三者三様 1/3
冬と呼んで差し支えなくなるほど空気は凍てつき木々は見事に禿げている現在、各々が勝手に峠を超速度で駆け上がったり下ったりしている走り屋チームの妙義ナイトキッズは、皆で揃って冬眠宣言をしたばかりで、深夜の妙義山は若者どもの夢と欲望で溢れていた夏場からは考えられぬほど、虫の声も梢の騒ぐ音もなく、ただ静けさに満ちていた。
走るというつもりではなく、ただ名残惜しく、友人や知人の酒やら麻雀やらの誘いも断って峠へ足を運び、その静寂さと気温の低さに途方もない孤独を感じながら、十分ほど駐車場で立ち尽くしていた頃、風の鳴る音とは違う、自然的ではない音を耳にして、慎吾は思わず頬を上げたものだった。
黒々として見えるスカイラインは闇に映え、そこから降りたジーンズに黒皮のジャケット姿の中里も闇の申し子のような風情があり、それでも普段その男の抜け目の多さを良く知っている慎吾にとっては滑稽にしか見えず、顔には薄笑いが定着していたが、下車してすぐさま駆け寄ってきて、心底安堵したような顔と声で、
「お前ならここにいると思ったぜ」
と言われた時、悪戯の共犯同士のような親しさを覚えるよりも先に、慎吾は逃亡を促す感覚が己のうちに生まれたことを知り、笑みを持続するには顔の筋肉を酷使しなければならなかった。
だが、身構える必要もないほどに、話はごく単純だった。
以前も言及されていたことであるが、中里の現恋人であらせられる高橋涼介殿が、その弟と親友に一連の事情を告白する、一大説明会を、来週の日曜、午前十時に開くという。そこへ、いきさつを知る人間の一人として、慎吾に参加してほしいという打診が高橋涼介殿からなされているが、参加不参加どちらに丸をつけますか、ということだ。
それを知らせるために、伝達技術の発展も利用せず、中里はその足で、慎吾がいるかもしれないこの峠へやって来たわけだ。何とも無計画で、バクチ打ちである。
「といっても、お前に大して関係もねえからな。利益もあるとは俺は思わねえし、好きにしろ」
そうまとめた中里の顔は、しかし爽やかさで満ちていて、慎吾は違和感を覚えながらも、ああ、と頷いた。
走り屋生活を考えるとまずもって、中里が誰と付き合おうと――例えそれが野郎であり、才気活発天衣無縫完全無欠のレジェンドオブ走り屋、元赤城の一匹狼高橋涼介であろうとも――痴情のもつれの余波が及ばぬ限り、慎吾には無関係だった。それは一つ、正しい理屈だ。
しかし、ここでの重要な問題とは、慎吾が考える自分の立場ではなく、高橋涼介が見る慎吾の立場である。
不意に思いつき、慎吾は満足げに、お前、と出し抜けに聞いた。
「俺以外の誰かに、あいつと付き合ってるってこと白状したか?」
「できるわけねえだろ、そんなこと。何だ、突然」
不可解そうに顔をゆがめる中里へ、いや、何でも、と軽く肩をすくめ、それなら、と考える。自分は中里毅の知り合いの中で、唯一高橋涼介との関係を了承している人間ということだ。
それを高橋涼介は、どう見ているのだろうか?
事態を偶然知ってから一度だけ、あの男が妙義山に来た折に顔を合わせているが、高橋涼介は所有権のありかを提示し、今回の話の前振りをしたくらいで、慎吾に中里への対応の継続なり改善なりを求めることもしていない。今日に至るまで、他に何の接触も受けてはいない。ならば、中里に関するこちらへの表立っての不満はないはずだ。説明会へ出席しなかったところで、報復されることもないだろう。
「好きにする、ね」
呟くと、そうだ、と中里は律儀に相槌を打って、まあ決まったら連絡くれ、と言い、背を向けた。それを見ながら、数秒の間に考える。
この呼び出しは、おそらく弟への説明の『ついで』に過ぎない。偶然の機会だ。そして、偶然にも時間は空いている。近頃の一日平均睡眠時間は四時間を切っているが、呼び出されている時間帯は早朝コンビニレジ打ちと定食屋の厨房入りの間の、ある程度の暇だった。
とすれば、その時間を睡眠に費やすのと、大学のレポートの総仕上げに費やすのと、野郎と付き合う中里のフォロー役を務めるのと、最も価値があるのはどれかという話だ。
「日曜、十時だな」
腹から声を出すと、中里は立ち止まり、振り向き、ああ、とこちらもよく響く声を出した。慎吾は喉を鳴らすようい息を吸い、再び腹筋を使った。
「迎えに来いよ、そんくらい」
言って、素早く背を向けると、一拍遅れてから、「分かった」、とその声が背骨を震わした。慎吾は片手を軽く上げ、迷わず峠から去った。
曇り一つない広いガラスから見えるのは、視覚を惑わすほどの青空と、その中に淡く浮かんでいる太陽だった。腕に当たる光は穏やかで温かく、部屋を覆う暖房とあいまって眠気を誘う。
こんな快晴の日には、自室の煎餅ベッドで惰眠を貪るのが最善だったのかもしれない。慎吾は飛びかける意識を瞬きを駆使して引きとめながら、後悔し始めていた。
少なくとも、ごついシャンデリアがぶら下がっているやたらと高い天井、てらてら輝くフローリング、毛足の長い奇妙な配色の幾何学模様がほどこされた絨毯、鈍い光沢を持った統一感のある家具、そういったものがまとまって存在している人様の邸宅のリビングにて、窓辺に面した応接セットの、尻をどこまでも飲み込んでいくソファに座り、隣に男、前にも男、男に男に男に男に男という、柔らかい華やかさの欠片もない集団にいることは、賢い選択とは断言できない。
――眠い。
慎吾は窓の外、白々と光っている庭から、雪が浅く積もる路面を想像し、新装開店のパチンコ屋や紫煙が充満する雀荘や、ゴミ袋が二週間分溜まっている自室に思いをはせた。それは花の日曜日、本来自分がいる世界だった。
三十分前から慎吾はこの異次元空間こと中流住宅街に佇む高橋邸に足を踏み入れているわけだが、五分前から続いている長い沈黙の中でも目覚めているには、ここはあまりに暖かく、静かで、孤独だった。まぶたがすうっと下りていく。
「……あのよ、涼介」
その時、固定されていた空気がようやく破られたので、慎吾ははっと目を開き、意識を前方に戻した。対面するソファのはす向かいに腰を下ろしている、地味さを味に変えかねているような男が片手を胸の前に上げ、その隣で悠然と座っている男へと、ぎこちなく笑いかけている。
慎吾の真ん前に位置する、「何だ」と低く艶のある声で言ったその悠然たる男こそ、招待主、高橋涼介だった。
「それは、その……つまりそれっていうのは、さっきお前が言ったことで、それは……どういう意味だ?」
核心を突くのをためらうように男が言うと、高橋涼介はくすりともせず、「そういう意味だ」と言い放ち、再び動かしにくい沈黙が場に広がった。
おいおい、と慎吾は内心で深いため息を吐いた。もっとうまく聞けよ、俺なら手早く済ますぜこんなこと……。
そう思いつつ、しかし慎吾は男の境遇に同情もしていた。男の親友らしい高橋涼介が、慎吾の右隣に座って貧乏揺すりをしては止めしては止めしている中里毅と恋仲であるという議題を、テーブルを挟んで対面する二つのソファの狭間、そこだけ出っ張るように、王様のごとく一人掛けのソファに座っている青年にまで、意識を費やしつつ進めなければならないのは、罪のない一般市民には酷な状況である。
その上、本来進行役であるべきの当事者たる高橋涼介は、どうやら出席者の反応を吟味しているようで、無駄な言葉を吐きはしなかった。高橋涼介によってでは、事態は動かないのだ。
首を傾げたまま静止していた男は、引き続き生じた沈黙から、自分が何かを言わなければ何も始まらないということを悟ったらしく、苦笑を保ったまま、
「……そういう意味だってのをそのまま取ると、つまり、お前とこの中里が……」
と横の高橋涼介と、男の前方に座る中里に目をやりつつ、一度唾を飲み、躊躇を終えたのち、
「……恋人同士っていう何とも……まあ、そういうことになるんだけどな」
事の次第を言い終え、その逡巡の時間を持続もせず、「ああ」、と高橋涼介は淡白に頷いた。そのシンプルな肯定は、男の笑みを一層引きつらせ、中里の頭を抱えさせるほどの効力を持っていた。
慎吾がつくづく自分がその二人の立場ではないことを幸運に感じ、親友と男の恋人は作るものではない、という教訓も得ている間に、そっと額に手を当てた男は、少し目を落としてから、窺うように高橋涼介を見、囁くように言った。
「……マジで?」
「マジで」
「……うん、そうか、いや、まあ俺は別にお前に何があっても、っつーかお前が何してもそりゃお前のことだしお前だから、構わねえんだけど……あー……………………マジで?」
「マジで」
「……エイプリルフールの前倒し、じゃねえよなあ」
「来年のものは来年になってから倒す」
「だよなあ……」
「お前には結果的に嘘をついたことになる。悪かった」
「いや、まあ、そりゃいいんだけど。あー、そうかー、あー……」
男は心底参ったように頭をガリガリと掻いた。顔に張り付いた苦笑は引きつり通しだ。慎吾は再び時計が秒針を進める音のみ小さく響き出した室内から、窓の外へ目を転じた。見える庭に積もった雪は誰の足音にも汚されておらず、太陽は輝き続け、空は青さを主張している。
目を通して脳みそをやられそうになったので、窓から現場へと目を戻した。
あらましを語るだけ語った高橋涼介は透き通った表情でコーヒーに口をつけており、はす向かいの男は沈黙を破ったのちは強張った顔に同情を集められるような笑みを保ち、概略を聞いていたはずの弟はふんぞり返ったまま目をつむって我関せずといった様相で、先ほどまで体を小刻みに動かしていた中里は最早微動だにしなくなっている。
その中で唯一、己の思考に没入していないのは、閉じかけた目を開いた先、真正面に座っている優雅な招待主に見えた。すべてを把握した上での余裕をかもし出しながらコーヒーカップをソーサーに戻し、見るものがないためにその動作を見ていた慎吾へと、直線が引けそうなほど曲がりのない目を向けてくる。慎吾は視線を外さなかった。
――さっさと俺の役目をやらせてくれ、暇で暇で死にそうなんだ。
その思いをこめて、この状況を楽しんでいるらしき美貌の男を見下ろしていると、
「くだらねえ」
唐突に、情緒のない声が響き、その親しき粗野っぷりに意識が日常へと回帰しかけ、慎吾はそれを現在の環境に戻す一瞬にて、完全に眠気を失った。
視線を一挙に集めながらも、王様のごとき態度を崩さぬ声の主は、高い鼻の頭にしわを寄せ、数度癇に障る舌打ちを続けてし、不遜に言い放った。
「何だこりゃ。くだらねえ、ふざけてる、ありえねえ。こんな形で何をどうするってんだ、おい」
セットされていない茶髪をかきあげ、高橋啓介は、苦笑し続けている男をじろりと見る。
「史浩、お前は何でそんなに普通なんだ。普通のことか、これが」
水を向けられ、「いや俺は驚きすぎてリアクションの取りようがないだけなんだけど」、と男が慌てて釈明したところで、
「高橋、これには事情が――」
「うるせえてめえは黙ってろホモ野郎!」
堪りかねたように口を挟んだ中里は、即座に高橋啓介に怒鳴りつけられ、『が』と口を開けたままの体勢で固まった。
バカが、と内心舌打ちしながら、中里が動き出す前にその肩を掴むと、「言いたいだけ言わせとけ、ここじゃお前が部外者だ」、と慎吾は耳元で早口に囁き、すぐに身を離した。中里は驚愕の表情で見てきたが、慎吾は素知らぬ振りをした。何もないことにしておけば、何があろうが何もないことになる。それが慎吾の信条だった。
そのうち高橋啓介は再び舌打ちし、一つ息を吐くと、苛立たしげに、血縁関係にある男を見上げた。
「まあ、話は分かった。理解もしたぜ、俺は。それで、これは何だ、アニキ」
「説明だ」
「説明、説明? それを何でこんな形でやりやがる、ありえねえだろうが。まともじゃねえ、あんた何考えてんだよ。っつーか俺はいい、俺は、しょうがねえアニキがそれならアニキとして俺はいいんだ、けど親父と母ちゃんはな、ありゃ認めねえぞ二人とも」
見るからに高橋啓介は良いと承諾している様子ではなく、家族の話はごまかしのために思われたが、高橋涼介は何も追及せず、分かっている、とただ認めた。
「だから俺はまず、お前に話したんだ。理解を得られるところから」
「おい、いくらアニキでも話し方ってもんがあるだろ」
せせら笑いながら高橋啓介は言い、慎吾は何かの違和感を得た。それは己の中で築かれていた高橋兄弟の印象が揺らいだ瞬間だった。最後には互いを褒め称え合う、盲目的愛情に起因した関係だと決め付けていたが、この高橋啓介の嘲笑は、相手に対する不信を明確にしていた。
それを受けた高橋涼介の方は、鼻からすうっと息を吐いて、肩から少し力を抜くと、混じらぬ目で弟を見た。
「二人きりで向かい合って話したとして、お前は現実を直視できたか? そこまで想像力は豊かで、そこまで精神力は強靭か? 言葉でのみ認識して俺を理解したつもりになって、それで満足して終わるんだろ、いつも」
そんなこと、と声を荒げかけた弟の先を制し、
「そして、これが現実だ」
と、兄は眉を上げながら、両手を広げ、弟は歯噛みし、クソ、と舌打ちした。
慎吾は上がっていく頬を抑えるため、また隠すため、口元に手を当てた。ドラマかよ、と滑稽に思う。一分の隙もなく繰り出される、意味しかない言葉、表情、動作。慎吾にとってそれらは無駄の集合体に見えて仕方がなく、こみ上げる笑いを堪え通して、口から手を外し小さく細く息を吐いた頃、兄弟は会話を再開した。
「何だよ。いつから」
「一ヵ月半ほど前かな」
「隠してたのか」
「隠してた」
「もっと早く言えよ、そんなこと」
「すぐ言えるほど自信がなかった」
弟の舌打ちが大きく響く。ちらりと目をやると、不機嫌そうな顔をして、焦れたように唇を指でいじっていたが、前兆もなく目が合い、「おい、そこのロン毛」、とぶしつけに呼ばれていた。中里以下の視線まで集めつつ、五秒間を置いたのち、「俺か?」、と慎吾が確認すると、
「お前以外にそんな鬱陶しい髪してる奴がここにいるか?」
と手振りを加えた高橋啓介が早口に言った。お前もほどほどには鬱陶しいだろ、と思ったものの、無駄口は得策ではないためそれには触れず、何だよ、とただ尋ねる。高橋啓介は親指で中里を示しながら、お前はこいつの何なんだ、と言った。「俺はこいつの」、とまで答えてから、慎吾は考えた。
――俺はこいつの、何だ?
「……親友だよ、親友、ベストフレンド。だからわざわざこいつの付き添い参加だ」
だが己の考えはすぐ捨て置いて、慎吾は役割を演じることに徹した。高橋啓介は露骨に顔に疑心を差し、「何でお前もそんなに平然としていやがる」、と不自然さを強調するように凄んできた。隣からの視線も感じたが、慎吾はとかく中里に不利にならぬように言葉を扱うことを楽しむようにした。
「俺は元々知ってたからな」
「知ってた?」
揚げ足を取ろうとする弟に、親友だぜ俺たちは、と豪語してやる。何でも話し合う。
「それにこいつが誰とホモろうが、こっちに火の粉がかかってこない限り、俺には何をする権利もないし、何を関わる義務もない。なのにいちいち気にかけて動揺して腹立てて、どうするって? 無意味だろ」
「それなら付き添う必要もねえだろうが」
慎吾はこの剣呑な男が矛先を自分に向けてきたことにより、これ以上会話をする必然性の有無を悟り、「付き添いっつーか」、と責任者を明瞭にする路線へと持ち込むことにした。
「呼ばれたんだよ俺は、名指しでそちらの人に」
と、左手で高橋涼介を示すと、高橋啓介は歪めた顔をすっと正常な姿に戻し、「アニキ?」、と訝る声を出した。兄は軽く肩をすくめ、弟を優しく見て、優しく言った。
「面白いかと思ってな」
「ふざけんなよ非常識」
「赤信号は注意して進めだと言い張るお前に常識について注意されたくはないな」
「庭中の虫を片っ端から標本にしまくってた人に、ジョーシキドートク云々言われたくねえ」
「ならそれは言わないでおこう。だが深刻がってどうなるもんでもないだろ?」
「深刻がるようなことだろうが、これはァ! 何でこんなことになってんだよ!」
弟は両手を大きく広げて怒鳴り、それには慎吾も体をわずかに震わせてしまうほどだったが、兄はやはり飄々としたままだった。
「ヒントは出してきたはずなんだけどな」
「そういうもんをてめえでいちいち否定してたじゃねえか、信じろとか言ってたくせに!」
「そりゃ全肯定しちゃつまんねえしな」
つま、と弟は声を止め、あんぐり口を開けて数秒経ってから、アニキ、と真剣な目つきですがるように見た。
「俺を何だと思ってんだ?」
「弟だ。大事な」
簡潔な答えに、再び弟は声を止めたが、口は閉じていた。そして、兄弟は黙って睨み合いを始めた。
回りくでえなこいつら、と慎吾はうんざりした。弟は率直なようで核心を突くことはためらっているし、兄が弟の反抗を逐一楽しんでいることは、逆立ちして見ても間違いがない。
慎吾は高橋啓介を見るついでに、隣の中里を窺った。いかめしい表情で、数秒ごとに兄弟各々へ目をやっている。そこにあるのは憤慨ではなく困惑であることは、重ねてきた日々に照らすと簡単に見透かせた。おそらく高橋涼介もそのはずだが、一向に中里を顧みる気配がないのは、こちらを信用しているためか、初めから弟だけを標的としているためか――いずれにせよ、厄介な奴と関わったものだ。自分なぞ、中里との関連がなければ、走り以外でお近づきになりたいとは思わない。いや、ここまでくると走りですらお近づきにはなりたくない。慎吾は己の趣味と中里の趣味の不一致を、今までにないほどに快く思った。
三十秒ほど経過したところで、兄弟どちらも互いから目を逸らすことはなかったが、先に大きく口を開き、「だァッ!」、と叫んで立ち上がったのは、弟の方だった。
「クソッ、おいコラアニキ、あんた俺が聞いた時にだ、こいつとは何もねえとか言ってただろうが、何も! ありゃ何だったんだ! ウソか!」
「嘘だな」
「そのまんまじゃねえか、ひねれよ!」
「ひねるようなことじゃねえだろ」
何でそういう時だけマトモになってんだよ、と高橋啓介は悲鳴のようなものを上げ、クソ、と舌打ちすると、兄弟漫才が始まってから一言も口を利いていなかった、慎吾を含む三人を見下ろし、「てめえらもだ、てめえら!」、と指名してきた。
「何でそんなに普通なんだよ、こいつとアニキが付き合ってんだぜ、いやそれを置いても、こんな形でこんなことにしやがってて、もっと驚くなり何なりするのが普通だろうが! それともてめえらグルになって俺だけ知らねえってなドッキリか!? ふざけんな、何だよもう、俺が間違ってるってのかよ!」
腹の底から怒りを発した高橋啓介に、いや、多分お前の反応が一番マトモだと思うぞ、とはす向かいの男が苦笑を引っ込め真面目たらしく言い、それになぜか顔を朱に染めた高橋啓介は、少々口をパクつかせた後、「ワケ分かんねえ!」を捨て台詞として、ジャージにトレーナーという服装のまま、リビングから去っていった。
ドアの開く重い音がし、すぐに閉じる音がした。
「……行ったなあ」
「行ったな」
はす向かいの男のしみじみとした物言いに続き、高橋涼介は単純にその弟が家を出て行ったという事実を認めた。そこではっと気付いたように、中里が身を乗り出した。
「おい、どうすんだあいつ」
「どうせあの格好じゃ遠くには行かないさ。FDのキーも持ってないように見えたしな。放っておきゃあ戻ってくるだろ」
至極放任的な兄上殿に、放っといていいのか、と中里は非難めいた口調で言い、「気になるか?」、と高橋涼介はわざとらしい驚きを見せた。つかの間考えるように黙し、疑念を浮かべた顔で、そりゃ、と押し付けるように中里は言った。
「この流れで気にならなくはねえだろ」
「俺は気にならないんだよな」
中里は太い眉を思い切り目に寄せて、「……だから?」と釈然としないように、高橋涼介の言葉を求めた。「さて」、と組んだ足の膝を組んだ手で抱えた高橋涼介は、慎吾と苦笑男に目をやった。
「こういう場合はやはり、気にかけている人間が気にかけている相手の心理的抑圧を解消するべきだと俺は思うんだが、どうかな?」
「は?」、と問いの意味を解していない中里はさて置いて、説明会の終わりを勝手に決めた慎吾は、いいんじゃねえの、と投げやりに言い、まあ妥当ってやつか、とはす向かいの男は関わりあいを避けたがるように言い、更に「あ?」と自分の無知ぶりを晒した中里へ、
「多数決決定だ。異論は?」
と高橋涼介は最終宣告をした。
中里はたっぷり十秒自分を囲んでいる人間を見回して、八方塞を確認すると、疲労感に満ち溢れたため息とともに、ねえよ、と言い、のっそりと立ち上がった。
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