真を貫く 1/3
寒くなるとトイレが近くなるものだ。だからといってコンビニのトイレを借りるのに、集団を引き連れてぞろぞろしても格好がつかない。よってエンペラーでは群馬から出る前に一度全員が落ち合い、京一が成果をまとめたのちに、各自好きなルートを通って栃木に戻る決まりとなっていた。行きにしても集合場所と時間を決めるのみで、規律正しく団体で動くわけではない。
そうした決定を下した無駄を最も嫌うのが須藤京一という男で、清次は一貫性を持ったその考えを尊敬するが、一から百まで同意するほど盲目ではいられなかった。何せ京一は自己完結が多い上、感情の絡む話題になると一気に推測の精度が下がる。いくら普段道理を唱えて一点の欠陥もない理論を吐いていようが、完全性のないことを知っていれば、日常をもって従順にはなりにくい。特に清次は深い思索の上で他人に追従することがなく、それゆえの偏見に満ちた実力主義の立場を取るため、我らがチームリーダーたる須藤京一の技術や速さには敬服するばかりだが、言われたことを丸々信じて行動するということもなかった。
今回の群馬遠征でも、つい調子に乗って相手にマージンを与えすぎたこともある。だが今のところは全戦全勝で、まずい事態も起こっていない。次の相手は秋名のハチロクだというが、どうせハチロクだ、車重の差が致命的に絡んでくるダウンヒルとはいえ、十年前のポンコツに最新鋭のラリー前提車たるランエボが負ける理由がない。普通にやれば勝つ相手だ。下手な小細工など要らない、ただパワーの差を見せつけてやればいい。
トイレを拝借したコンビニで緑茶のペットボトルを一本買ってから車に戻り、普通にやりゃあ、と清次は思う。だが京一はいかなる時でも慎重にいくきらいがある。そのおかげで今まで敵地においても敗北はないが、走行技術の上に思考ではなく勘と感情を乗せる清次としては、あまりに身構えすぎると焦れてしまい、結果的にミスが増えることもままあった。
ここではまだそういうことはないが、京一の因縁の相手である高橋涼介を負かしたという秋名のハチロクが相手だ、おそらく多少は気を引き締めて行く形になるだろう。だが所詮ハチロク、という思いは清次の中から消えはせず、いつまでもそのことについて考えもしなかった。
シートに正しく腰を据え、車のエンジンをかける。しかし群馬エリアの走り屋は粒ぞろいだという話もあったが、実際はどうだ。手ごたえのある奴がまったくいない。大体が最初のバトルの相手からしていけなかった。GT−Rに乗っているくせに、こちらについてくることもなく、勝手に壁とディープキスしてジ・エンドだ。そのくせそこの奴は群馬には他に倒し甲斐のある走り屋が山ほどいるようなことを言い、だが結局清次が今まで充実したことは一度もない。
妙義においては偵察としてFDとGT−Rのバトルを見た時、既にその実力を見くびっていたが、自分の目に狂いはなかったと清次は確信している。あのGT−R以外にダウンヒルの走り手がいないなど、どれほど人手不足かということだ。あの32のドライバー、見た目は威風堂々としていたが、フロントががっつりと削れた車で戻ってきた時のあの顔は、見れたものではなかった。上に立つ者ならばどんな時でも張り合ってこそだろうに、ああいう弱さを如実に表してしまうからこそ、あの程度なのだろう。
ほどほどに車があたたまったところで、清次はギアを入れ、前方を確認し、そして一人の人物が前方を横切っていくのを見送った。それに違和感を得たのは、その景色が記憶に引っかかったためだった。正確に言うならばそれは清次の車の前を通り、コンビニへと入っていった男が清次の記憶を叩いたのだが、何にせよ清次はその時点でそのブルージーンズにスニーカー、黒いセーターを身につけた短い黒髪の男が誰であるかを思い出しており、本日行った数々のつまらないバトルも思い出しながら、退屈しのぎだとばかりにエンジンを止めた車から降りた。
男は始終下を向いていたため造りが目立つこちらの車にも気付いていなかったようで、牛肉弁当の賞味期限を見ているところを後ろから声をかけると、持っていた弁当を手から落とすほどに驚いていた。弁当を拾ってやりながら、よお、と清次は侮っていることをわざと表した笑みを浮かべた。男は弁当を受け取りながら、太い眉の根元を厳しく狭め、充血している大ぶり目で睨んできたが、かさついた肌や目の下に浮いたくまは、男から威圧感を失わせていた。不気味さすらなく、清次はどこか興ざめしつつ、
「それはうまいぜ」
と男の手の中にある弁当を指差しながら言った。俺もよく買うんだ。男は弁当を見下ろし、清次を見、それから不可解そうな顔を逸らし、背を向けて、一直線にレジに向かった。清次はついでに腹に何か入れとくかとドーナツを取り、男が会計をしているレジとは別の、入り口側のレジに入り、丁度の小銭を払った。男より先に店から出て、ドーナツの袋を開けて二口で食い、ゴミをゴミ箱に投げ入れて、その前で男の出てくることを待とうとしたが、そこでコンビニ袋を片手に提げた男が出てきたので、口に入っていた生地を飲み込んでから、おい、と清次は声をかけた。白線の描かれたアスファルトの上を歩いていた男は、鬱陶しそうに清次を振り返った。
「車はどうしたよ」
笑ってやりながら尋ねると、工場だ、とすげなく答えられる。
「入院か?」
「そんなに長くもかからねえがな」
「戻ったら、俺ともういっぺんやるか」
男は意外そうに目を見開き、それから困惑したように俯くと、いや、と言葉を濁した。やらない、という意思表示には見えなかったが、清次は額面通りに受け取った。
「まあ、派手にぶつけたみてえだからな。もっと車を大事にしてやろうって心がけも必要だろうよ」
「俺はやるぜ」、と男は顔を上げ、真っ直ぐこちらを見据えてきた。ふつふつとわき立つ怒りを清次はその顔の裏側に見た。赤味の差した肌は、触れるだけで火傷してしまいそうなほどの熱をはらんでいるようだった。実際触ったらどうなのか、清次は自然に疑問に思いながら、
「あの程度の走りじゃあ、俺がやる気しねえけどな」
と言って、甘くなっている唇を舐め、笑った。男はぎろりと睨み上げてきて、だが何かを理解したように舌打ちし、下唇を噛んだ。その横顔を見ていると、相手の自尊心を傷つけていることがよく分かり、清次は素直な愉悦を感じ出していた。
「お前、そんなに俺と走りてえか?」
「あそこの上り最速は、俺なんだよ」
男はこちらの問いを遮断するように、低い声で呟いた。くくっと笑い、清次は男に近づきその肩を掴むと、じゃあ、と下から顔を覗きながら、
「そのお前に勝った俺が、最速ってわけだよなァ?」
男は思い切り清次の手を払い、その拍子によろめいて、後ろを歩いていた人間と軽く接触した。男はその人間に謝ってから、改めて清次を見、ふん、と初めて余裕の態度を取った。
「それは、高橋啓介のFDに勝ってから言うんだな。それにタイムでいやあ、俺が一番であることは変わりねえ」
「高橋啓介?」
「お前の前に、あそこで俺に勝ってるんだ」、と男は顔を横に向けながら、悔しそうに言った。「あいつは速いぜ」
男の顔を眺めながら、清次は偵察の折にそのバトルを見ていたことを思い出した。あのFDがそれほどのものにも感じなかったため、男の言い分にも何ら衝撃も受けなかったが、高橋涼介の弟だというから、締めのバトルでやり合うことになるだろうし、であればいずれこの男のプライドも完全に崩れるだろう。
「なるほどな。まあどうせ時間が経ちゃあ、全部明らかになるだろうよ」
清次は言い、それから男にもう一度近づきながら、それより、と笑った。
「お前、暇か」
男は後ずさりかけながらもその場に立ったまま、数拍置いてから、「あ?」、と顔を歪めた。清次は相手を嘲るような笑みを浮かべたまま、
「お前とは一度、ゆっくり話してみたいと思っててな。あの程度の力で最速気取ってるわけなんざねえだろうし、実体ってのがどういうもんなのかとよ」
男の歴史などには一切興味がなかったが、刺激を求める心には抗えず、清次は堂々と嘘を並べた。計画的に人を騙すことは得意ではないし、変化球よりはストレートの剛速球で相手を仕留めることに快感を得る方だ。だが、自分の欲求に乗ってしまうと、どう思おうが、いくらでも言葉は出てくるのだった。男はこちらを馬鹿にするように歪めていた顔を不可解さで覆い、清次はそんな男に言葉を重ねた。
「なあ、敵同士とはいえ、同じ走り屋だ。変なこだわり挟んだって仕方ねえだろ」
そうして男の肩に手を置くと、男は先ほどのようにそれを激しく払うこともせず、ただ不思議そうに清次を見上げ、俺はお前に興味はないぜ、と言い切った。俺があるんだよ、と清次は笑いながら男の肩を叩いてから、男の先を歩いて車に戻った。振り向けば男はすぐそこにいた。つまり、最後の言葉が受諾の意味を持っていたのだった。
とは言ったものの、やはり清次に男に対する興味はなかった。男がどういう考えをしていようが、男がどういう気持ちでいようが、別段気にはならなかった。そもそも男の名前すら覚えていなかったのだ。その男は清次にとっては単なる群馬に来たついでの遊びの一つの相手に過ぎず、その相手として第一に負かしたそのGT−Rのドライバーを選ぶということに、おそらく深層では意味があったろうが、清次は概して人々のナルシズムが発揮される内省という行いを好まなかったため、その意味が判明することはなかった。
実際、男の意地が傷ついていく様を眺めるだけで清次はなかなかに満足した。おそらくそこが男の部屋でなければセックスをするという発想も出てこなかっただろう。清次は特別な性的嗜好も持ち合わせていないが、その分無駄に寛容で、その無駄さは嫌われそうなので京一にも言っておらず、かつて付き合った限りある人間しか知らなかった。好きな相手に頼まれれば何でもやるし、セックスに対して大層な憧れも拒否感も持ちはしない。その点でのみ清次は身の程を知った人間で、だからベッドに腰を下ろして何が聞きたいかを尋ねてきた男を押し倒す際も、主導権を握るためではなく、ただ快感を呼び起こしてやるために動いた。打ち身になるほどの抵抗も受け止めて、徹底的に追い込んだ。クソ野郎、だの何だのと怒鳴られてはつい手も出たが、すぐに萎えかけるものを勃ち上がらせるためには優しさと繊細さを心がけた。そこの空気が問題だった。男が馴染むその部屋で、その空気の中、男を屈服させることは、非常に楽しそうだった。清次は自分の力が示される行為に何よりも自尊心を刺激され、たまらない愉快さを得る。身の程を知っているとはいえ、セックスの場でその機構が特別に変化することもないので、そういう嗜好をかきたてる相手に対しては、歯止めが利かなくなることもあった。
そうして苦労しながら一度射精に導いてやると、男は羞恥に染まった顔を信じられないように歪め、こちらの体を押しのけようとしていた力を完全に緩めた。清次は膝下に溜まっていた男のジーンズを引っこ抜き、ベッドにうつ伏せにして背中を押さえ、尻を上げさせるような体勢に持ち込んでから、慣らすのにどうするかと焦り、辺りを見回した。こういう展開を想定していなかったので、何も持って来てはいないし、そもそも車にそんな道具は積み込まない。焦りがピークに達しかけたところで、すぐ傍のテーブルに奇妙な取り合わせで置かれていたワセリンを見つけ、まずそれを片手で拝借し、十分に指ですくって尻の狭間に塗りこんだ。初めは暴れる体を押さえるのが一苦労だったが、中に指を入れてしまえば内臓を犯されている恐怖があるのか、大人しくなった。ここまでくると屈辱に歪んでいるだろう顔を見なければあまり意味がないし、背中を見ているだけでは息子もいまいち反応しない。指を差し込んだまま体を仰向かせると、腹の底に響いてくる声を上げ、そのままこちらを見上げてくる。それは失望と敵意と羞恥と恐怖が入り混じっている、何ともしがたい顔だった。
「あんまり暴れんなよ、不利なのはそっちなんだぜ」
指を抜き差ししながら言うと、男はどうしようもないように顔の片側をベッドに押しつけ、更に手でそれを覆った。そう、所詮この程度ということだ。本人が自信を持つほど速くもなく、強くもない。土壇場になればどんな人間の本性でも表れる。この男は自動的に与えられる快感に抗えず、更に相手に対して冷静に殺意を持ちもせず、ただ流されるだけなのだ。この分際でトップを張っていたとは笑わせる。それを知らずにこの男を崇めていた奴らも、その気になっていたのだろうこの男も、清次にとってはここでは明確に下等であり、その事実は性交における平常な欲求の他に、征服欲をかき立てた。増やした指を動かしながら、コンドームのありかを尋ね、腕の狭間からのぞくその顔が、驚愕ののちに嫌悪と不信を露わにするのに充実感を得ながら、お前が中で出されたくなけりゃあな、と付け足した。
清次はそこで、まだ男が完全に諦めてはいなかったことに驚いた。まさに捨て身の抵抗、清次の指が中をえぐろうがおかまいなしに男は暴れ出し、ぶっ殺すだのと物騒なことを叫びながら、足を振り回し腕を振り回し、清次に更に打撲を加えた。ここまできて逃げられてはどうしようもないため、体の痛みも顧みずに男の局部を刺激しながら再びうつ伏せにし、体重をかけて制圧した。クソったれめ、と清次は呟いた。単なる暇潰しにしては、傷が多くなった。幸い肌が露出するような場所はかわしたから、誰に気付かれることもないだろうが、不愉快は不愉快だ。愚息も萎えかけるので、清次は仕方がなくズボンから取り出したそれを一気に男の尻へと挿入した。遊びは最後まで遊びでなければならない、楽しくなければならない。でなければここまで準備をした意味がない。
「ぐあ、あ……」
男は嫌な声を上げたが、清次は構わなかった。ただ勢いをつけるにもなかなか角度が戻らないので、取り巻く肉の刺激をよく味わい、それから調子を取り戻した。
「まあ、俺も痛めつけるってのは、趣味じゃねえんでな。とりあえずは、優しくしてやるよ」
言いながら逃げ出そうとする腰を掴んで、少しずつ揺すってやる。男の呻きは低くこもって耳障りでもあり、だが白旗を揚げているような響きを持つそれは、より一層の快楽を清次にもたらした。締まりも十二分で、互いのことなど忘れて没入しそうになる。
「おい、お前のここ、最高だぜ。他の奴にもやらせてやれよ、お前のとこのよ。どいつもこいつもお前ごとき、を、えらく買ってるみてえ、だったしな。それのよ、大して速くもねえのに威張って騙した償いに、ケツ貸してやりゃあ、お前、十分だぜ、これなら」
うつ伏せの男はシーツを両手で握り締め、また歯で噛みでもしているのか、声はくぐもっていた。声を落とすたびに中が反応を示し、止められなくなってくる。これは常のセックスでは決してなかった。こんなものはセックスではない。暴力だ。清次はそこで初めて気付いたが、やめる気はなかった。元より好き合って交わるわけでもないし、そもそも好きだなどとは思わない。名前も知らないのだ。たが、この男にその顔を晒させて、犯し尽くしてやれば、わざわざ群馬に来た甲斐も出るというものだ。それだけの快楽は、まだこの地で自分を待ち構える運命を知らない清次には確かに存在したのだった。
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