アウトサイダー 2/4
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 中里毅は三日前から峠に来るたび悩んでいた。生活は順風満帆、営業先でも存在しないものとして無視されることもなくなったし、車の調子もすこぶる良い。だが悩んでいた。
 目下の問題は自分の所属する走り屋チーム妙義ナイトキッズの飲み会であった。中里は飲み会の幹事ではないので日程や金の調整については本来悩まずに良いのだが、幹事から相談されたので悩んでいた。相談はただ一つ、面子についてである。ナイトキッズの飲み会は情報交換とドンチャン騒ぎが同時進行されるため、どちらか片方だけが目的の奴も参加する。ドンチャン騒ぎが目当ての奴もつまるところは走り屋だ、車についての情報交換の際には真摯になる。情報交換のみが目当てなメンバーでも、無頼漢集団と目されているナイトキッズにわざわざ入ってくるような奴なので、猥談や犯罪臭にもたじろがない。むしろ普段はチーム内でも真面目な奴らが飲み会では弾ける傾向にある。熱しやすく冷めやすい野郎どもの集まりであるから、口論や叩き合いが始まっても皆慣れたものだ。したがって幹事は面子について悩む必要などないはずだった。だが、ナイトキッズの飲み会の幹事を担当して三年にもなるそのベテランが、悩んだ挙句に三日前、中里に相談してきた。
 幹事の男の悩みの種はたった一人、庄司慎吾というメンバーだった。もっと言えば、庄司慎吾の不機嫌だった。別段庄司慎吾という奴が不機嫌なまま飲み会に参加しても困りはしない。酒が入ってしまえば無礼講である。メンバーが暴走することへの心配がないではないが、気にしていたらチームが成り立たないので、その辺りは幹事の男も中里も割り切っている。だから庄司慎吾が不機嫌なまま飲み会に参加してもそれは構わない。問題は、その庄司慎吾が飲み会に参加するのかどうかだった。庄司が不機嫌であるために、その参加不参加を尋ねられないのだ。他のメンバーの都合はすべて聞いてある。残すは庄司ただ一人だった。
 二週間前までなら悩む必要はなかったが、生憎飲み会の話が現実味を帯びたのは一週間前のことだった。二週間前から庄司は突然いつでも不機嫌な態度を取り出していた。偵察に行った奴は一睨みされただけですごすご戻り、直接不機嫌の理由を尋ねに行った奴は指摘を反駁され精神に深い傷を追って戻った。尋常ではなかった。誰もが庄司を避けて通った。必要最低限の言葉を交わすことですらためらっていた。そんな状態の庄司に真面目な趣はあまりない飲み会についての話を振ることは、幹事の男にはできなかった。電話は元よりメールすらもしたくない。途方に暮れた。そこで、チーム内でも庄司の機嫌に関係なく話す機会を作ることのできる中里に相談したのだった。
 俺が何とかしよう任せとけ、と幹事に言ったものの、中里も悩んでいた。
 庄司がそうして不機嫌になり、それを持続することはさほど珍しくもなかったので、中里はしばらく気にしていなかった。しかし二週間続くというのは異様だった。精々不機嫌が続くのは一週間だった。それも徐々に機嫌は直っていくから、三日も経てば剣呑さは引いていった。だが今回は違う。丸々二週間、ぶっ通しで不機嫌である。これは中里も不可解だった。他のメンバーに聞いても何事かは知れなかった。チームには妙な雰囲気が流れ出していた。ただでさえ、一ヶ月前から週の水曜日と木曜日、島村栄吉が来るようになっている。単にこの妙義のコースを気に入ったというだけらしいが、神奈川くんだりから毎週来られると、何か妙に思わずにはいられない。そしてこの庄司の不機嫌がきた。あまりにひどいので一週間も経てばメンバーも事態を放置し始めた。その頃、中里は庄司に話を聞こうとしたが、掴まえられなかった。同じ峠にはいるのに話す機会を持てないのだ。そんなことは向こうが意識的にこちらを避けねばありえなかった。
 つまり、庄司は中里を避けている。
 この認識は中里に衝撃を与えた。これまで庄司がこちらを敢えて避けるということはなかった。出会った当初は憎悪や敵愾心をもって食ってかかってきた。近頃では、あくまで同じチームのメンバーであり同じ位置を争う走り屋として見られているらしいが、それでも惰性のようにからかわれることもある。ともかく無視をされるということはなかった。中里も庄司がいればいる、いなければいないで気になった。柄の悪い男だった。暇潰しに他人を痛めつけたり欺いたりするような男だった。良心の呵責も贖罪という概念も持ち合わせていないような男だった。だが、困っている人間に気まぐれに無償の親切を働くこともあった。冷酷無慈悲に見えて、身内には甘い面があった。日本が沈没しても一人だけ生き残っていそうなしたたかさが見えるのに、明日死んでいてもおかしくないような繊細さも見えた。何か放っておけなかった。そして庄司の乗るシビックEG−6は速かった。妙義山を走る中里にとって庄司は欠かせない存在となっていた。庄司にとって自分がどういう存在であるか、中里には分からない。だが意識はされているはずだった。でなければ、人の細かい粗を揶揄してきたりはしないだろう。それを見つけられることもないだろう。これまではそうだった。
 しかし今、庄司はこちらを避けている。
 嫌われたのか? いや、嫌われているとしたら元からだ。初めて会った時から庄司は中里に対する嫌悪感を露わにしていた。それに庄司という男は嫌いな相手には妥協はしない。存在自体を完全に無視することはあれど、接触しないために自ら避けるという譲歩はしない。例え嫌われているとしても、嫌われているために避けられているとは考えにくい。しかし庄司が不機嫌になってからというもの、確実に中里は接触を回避されていた。衝撃的だった。今までにはないことだった。中里とて、これまで幾度も不機嫌な庄司の口撃の嵐をくぐり抜いてきている。飲み会に参加するかどうかを聞くくらい、振る舞いを改めてチームに留まるか抜けるかという選択を迫った時に比べればお茶の子さいさいのシチュエーションである。しかし、聞くことができないのは、どうしようもなかった。機会さえあれば何とかできる自信がある。その機会を作れない。庄司と話す機会など手を伸ばせばすぐそこにあるもので、作り出すものではなかった。作り方が分からない。いや、無理矢理の作り方なら分かる。向こうが逃げる前に首根っこを掴みにかかればよいのだ。しかしそれをしてしまうと、今後庄司と話す時にはいつでも首根っこを掴みにかからねばならなくなりそうな気がする。何となく、そんな関係にはなりたくない。今まで通り、向こうから食ってかかってきたり、こちらから普通に話しかけたり、何も話さず一緒にいたり、そういう関係でいい。そういう関係が一番、安心できる。だがひとまずチームの飲み会に参加するか否かは聞かねば幹事の悩みは解消されないし、任しておけ俺が聞いてやると請け負った手前、中里としても体裁が悪い。
 というわけで、幹事から悩みを相談された三日前から、中里毅は峠に来るたび悩んでいる。どうやって庄司に近づき話をしようかと悩んでいる。電話やメールという手段もあるが、それも避けられそうだし、なるべくなら直接言質を取りたい。では無理矢理にでも接触を図るべきか、それともまた別の方法を考えるか、あるいは庄司の不機嫌が治るのを待つか、様々な選択肢を頭に浮かべては、あれは駄目これは駄目と悩んでいる。悩み過ぎて苛々し出し、このところ自分まで不機嫌になってきている気がしてまた悩んでいる。気のせいではないことを分かっているからまた悩んでいる。メンバーがあからさまに中里をも避け始めているからだ。
「怖い顔だな」
 だが、まったく避ける素振りもない人間が一人いた。メンバーではない。木曜日、島村栄吉は今日も妙義山へと来ていた。中里はついさっき下の駐車場に入り、メンバーから避けられていることをひしひしと感じながら悩んでいた。ダウンヒル走行を終えたらしい島村栄吉は中里よりも早くこの峠に来ていたようだった。その男は白い32から降りると、真っ直ぐ中里へと歩いてきて、眼前で止まってから声を発してくる。いつでもだ。今日もだった。その島村の変わりのなさに中里はつかの間安堵し、しかしメンバーではない男から安心感を得ることに決まりの悪さを覚えつつ、言葉を返した。
「こりゃ俺の地顔だ」
「悩み事でもあるのか?」
「人の話を聞けよ」
「顔は口より多くを語るもんだぜ」
 そう言い島村は笑う。島村の笑顔はどことなくいびつだ。泥がぶちまけられた純白の布のような汚さと清さが混ざり合わずに存在している。上品さと下品さ、気高さと気安さが別々にくっきりと浮かび上がっている。いびつなくせに均衡が取れていた。それを真正面から食らうと、中里は肩肘を張るのが馬鹿らしく思えてくる。介入を拒む意気もなくなる。それほど無力感をもたらす島村の笑みだった。
「まあ、悩み事っちゃあ悩み事なんだが……」
「どうしたんだ」
「お前にはそんな、関係ねえことだよ」
「水臭いな。俺とお前の仲だろ」
「どんな仲だってんだ」
「同じ車に乗ってる。同好の士だ」
 善人と悪人の狭間にあるような笑みを浮かべながら、声音を一定にして島村に言われると、それが冗談であるのか本気であるのか中里にはまったく区別がつかない。何でもだ。中里はだから、島村の真意についてはもう深く考えないことにしている。出された言葉にしか反応しないようにしている。同好の士、という関係はその通りだ。ただ悩みを話す柄でもない。しかし島村の笑顔を食らっていると、立ち入られることを突っぱねる気も起きなくなる。ため息を吐いてから、慎吾の奴がな、と中里は言った。
「庄司か?」
「ああ、庄司だ、庄司慎吾」
「あいつがどうした」
 また島村栄吉という男は、こちらが言葉を発すればそれを一字一句聞き漏らさぬよう、一瞬にして集中してくる。真剣な相手におざなりなことを言うわけにもいかない。したがって中里も集中せねばならなくなる。
「ここのところ、変に機嫌が悪くてよ。それで、今度チームの飲み会があるんだが、それに参加するかどうか聞こうにも藪蛇になりそうで聞けねえって状態で、幹事の奴が俺に相談してきたんだが……」
「飲み会ねえ」
「別に、あいつが参加しようが参加しまいがあいつの勝手だし、いなけりゃいないで構わねえんだ。けど、あれも俺たちナイトキッズじゃトップクラスの実力の走り屋だからな。意思は聞いておかねえと、筋が通らねえ。ただ、聞こうにもどうも、俺は避けられてるみてえでよ」
 この男に話したところで事態は解決しない。だが他人に概略を伝えると、何とかしなければならないという気合がわいてくるものだった。まあそんなことを言っていても仕方ないので策は練っている、の「まあ」まで中里が言ったところで、「飲み会ってさ」、とふと真顔になった島村が中里を見据えながら言った。
「俺も参加してもいいのか?」
 まったく傾向の違う問いを放たれ、驚きと困惑に目を見開きつつ、お前が?、と中里は聞き返した。島村は飄々と言う。
「メンバーしか駄目ってやつかい」
「いや、そうと明言されているわけじゃねえが……車好きなら、誰かのダチのダチのダチだろうが構わねえって感じもあるからな」
「オーケー、なら俺が庄司に聞いてこよう」
 中里は目を見開いたまま、口も大きく開いていた。驚きが消える暇はないようだった。
「は?」
「そのまま幹事に伝えりゃ無駄もない。幹事って佐伯だろ?」
「あ、ああ、そうだけど……」
「じゃあ」、と島村は白い歯を見せて笑った。「俺に任せてくれ」
 中里が開けた口から声を出せずにいる間に、島村は中里に背を向け、一度も振り返ることなく白いR32に乗り込むと、山道を上っていった。中里は取り残された。しばらく呆然としていた。思考は遅れて戻ってきた。島村は、庄司に聞くと言って、上っていった。ということは、庄司は既に来ており、上にいたということだろう。だから島村は道を上っていった。庄司に飲み会に参加するか否かを聞きに行った。中里はそこまで理解した。だが、なぜ島村が庄司に都合を聞きに行ったのかということは、分からなかった。

 島村栄吉について中里はよく知らない。生まれも育ちも神奈川だとは本人が言っていた。実際車のナンバーは湘南であるし、箱根近辺で走り屋チームを組んでいるのも確かだ。仕事が何かは聞いたことはないが、維持費は捻出できているのかと聞いたことはある。体を活用していますから、と洒落た感じで答えられた。それ以上は何も聞かなかった。聞く気も起きなかった。
 中里は島村栄吉と二度バトルをしている。一度目のバトルは一昨年、島村がこの妙義山に来た時で、中里は駆け引きもできぬうちに負けた。完膚なきまでに負けた。
 島村がこの峠に来るようになってから二週間目の水曜日、何で俺とバトルをしたんだと中里は島村に聞いたことがある。島村が群馬の他の峠に現れたという話は、一度目のバトル以前も以後も一つもなかった。妙義にしか島村は現れていなかった。それがずっと疑問だった。力を求める走り屋の心理として、誰でもその峠で一番速い者と走りたがるだろう。だから自分が選ばれたことについては中里は当然であったと捉えていた。疑問は、なぜ敢えて妙義山だけを選んだのかということだった。当時を振り返った島村は、「別にわざわざ誰かとバトルがしたいとか思ってこっちまで来たわけじゃねえんだよ」、と肩をすくめて言った。
「俺は親父の家族が好きでさ、親父の実家がここにはあるから。その日は朝から来て、漬物の仕込みとか手伝ってな、夜までいた。その時一緒に手伝ってた従弟がよ、そいつも車好きで話が合う奴なんだが、この辺にS13に乗ってる速い走り屋がいるって言ったんだ。俺は深く聞くつもりはなかったよ。走りに来たわけじゃなかったしな。けど、そいつは中里、お前のことをさして、変な奴だとしか言わなかった。言えなかった感じだった。俺なんかよりよほど賢い奴なんだぜ。そいつが変な奴としか例えようのない奴ってのを、俺は見たくなったんだ。もっと言えば、そんな奴と走ってみたくなった。だから俺は、お前とバトルをしたんだ」
 それが島村の答えだった。島村は妙義山を選んだのではなく、中里を選んだのだった。そうとは予想もしなかったので、中里は戸惑った。変な奴と表されていたことにそれ相応の怒りを抱けないほどだった。
「そりゃ、がっかりしたんじゃねえか」
 ついそう言っていた。島村は不思議そうに目を瞬いた。
「がっかり?」
「お世辞にもあの頃の俺は、お前と比べりゃ速いなんて言えねえもんだった」
 バトルで正確にどの程度の差がついたのかは分からなかった。先に下りきった島村はそのままいなくなっていたからだ。負けた悔しさよりも、バトル後に見向きもされなかったことからの羞恥と歯がゆさが身を焼いた。島村にとって自分は取るに足らない存在だったはずだ。去年リベンジしに行った時も、島村は中里のことを忘れかけていた。
「話ほどじゃあないとは思ったぜ。けど、がっかりはしなかった」
 笑いながら島村は言った。中里はどういうことかと眉を上げた。その山で一番速いという走り屋とバトルをして、それが遅かったら、何がしかに対して失望は抱くものだと考えられた。だが島村の笑顔も声も、失望という言葉とは無縁だった。
「お前は実際、変な奴だったからな」
 変な奴、と中里は呟いた。実感がわかない。自分が変な人間だとは思ったこともない。誰かにそう言われたこともなかった。だが島村は当然のように言った。
「だから俺は、今でもここに来るんだよ」
 中里は島村と二度バトルをしているが、二度目のバトルは去年、島村のホームに中里が足を運んでのことだ。中里は島村にそれほどこだわっていたわけではなかった。負けっぱなしでは悔しかったし、今でも時折一度目のバトル後の駐車場で島村が去っていったことを人から聞かされた時、ひどく感じた羞恥心は根強く身を焦がす。だがすぐにでも雪辱を晴らしたいとは思わなかった。なまじ忘れていた。しかし、人に煽られてもなお、まだまだだと言っていられるほど悟れもしなかった。そして島村にそのホームでバトルを申し込んだ。中里は勝った。その後、あまり思い出したくないどたばたがあったので、島村のことは忘れて帰っていた。かつて島村が中里にした、置き去りにするということを、中里は島村にし返していた。そのことについては、悪いと思わないでもないが、同等だとも思った。これでいつか島村が自分に向かってくることもあるだろうと、若干楽しみにしていた。だから島村が今年に入ってこの峠に初めてやって来た時、リベンジ目的ではないと明言したことに、中里は驚いた。戦績が五分五分のままで十分とするほど情熱のない男には見えなかった。上昇志向のある男に見えた。それが、ただこの妙義山を走りたいのだと言った。島村がそう言ってきた時点で、元々分かっていたこともなかったのかもしれないが、中里は島村という男が決定的に分からなくなったのだった。

 同じ車に乗っているから、話は合う。島村の喋りは笑いも誘う。島村は妙義ナイトキッズというクセがありすぎるため新メンバーが入りにくいチームにも見事に溶け込んでいる男だった。悪い奴だとは思わない。だがどれだけ話しても、中里は島村が何を考えているかということを見透かせない。島村の心奥に触れられない。島村はそれを注意深く隠している。わざと誰にも触れさせないようにしている。そのくらいは中里にも分かった。そうして注意深く本心を隠している奴がナイトキッズには既にいたからだ。庄司だった。島村は庄司と似ていた。何を感じて何を考えているのかを、誰かに容易く見透かされることを良しとはしていない。内面を隠している。警戒心を解くことがない。劣位に立たされないようにと常に気を配っている。
 だが島村と庄司は似ているようでも違った。中里は島村の真情を受け取ることができない。真顔も笑顔も何を表しているのか察せられない。庄司の場合は違う。言葉の端々から剥き出しのその感情が窺える。動きの端々から生身の庄司が感じられる。だからこそ今、庄司に避けられていることに中里は不安を覚える。生身の庄司を感じられないことに心許なさを覚える。庄司は善人とは言いがたい奴だ。中里は倫理を無視する人間はあまり好かない。それでも庄司に避けられていることには不安を覚える。その社会性を度外視できるほど、庄司は中里の内側に体幹に入り込んできている。だから生身の庄司も感じられる。島村は違う。島村はこちらに入り込んでこない。島村は庄司よりも用意周到に内実を隠している。探られたがってはいない。そこに敢えて踏み込むきっかけも中里は持っていない。
 そこまでぼんやりと考えて、中里はふと疑問に感じた。敢えて踏み込むきっかけといえば、そうだ、庄司にもなかった。島村よりは綿密さがなかったとはいえ、その分自然な防護壁が高かった庄司も、内実を探られたがってはいなかった。それでも中里はいつの間にか踏み込んでいた。庄司の真情を感じ取ろうとした。庄司がこちらに何かを発してはいないかと探ろうとした。今でもそうしている。だから生身の庄司も感じられるようになった。単にそうしたかったからだ。
「……俺にその気がねえってことか?」
 中里は煙草を吸いつつ、一人首を傾げた。島村がなぜ庄司にチームの飲み会に参加するか否かを聞きに行ったのか分からない。何のためにそうしたのか分からない。疑問ではある。不思議ではある。だが、その理由を積極的に分かりたいとも思わなかった。島村は悪い奴ではない。妙義のコースを気に入ったと言うような立派な男だ。だがどうやら、そんな島村のような男の考えを、理解しようと努める気が自分にはないらしい。庄司のようなあくどい奴に避けられただけで、不安を覚えてしまうというのにだ。
「………………何でだあ?」
 単に、そうしたくなるか、そうではないか、ということだが、なぜそういう分類がされてしまうのか、中里は自分で自分が分からなかった。走り屋としての実力でいうなら島村も申し分がない。とすれば人間性がその要であるのか。人間性からすれば島村の方が良いだろう。何となくそんな気がする。R32にも乗っている。同じ日産びいきだ。同士である。それでも島村よりも庄司のことを分かりたいと思う。
「……分からねえ」
 どう考えても、そう思うものはそう思うのだ、という結論しか出てこなかった。中里は考えることをやめた。大体野郎のことをどうこう考えたところで楽しくはない。ちっとも楽しくないことをやめて、吸っていた煙草を携帯灰皿におさめたところで、島村のR32が姿を現した。島村よりも庄司の方を意識的に優先しているらしい自分について思い返すとばつが悪くなったが、だからといって島村を蔑ろにしているわけではない。中里はいつも通りを心がけた。車から降りた島村が迷いもなく一直線にこちらに向かってくる。それをいつも通りに見続ける。島村は中里の前に止まってから話をする。歩きながらでは挨拶しかしない。その律儀さは中里に波及する。島村と話をする時には、島村に集中しなければならなくなる。
「庄司は出るってよ」、と島村は事もなげに言った。「俺も出る。佐伯には言っといた」
 中里は目を見張っていた。
「聞けたのか」
「素直なもんだったぜ」
 島村は真顔で言った。あの庄司を皮肉を交えず素直と言い表すような人間をこれまで中里は見たことがなかった。まったく島村は分からぬ男だった。
「何だ、どんな手使ったんだ、お前」
「どんな手も何も、普通に話をしただけだ」
 軽く肩をすくめた島村が笑う。中里はいつにないばつの悪さを感じながら、島村、と言った。
「何でお前わざわざ、慎吾の都合聞きに行った」
 それは分からないままでもよいのだが、先ほど考えたことを思い出すと、少しはこの男を理解しようとするべきだという義務感がわいた。直接本人に尋ねれば、正確な答えに触れられるかもしれない。正確な島村に近づけるかもしれない。
「お前の悩みは解消されただろ」
 島村は相変わらず、笑みを浮かべている。中里は顔をしかめた。
「俺のためだってか?」
「だったら何だ?」
 その笑みは一瞬にして消えていた。人を蔑むような目が中里を捉えていた。無理解を示した中里への失望が塗られた目だった。その島村の目が真実の島村のものであるのか、それともあくまで作り物であるのか、中里には見分けがつかなかった。島村が単にこちらを蔑んでいるのか、それともその裏に何かの意図をまぎれさせているのか、中里には想像もつかなかった。いつでもそうだ。不可解だ。不可思議だ。おかしく思う。だがそれを、中里は積極的に分かりたいとも思わないのだった。
「……悪かったな。助かったよ。けど、俺がするべきことだった」
 だから、明確にされた言葉に対してしか、言葉は返せなかった。幹事に頼まれていたのは中里である。中里が庄司に都合を聞くべきことだった。島村を出させるようなことではなかった。中里は謝った。謝り、またそれが自分の領分だったことを主張した。その途端、島村はまた笑んだ。
「そうだな。こっちこそ、でしゃばって悪かった」
「いや……」
 否定し切るべきだと頭で分かっていたが、中里はそれしか言えなかった。島村は行き先の知れない笑みを浮かべたまま、走ってくると言い、また32へと戻っていった。中里はその背を、重厚な音を鳴らすその白い車を、見えなくなるまで見続けた。ばつの悪さはいつまでもあった。
 否定し切れなかったのは、リーダーとしてのお株を奪われたことへの嫉妬心、それゆえかもしれなかった。自分が三日間できなかったことを、島村はいとも簡単に成し遂げた。幹事も島村には一目置いただろうし、既に島村はチームに馴染んでいる。飲み会に出ることについても、他のメンバーは不愉快には受け取らないだろう。むしろ歓迎するのではあるまいか。そこまでの親しみやすさを、自然さを、島村はこの地で作り出していた。誰も島村に悪い気はしないだろう。それが筋だと中里は思う。だが中里はわだかまりを抱いていた。庄司は島村とは素直に話をしたという。では自分が聞きに行ってもそうだったのではないだろうか。そもそも本当に庄司はこちらを避けていたのか。自分の方がそう思い込んでいたのではないのか。だが避けられていたように思う。何が本当なのだろうか。島村はなぜ庄司に都合を聞きに行ったのか。島村の言うことは何が正しいのだろうか。庄司はなぜこちらを避けるのか。庄司は飲み会に出るという。島村がそれを聞き、幹事に伝えた。幹事の悩みは解消し、中里が庄司とどう接触を持つか悩む必要もなくなった。必要がなくなった? そうだろうか。庄司とはまだ話ができていない。今後永遠に話はできないかもしれない。庄司は島村とは話をした。島村はどうやって話をしたのか。島村のことは島村にしか分からない。庄司のことも庄司にしか分からないだろう。だが気になる。庄司は何を考えているというのか。何を考えこちらを避けているというのか。いや、本当にこちらを避けているのだろうか。一体庄司は今、何をしているのだろうか。分からないことだらけだった。
 結局悩みが解消した気がしないまま、飲み会の時にでも聞くしかねえか、と中里は疲労感に満ちたため息を吐いた。



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