れた。
「しかし一回見てみたいもんだな。どれだけの攻撃力があるものか」
再び中里が無責任な好奇心から言い、慎吾は途端、天啓にうたれた。
「着させてみるか」
中里とメンバーが息を止め、慎重に慎吾を見た。慎吾は己の発想力への慢心から不敵に笑った。
「俺は大して見たくねえがな。これ、ジョークとしちゃ最上級だぜ。この格好の高橋涼介が赤城山に現れてみろよ、あそこの連中ぶったまげるぞ」
高橋涼介が率いるチーム、赤城レッドサンズのメンバーはコンビニの前でたむろっていても警察に通報されない平和的な連中だ。よい子の比率が非常に高いのである。そんな連中が我らが王と崇め祭っている高橋涼介サマに、慎吾の服装をある意味着こなされて現れられたらどうなるか。興味深い話ではあった。
「……ぶったまげるというか、反応できねえんじゃねえか」
中里が注意深く言うと、面白そうじゃねえか、と慎吾はくつくつと笑った。
中里はあんな男があんな格好をしたらどうなるんだろうか、とあくまでも想像の中で楽しんでいただけであったため、一人乗り気の慎吾が暴走しそうな危惧を持った。
「つったってよ。この服をどうやって高橋涼介に着させるっていうんだ。大体どうやって渡すんだよ、自宅にでも送りつけるのか」
現実を諭すように中里が言うと、慎吾は何でもないように「お前が直接渡しゃいいだろ」と返してきた。逆に現実を突きつけられ、中里はうろたえた。
「何で俺なんだよ、オイ」
「お前の方が面識あるじゃねえか」
「だからってイヤだぜ俺は。これ渡して、一緒にドッキリしかけませんか? とでも言うのかよ」
慎吾は徐々にずり下がっていくジャージのウエスト部分を上げながら、頼むってのとはまた違うな、と真剣な声を出した。
「渡すだけでいいんだよ。後の処遇はカリスマさんに任せとけ、捨てるも拾うもあっちの勝手、こっちは渡すだけにしときゃいいさ」
「しかしだなあ」
引くも進むも煮え切らない中里に、それに考えてもみろ、と慎吾はもう一押しとばかりに言い立てた。
「リアクションは見ものかもしれねえぞ。中身はアレだが、お前が高橋涼介にプレゼントだってのは変わりがない。あれの弟なら陰謀説で済むが、アニキは接点少ねえだろ。いくら高橋涼介でも結構慌てるんじゃねえか」
中里は厳しく眉根を寄せ、考えた。自分が高橋涼介に心を込めてのプレゼントを贈るとも考えにくいし、かといって毒を仕込むほど恨んでいるとも考えにくいだろうから、高橋涼介が多少なりとも状況の把握に手間取るというのは十分にありえる。いついかなる時も他人の目が計算し尽くされているその堅固な仮面を、僅かでも崩せるかもしれないわけだ。なかなか好奇心がくすぐられる。
高橋涼介がそこまで一般的な純真さを持ち合わせているとは断言できないが、計画は大雑把にしろこれという粗もない。中古品を渡すにはためらわれるものの、捨てるも拾うも相手次第だ。時間的余裕もあるから実行は可能である。何より最近はパッとしたこともない。
冬に入る前に一花咲かせるのもいいんじゃねえか、と功名心に駆られた中里が、
「……なら、やってみるか」
と独り言のように呟いたところ、慎吾は満足げに笑い、他のメンバー三人はおお、と感嘆した。そのレスポンスの良さに中里は、やはりここは俺が出なけりゃならねえだろう、と意気を煽られ、うむ、と頷いた。
ただ相手が高橋涼介、ということに一抹の不安を感じないでもなかった。
「しかし、ヘタ打ったら俺はもう二度と群馬の峠に来れねえような気もするな」
幾ばくかの心配から言った中里の肩を、安心しろ、と毅然たる慎吾が叩いた。
「もしそうなったら、お前の分までこの俺が走り抜いてやる」
慎吾、と中里は感動しかけて、何かが違うことに気が付いた。
「……ちょっと待て、お前が走ってどうすんだ」
「大丈夫だ毅、お前の勇姿はみんな忘れない。だからあとは俺たちに任せて、遠慮しないで赤城山に骨をうずめに行ってこい」
意地悪い笑みを浮かべながら言った慎吾に向けた、「誰があっちに骨をうずめるか!」という中里の叫びが虚しくあたりにこだました。
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