曲解 1/2
第三者より  <  1  


 どうにもならない。高橋涼介は生活臭の薄い自室で、実用性を重視した椅子にゆったりと背中を預けたまま、薄い唇をひっそりと動かしそう呟いた。
 その言葉はあらゆる可能性を否定する。どうにもならない。どうにかなることはない。何をやろうとも、どのように変化することもない。
 それを数時間前に当たり前の現実として述べた、中里毅という男を涼介は思い浮かべた。重厚さと薄っぺらさをあわせ持つ顔立ちに、地味な服装、低く掠れている声、常に強張っている体。そして暑苦しい顔とは裏腹に、冷たくかさついていた右手。
 平凡な軽薄さを持つ男であった。
 住んでる次元が違う、ともその男は言った。涼介もそれは常々思っていたことであったから、その通りだと納得する。互いに走り屋と呼ばれていなければ、そして少しは名が知れていなければ、関わる次元には存しなかっただろう。次元。つまりは生活レベルだ。
 一週間前、中里が涼介を訪ねてわざわざ涼介のホームである赤城山までやって来て、幸福になるかの瀬戸際にいる人間のためという名目で涼介の写真を撮っている間、涼介はこの男と走り屋という前提を除外した形で出会ったら、どのような評価をくだしただろうかと想像しようとした。その時は情報と時間の不足からなせずに終わったため、涼介は少し情報が入った今、想像に挑戦しようとしたが、やめた。
 その想像は涼介の頭に不意に脈絡もなく浮かぶ、自分が高橋家の子供ではなかったらどのような人間に育っていたかという想像とよく似ていた。生まれ落ちた瞬間から確定されている、高橋家の長男であるという現実の重圧からの逃避のためのその想像は、常に色とりどりの花畑が一面に広がり、青空が伸び、蝶が舞うような和やかさで行なわれていた。実際花畑に寝転がって蝶と青空を見ているという想像もしたことがある。生き馬の目を抜くような日常においての清涼剤だった。
 だが二つの想像には、一つの確実な違いがある。後者は逃げ場は要らないと割り切った精神から行なわれていたが、前者、中里に関してはいまだ割り切られていないということだ。現実と対峙する手段はまだある、と希望を持っているのである。
 だから涼介は想像しようとすることを、やめた。生活レベルの差は会った当初から頑健にあるし、中里は我々が次元を越え手を取り合うことはないだろうと証言している。表向き可能性は否定されている。だが涼介にはそれでも、手段はあると考えられた。走り屋を除外しての部分で交流を持つための手段はある。
 そして、涼介は中里に些細な興味を持っていた。中里はまったく上流階級の人間とは縁遠い、生活臭しか発さないような男だったが、だからこその力強さがあった。
 須藤京一にも似ているものがあった。肥溜めや反吐の中を這いずり回ろうが、消えない苛烈さ。ただ須藤は己の生き様に強烈な信念を持っていた。いかなる時も揺るぎはしない、磐石たる礎であった。中里にはそれがない。常に動揺し不安定な、確約された将来にとんと縁のない、不完全な人間。それが涼介の見て取る中里だ。だからこそ涼介は、中里に対抗心をそそられない。細かな心理戦を制し、進退を掌握しようと思わされない。逐一構う気にもならない。だがその代わり、見ていたいと思う。底の底を舐めるように泥まみれで進む、そこにかかる熱と情と欲を、見届けてみたい。それが些細な興味だった。それもまた、現実との対峙を望む一因だった。
 幸いなことに、現段階で涼介には建前がある。机の上に置かれているインスタントカメラと封筒、そして純粋な好奇心から取り交わした約束だ。
 手始めにもう一度会う機会を取り持つためのその約束を果たすべく、涼介は目を閉じ、皮の厚い中里の右手の感触を思い出した。若干皮膚は冷えていた。汗を多少帯びていた。目に入れなかったから、外観は不明だ。だが感触からある程度は想像できる。力強い手だった。そのまま腕の骨と筋肉を想像する。平均よりは上の肉付きだろう。上腕、肩、首、胸、あばら骨、腹、陰毛、性器、股関節、大腿、膝、すね、足首、くるぶし、爪。そして全身に統合する。その裸体は特に愉快でもないが不快でもなかった。
 思考を中断させ、涼介は椅子から素早く立ち上がり、部屋を出て風呂場へ向かった。暗い廊下を通り、脱衣場で服を脱ぎ機械的に畳んで洗い場に入り、シャワーを出す。水が湯に変わる。湯気が上がる。適当に体を温めると、シャワーを止めずに浴槽のふちに腰かけて、しぶきと湯気が舞うのをじっと見た。そして湯を放つ音と膝に当たる音と床に当たる音を背景に、目を閉じ、思考を再開した。
 では、本格的に実験の開始としよう。まず中里を裸体にするような状況を設定してみる。無理矢理服を剥くのでは情緒に欠けるから、自発的に脱がせよう。どうやって? ここが妄想の真骨頂である。平常では考えられない、興奮のみを追及する前提を作るのだ。場所は涼介の部屋、季節は夏、時刻は午前0時、カーテンの引かれた室内で机上の電気スタンドのみが淡い光を放っている。そして中里は涼介が好きである。
 それはねえよ、と設定の滑稽さに笑おうとする冷静な自分を実験という建前で押し潰し、ともかく想像を続けた。
 涼介は椅子に座り肘掛けに右ひじを預け、右手で頬を支えながら脱げと命令する。中里は恥辱に顔を歪める。涼介がただじっと見据えていると、観念したようにシャツを脱ぎ、上半身をさらけ出す。その肉体には緊張が走っている。汗と光で陰影のつく肉が生々しく隆起している。荒い呼吸が耳につく。素早くジーンズのボタンを外しチャックを下ろすと、パンツごと脱ぐ。最後に靴下を片足立ちになり苦心しながら脱ぐと、裸体が現れる。熱っぽい顔で涼介を見る。涼介は組んでいた足を解き、中里を見る。中里がゆっくりと近づいてくる。涼介の足元にひざまずくと、震える手でズボンのボタンを外しチャックを下ろし、立ちかけている涼介の一物を硬い手で取り出し、硬い舌で裏筋を舐める。屈辱に目を濡らした中里が何かを訴えるように涼介を見上げる。涼介は何も言わず笑っている。笑っている。俺は笑っている。涼介は勃起したものを単調に慰めながら笑っていた。
 不意に笑いは殺ぎ落とされた。眉を寄せると、涼介は低くうめいて射精した。

 全身を泡まみれにし、くもりの浮かぶ鏡の前に立ち、さて、俺はこれからどうするべきだろうか、と涼介は考えた。今取るべき行動としては、シャワーによって泡を流し、手早く風呂から上がり着替えて部屋に戻り資料の整理をする、というものが最適であることは知れている。だが涼介は動かなかった。己の精美な顔と肉体をただ目に映しながら、再度考える。さて、俺はこれからどうするべきだろう。
 中里をもってしての自慰は可能であった。しかしそれが中里という素材のためか、己がひねくり出した妄想のためかは判然としていなかった。何の条件が揃えば絶対的に行なえるのかも不明である。ならば、と涼介は好奇心をくすぐられた。別の男でもできるかどうかを試せば良い。
 結果から言えば、その先は失敗のみだった。良識が許す範囲で同性の知人を総動員したが、勃起の兆候すら感じられなかった。最後に口直しのため女性を思い描こうとしたが、その頃には既にのぼせて思考が怪しくなっていた。指先のふやける感覚にも行動の切迫性を感じた涼介は、浴槽のふちに張り付いていた尻を剥がし、風呂場を洗ってから出て着替え、バスローブ姿で自分の部屋の窓の前に立った。窓の前には机の前と同様に、落ち着いた水色のカーテンが引かれている。涼介は目でそれをとらえ、端についている染みを認識しながら、更に考えた。さて、俺はこれからどうするべきだろう。
 中里の後が全滅だった因子として、一度で満足したか、気分が一杯だったか、設定に飽きたか、生身を感じてないからか、などなど様々が挙げられるため、それが中里のみによってなされることであると結論を出すには尚早だった。限られた条件のもと、たった一度成功したにすぎないのだ。
 では二度目はどうだろうか、と好奇心が呼び起こされる。設定を変えればどうだ、想像の順番を変えればどうだ。できるのか、できないのか。
 そして何より、本人を前にしても、想像と遜色はないのだろうか?
 猛烈に、試してみたかった。確かめたかった。だがそこまでいくと、日本における一般的社会人としての規範が失われてしまうのではないだろうかともよぎる。車を改造し爆音をあげ山を占領し走らせる趣味は、反社会的行為と言える面も持つが、まだ世間に認められる要素を持つものだ。極端に逸脱はしていない。
 しかし男が同性相手に性欲がわくかどうかを単純に試す趣味は、少なからず他人に生理的嫌悪を抱かせるだろうし、少子化社会では子をなす作業とはかけ離れているものであるから疎まれて当然であるし、おおやけを考えるに不道徳ともできる。やましさが付きまとう。
 ただしそこから派生する社会貢献への活力を考えると、無闇に捨てるべきでもない。世界を構成する歯車の一つとして活動するにあたり、生産能力を増加させる要素は重大だ。
 義務や立場をこなしていく中で、倦怠にとらわれないための刺激の一つ、社会に影響を与えないごく個人的な戯れとしてしまえば、大義名分は立つだろう。中里も涼介も子供ではなかった。また元来マジョリティである。問題はない。
 それに、と涼介は考える。何よりあいつは俺を嫌っていない。カメラの奥に佇む中里を見てから、涼介はそう確信するようになった。その瞬間に涼介の目に映った中里は、完璧な一つの彫像のように見えた。外見上の欠点はいくらでもあったが、欠点を欠点と思えないほどの完璧さがそこにはあった。それを見てしまうと、まるで世界に二人きりのような思いになった。思いはカメラを除いても、消えぬイメージとなって涼介の心にこびりついている。所詮錯覚だろう。だがあの錯覚を、中里も味わったに違いない。味わわない理由がない。あそこまで閉鎖された状況で、この俺に見惚れないわけがない。そう涼介は、本来ならば頼まれずとも立てる説明を飛ばし、己の存在を認識することと同等の確実さで断ずるのだ。
 中里は俺を嫌ってはいない。
 ならば不具合は何もなかった。現実との対峙は絶対的だし、建前もある。進むしかないのだ。そして相手は、他人からの影響を受けやすい、純朴かつ実直かつ愚鈍な男であり、感情を左右することなど至極平易ではずであった。
『どうにもならねえよ』
 そう、これはどうにもならないことだ。どうにかなることはない。どのように変化することもない。そういった限界の見える環境でこそ、力は十二分に出し切れる。伊達や酔狂ではない本気の遊びにも全身全霊をかけられる。どうにかなることはないのだから、愛や恋などという言葉は真偽を問わず神経を昂ぶらせる道具として使い、感情のみを指標として進められる。その中で、どこまで狂えるか、それが見ものであるのだ。
 涼介は己の思考の壮大さに気付き、馬鹿馬鹿しさに笑った。そして聞き慣れた音を窓の向こうから耳にし、愛すべき弟の帰宅を知った。



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