約束の行方 2/5
3.<判明! その男、制服フェチにつき>
黄色いスポーツカーを後ろに引き連れて妙義山へと舞い戻ってきた中里は、さあ慎吾はどうなったようやく捕まったか留置場行きかと色めきだったチームメンバーやら一般ドライバーやらの興奮を半ばだけ抑えたのち、庄司慎吾については「疑惑を晴らせなかったからあっちで一週間監視されることになった」とその人身御供っぷりを説明し、隣に立っている高橋啓介については「慎吾とのトレードで出されたから連れてきた」と素っ気なく説明し、「というわけで」、と仏頂面でズボンに両手を突っ込んでいる啓介を示しながら言った。
「今日からこいつがここに一週間通い詰めることになったが、気にするな。以上だ」
ういーっす、と地べたにしゃがみ込むなり猫背気味に立つなりしている男衆が低くむさ苦しい声を上げ、「ハイハイハイ!」とその中のパーマ頭がズバッと挙手した。
「せんせーい! 慎吾クンはもう戻ってこないんですかー?」
先生って誰だよ、そこはお母さんだろ、とドッと場がわくも、高橋啓介はむっつりしたままだった。こいつは見事に愛想ねえなと思いつつ中里は、一週間経ちゃあ戻ってくるよ、と耳の横にピッチリ腕をつけているパーマ頭に答えた。ハイハイハイ、と再びパーマ男は質問した。
「っつーかあ、マジで慎吾クンがそんなステキなことなさったんですかー?」
マジでもおかしかねえだろあいつなら、と一人が口火を切ると、「今まで表沙汰になんなかった方がおかしいんだよな」「絶対執行猶予もんだって」「実刑じゃねえのかよ」と各々が煙草を片手に笑いながら言い合い、どうだろうな、と中里は再び答えた。
「やった奴はうちのステッカーを貼った赤いシビックに乗って、ショウジと名乗ったそうだがよ」
「うは、それ鉄板じゃん。ヤッベーな庄司クン」
「しかし、相手はニット帽にサングラスにマスクしてたというから、慎吾かどうかは確認されていない。ナンバーだって確認されてねえんだ。確定的な証拠はねえよ。それに事が行われたのは、あいつが飲んだくれてる時のはずだ」
ああ昨日の、っつーか今日の、とそれぞれ納得し、「確かに昨日はゴールデンタイムからオールだったもんなあ」「やるったら日暮れくれえじゃねえとできないんじゃね?」「でもあの口振りだとパチンコやってからだろ、飲みに来たの」「うへ、じゃあアリバイも鉄板?」「疑わしきは罰せずっつーのになあ。あそこの連中の考えてるこたァ分かりませんな」と笑い合い、それを黙って聞いていたらしき高橋啓介が、「チッ」と舌打ちした。
つかの間空気が凍ったが、こええ、と笑いながら両腕をこする真似を一人がし、おめえそれ怖がってねえだろと一人が指摘し、ぎゃはははは、と下品な笑い声が上がって、繊細な空間はとっととぶち壊された。
高橋啓介がこの独特の場に馴染めるのか多少心配であったが、慎吾との約束も果たさねばならない。中里は「俺すんげえ怖がりだからさあ」と笑いながら言っている一人に、おい、と軽く声をかけた。
「ところで、小田はどこだ」
「小田? ああ、あいつシーマの後ろでオナニーしてますよ。じゃねえ、小便か」
「最近切れが悪いんだってよ、勃ちも悪いっつってたな」
「ってか、自己資産の運営について悩んでんスよ。あ、でもフーゾクでクラミジア移されたっつってたから、近寄んねえ方がいいッスよ」
好き放題に言う者どもの中から欲しい情報だけを聞き取って、そうか、と頷き、「おい、高橋に変なちょっかい出すんじゃねえぞ」、と警告して、「ハーイ」と間延びした返事が上がるのを確かめてから、中里は皆が示した方向へと歩いた。肩まで伸ばした金髪、同じくらい伸びた前髪はチョンマゲ風にゴムで縛られている男が、シーマの車体に隠れるようにして座り込んでいる。小田だ。近寄ると、念仏のような独り言が自然と聞こえてきた。
「……で、今日はこれ終わったら後は寝て、明日は朝がユキ、昼がユキの弁当、夜もユキで出費ゼロ、明後日がラーメンふやかして乗り切れば……よし、給料日まで完璧だ!」
叫んで立ち上がった小田の横から中里が、「小田」、と声をかけると、わッ、と万歳したままの体勢で小田は仰け反った。
「た、毅さん。あれ、戻ってたんすか」
「ああ。資産運用についての計算は終わったか」
「え、はあ、まあ。とりあえずは、生き残れそうです」
「そうか。大変だな」
「いや、バイトやってもやっても、金が貯まらねえんすよね。何でだろ」
小田は不思議そうに首を傾げたが、あ、そんなことより慎吾はどうなりました、と金欠状態の理由についての思索には未練もないように問うてきた。
「一週間、あっちに通い詰めて無罪を晴らすってよ」
「そうですか、そりゃあ平和ですね」
「まあな。ところで、小田」
言って、慎吾がそうしてきたように小田の肩に腕を回し、体を引き寄せる。何すか、と不可解そうにゆがむ小田の顔を見据えながら、お前、と中里は喉を潰すような低い声でささやいた。
「ステッカー、売ったらしいな。ジョシコーセーに」
えええええええ! と大声を上げた小田の口を、肩に回した手ですかさずふさぎ、大声を出すな近所迷惑だ、と脅すようにささやいてから、手を離す。
「むごッ、ぷはッ、は、はいすいません、で、でも毅さん、な、何でそれを知って」
「慎吾から聞いた。どういうことだ」
「ええと、はい、どういうことと申しますか、そういうことと申しますか、そうです。売りました。家賃三ヶ月溜まっちまってて、金なくて」
「いつのことだ」
「はあ、えーと、ありゃいつだったかな。三週間くらい前の、日曜日かな。コンビニにいたら、あの、セーラー服のくせにすっげえミニスカートの、ジョシコーセーが来ましてね。ステッカーチョーカッコイーチョーカッコイー言うもんだから、ああ面倒くせえなあ金くれねえかなあって思ってたら、売ってって言うんですよ。俺その時百円しか持ってなくて、明日の飯もなかったもんで、誘惑がね。それにあの、セーラー服のスカートのあの太ももが。目がやられまして。だってセーラー服であの太ももは卑怯ッスよ、飛び道具ですよ。殺傷能力ありすぎですよ。それでふと気が付くと、俺の手には一万円札が……」
小田は開いた両手を睨んで体を震わせていた。中里は驚いた。
「一万で、売ったってか」
「はい、ええそうみたいです、ああ、俺って何て馬鹿なんだろう」
睨んでいた両手で小田はガリガリと頭を掻いた。ふむ、と小田の肩から手を外し、中里は考えた。いくら格好良いからといって、ジョシコーセーが一万も出して買う代物とは思えない。が、近頃の派手なメイクをして極限まで肌をさらしてチョーチョー言っているジョシコーセーの価値観は、中里には知れないものだった。一体何の魂胆があったのだろうか。
「小田、他に何か言ってなかったか、そのジョシコーセー」
「んー、えー、何だっけ、何か、安いもんだよね、とか言ってたような」
でも一万て安くねーすよね、と小田は腕を組んでううんとうなり、そうだな、と中里は頷きつつ、他の条件を考えた。もしや、そのジョシコーセーは買収されたのかもしれない。最初に二万を手渡されていれば、一万で買ったとしても差額の一万は己の懐に入るのだ。安いものだろう。しかしそこまでして、買収人は一体なぜステッカーが欲しかったのか?
「いやっつーか毅さんすいません、外部への流出禁止っつわれてたのに……慎吾の奴に言ったら、黙っててやるっつったから甘えちまって……」
小さく縮こまった小田に、いや、と首を振る。
「どうせジョシコーセーに一万出されるってんなら、他の誰かが売っちまっててもおかしくねえからな。気にするな」
それだけ懐や下半身が極限状態の人間も多くいるのがこの場所だ。おそらく買収人はそれを知っていたのだろう。でなければ連帯意識に対しては慎重になるはずである。とすれば、やはりチームの内情に詳しい人間が、慎吾に罪を被せるまでにそこまで手を込んだことをしたのだろうか? ううむと考え込んだだ中里が眉間にしわを寄せると、怒っていると勘違いした小田が、すいませんすいませんとどんどんと小さくなっていった。
「ホント。もう、今度競馬で勝ったら、一万円で新しいの買いますから。マジで」
両手を合わせて拝むように頼み込んできた小田に、そんなことは気にするな、と言ってから中里は、でもギャンブルはやめとけ、と心から忠告した。
すいませんすいませんすいませんと謝り続ける小田のもとから戻ると、高橋啓介は数人のメンバーに囲まれており、来た当初よりも表情を和らげ、軽口も交わしているようだった。気質的には合わねえわけじゃねえのか、と感心しながら中里が近づくと、だがすぐさまその顔からは明るさというものが消えたのだった。
「どうだ、ここは」
尋ねると、それには答えず啓介は、「お前はそんなに野郎とくっつくのが好きなのか」、と嫌そうに尋ね返してきた。何やらただならぬ誤解が生じたままのようだ。周りにいる他の者たちは噴き出している。ここで必死に否定しても笑うネタを常に探している暇人どもには良い肴になるだけであるからして、そんなわけねえだろ、となるたけ冷静に返してから、中里はさっさと話題を変えた。
「高橋、走りたきゃ走っていいぜ。今なら他に来ている奴らにも迷惑にはならねえ」
「今日はいい、もう赤城で十分走ってきたし、気が乗らねえ。帰る」
「そうか。家に帰るのか?」
「この辺のダチに泊めてもらうよ。誰か彼か暇してんだろうし、貸したゲーム返してもらってねえし」
「気を付けろよ」
特に意識せずに中里がそう言うと、啓介は家の中でトンボを発見したような驚き顔になり、分かんねえなお前、と訝しげに呟いた。
「あ?」
「いいけどよ。じゃあな」
そうして何が良いのかも言わないまま、高橋啓介のFDは去っていった。
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4.<探検! 真実はいつも一つ>
用意されたレジャー用の重厚な折り畳み椅子に座り、VIP待遇だなとふんぞり返りながら、慎吾は赤城山に集うドライバーたちを眺めていた。なぜだろう、どれもこれも似たような面に見えてしまう。これは日本人が外人を見た時に見分けがつかないのと同じことだろうか。つまりこいつらは外人か!? ファッキュージャパニーズか!? と一人心の中でボケてみるも、心の中でツッコミを用意するのもむなしいので、慎吾は考える内容をスッパリ変えることにした。
現在判明していることといえば、名を騙られている、その事実だ。誰かがミラノレッドのシビックを用意して――それはEG6であり群馬ナンバーであり同じ数字なのだろうか?――ご丁寧にナイトキッズのステッカーまで貼り付けて――それは小田が売ったものなのか? そして他のステッカーまで同じ位置につけているというのか?――ニット帽にグラサンにマスクをかけてショウジと名乗り――そのショウジが苗字であり庄司という漢字であると誰が聞いた?――強盗した、その事実だ。
しかし考えれば考えるほど、ツッコミどころの多い事実だ。猿でもツッコめるであろう事実だ。それを根拠にして人を一人軟禁するというのは、横暴に他ならない。
しかし慎吾は自らそれに乗っかった。そこに波があるからサーファーはサーフボードを手に海へと飛び込むのである。例え嵐や吹雪の中であろうが、ビッグウェーブが来れば己の命も顧みずに突き進んでいく。それこそが海の男である。山にしても同じだ。そこに峠があるから走るのである。峠に来てああ紅葉が美しいなあと思うよりもまずコースと路面状態を脳に叩き込むのだ。それこそが走り屋である。実生活にしても同じだ。そこに興味をそそる問題があるからとりあえず覗いてみるのである。善悪などはそっちのけだ。それこそが、粋な男である。
さて、粋な男は粋な男らしく、与えられた流れにはひょいひょいと乗っかってやろうではないか。しっかし手間がかかり過ぎじゃねえかっつーか無駄が多すぎだろ、という無粋な指摘は、ここで容疑者を監視する有効性の前には積もらぬことチリの如しだ。
とムリヤリ筋道を立てなければ納得できない現状であるが、ともかく、一日目は大人しくしているべきだろう。下手に他の連中と馴れ馴れしくしても上手にクールを気取っても、避けられるに違いない。仲間を襲った強盗犯と思わしき人間と手を取り合ってランランランとするようなお人好しの考えナシもそうそういない、そう考え、慎吾はそうそういない人間をすぐに思い浮かべてしまったので、一人首を振った。いくらあいつでもそこまで馬鹿じゃねえだろ。いや待て、でも馬鹿っぽいな。ううん。
しかしいない人間のことを考えても仕方がない。高橋涼介も渉外役もどこかへ行ってしまっているから、真意を探ろうとしても仕方がない。推理小説を前半部分しか読まないで犯人を特定してしまうようなことは、マニアでなければそうそうできないだろう。でも俺推理小説マニアじゃねえし。ムリだし。
そんじゃどうするかね、と思いながら、慎吾はポケットから煙草を取り出し一本くわえて火を点けた。煙を吸い吐きしながら、車のボンネットを開けてエンジンルームの鑑賞会をしていたり次々と発車していったり戻ってきたりするドライバーを再び眺めた。遠くからではあるが、やはりどれもこれも似たような人間に見える。
「……あ?」
慎吾は思わず声を出した。そう、どれもこれも似たような人間に見えるのだ。髪の染め方も髪型も一定で、服装も清潔感という一点を揃って押さえている。
だが、その中に、見覚えのある雰囲気あった。しかし目を凝らしても、一体どこの誰がその目に見えるはずの雰囲気を発しているのかが分からない。あるいは、単なる目の錯覚なのだろうか? ホームシックにかかり、身近な人間を思い出させるものなら何でも引き入れてしまっているのだろうか?
「……分ッかんねえなあ」
「どうしました」
一人呟くと、突然聞き慣れぬ声をかけられ、驚きのあまり「うおッ」と椅子から滑り落ちそうになり、慎吾は慌てて体勢を保った。声のした方を見上げると、そこには渉外役が立っていた。いつの間に現れたのか、気配がまったく感じられなかった。うだつの上がらないサラリーマンのような顔をしているというのに、相当な使い手である。高橋涼介の参謀役を務めているのだろうから不思議ではないかもしれないが、しかし得たいの知れねえ奴だな、そんなことをぼんやり思いつつ、ああ、と慎吾は椅子に座り直しつつ煙草を吸い、煙を大きく吐き出してから、質問に答えた。
「いや、どうも何か、見たことあるような感じの奴がいたような気がしたんだが」
「ああ。この辺の奴らも妙義山には行ったりしますからね。だからじゃないかな」
そうか、と慎吾は頷いた。そうかもしれねえ。あっちにいる時に、たまたま見かけた奴が今ここにいた。十分考えられる。しかし、それにしてはこの違和感は奇妙だった。煌びやかな舞台の上にねじり鉢巻の大工が迷い込んだのを目撃してしまったような、やり切れない違和感だ。慎吾は答えを期待せず、その根源たる景色を眺め続けた。
渉外役も同じように慎吾の見る先へと目をやり、しばらくしたのち何やら一つ頷くと、その毒気のない顔を向けてきた。
「どうですか、赤城は」
どうもこうも、と慎吾は椅子にわざとらしく背を預けた。
「これほどまで自分が人気者だとは思ってもみなかった、っつーかな」
「ははは。まああんなことがあったばかりですからね」
眉の端を下げ、困ったように渉外役は笑う。皮肉は通じるらしい。ということは話も通じるだろう。少なくともロボットじみた精密さを備えている高橋涼介よりは、話もしやすい。まああんなことがあったばっかだけどよ、と呟いてから、「ところであんた」、と慎吾は軽く外堀をツンツンすることにした。
「はい?」
「実際、俺がやったって思ってんのか」
ためを作らず聞くと、うーん、と渉外役は困ったように腕を組んだ。
「それはどうとも言えませんね。あなたがやったというどこでも通用する証拠を俺は見てないし、やっていないというどこでも通用する証拠も俺は見ていない。どちらとも断定はできない状況、かな」
そつのない答えだ。偏見も思い込みもない。ふうん、と慎吾は左斜め後方を振り仰ぎつつ、うまいこと言うな、と本心から褒めた。渉外役は大きく笑い、下手なことを言うといつもいる奴にすぐ厳しいことを返されますんで、とのんびり言った。
「気ィ抜けねえだろ、それ」
「慣れりゃあそうでもないですよ。言ってきそうなことも読めてくるし。まあ長い付き合いですからね」
俺にゃあムリだな、そこまで神経細かくねえし、と慎吾は首を戻し、煙草をくわえながら呟いた。相手のボロを指摘するのは楽しいが、自分のボロを指摘されるとケツを蹴り飛ばしてやりたくなる。俺もそんな細かくないんだけどなあ、と渉外役は鷹揚に言い、ああでも、と思い出したように付け足した。
「別にあなたのことの言ってることは疑ってませんよ。俺も、涼介もね」
会話が元の場所に戻ったため、慎吾は煙を吐いてからまた左斜め後方を振り仰ぎ、渉外役を上目で見据え、「なら何で俺をここに置く」、と核心に踏み込んだ。渉外役は目を細めて少し考えてから、口を開いた。
「仮に、真犯人がいるとしてですね」
「仮に、ね」
「仮に。犯人がもう一度ああいうことをやるってのは、結構な確率だと思うんですよ。罪を被せるなら何度もやる方が効果は上がる。しかし君は今ここにいるわけだから、やったって意味はない。だからここにいてもらうのは、まあ、抑止力みたいなもんかな」
淀みない説明だった。そのまま合点するにはシャクなほどすらすらとしていた。そんな場合、素直にうむうむと頷くほど、慎吾は物分りの良い人間ではない。
「けど、仮にいる真犯人が、俺がここで見張られてることを知ってるとは限らねえだろう。どこの誰がやったのかも分かんねえんだから」
「どうかな。そいつは多分赤城を熟知している。襲われたのは他の走り屋がほとんどいない、ここ独特の時間帯だったし、襲われたコースは待避所近く、そして逃げようがない場所だった。無作為にここを選んだにしては、やり方がスマートだ。そして何より、以前にうちのメンバーを世話してくれて、ここではちょっとばかり有名な、君だと偽称した。そつがないですよ」
慎吾は腕を組んだ。確かに以前、妙義山でだが、レッドサンズの人間とガムテープでスマッチをやらせて頂いたことがある。その時リアバンパーを少し突っつかせて頂いた記憶もある。非公式で済んだが、その悪評が浸透していてもおかしくはない。だからこそ、強い疑心を持たれても、当然と言えば当然だ。それを知っている人間といえば、その相手の仲間か、あるいはそれを目撃していた地元の人間か。女子高生にステッカーを売った小田が、制服フェチと知っている人間か。赤城レッドサンズにも妙義ナイトキッズにも、知識深い人間か。
「そつがない、割には俺のアリバイを調べてねえみたいだが」
「そこまでする必要がなかったか」
「面倒くさかったか」
そっちの方が正しいかもしれないな、と渉外役は夜空を見上げる。「つまり」、と慎吾は指の持ち場がないほど短くなった煙草を地面に落としてから、椅子の背もたれに左腕をかけ、体ごと渉外役へと向けた。
「俺がやったって匂わせられりゃあ、細かいことはどうでもいいってことか?」
「ってことは、つまり君がここにいようが、やるってことだな」
なら俺がここにいる意味ねえじゃん、と慎吾は大将討ち取った気分で軽く笑いながら言った。いやあ、と渉外役は慎吾を向くと、流れを予想していたような余裕を保ちながら言った。
「抑止力はないけど、ほら、人の心は理屈じゃあ動かないってな」
「だからって一週間もここに縛られてんのはなあ。俺、ボランティア精神ってのに欠けてんだよ」
「三日くらいで片はつくだろうって、涼介は言ってましたけどね」
三日? と慎吾は思い切り顔をしかめた。
「何だ、その日数の根拠。あれか、三日坊主とかそういうことか」
「さあ。あいつの考えは、俺でも分からん部分が多いもんでね」
ならば慎吾が分かる道理もなかった。まあいい、ほとんど話したことのない人間の思惑を読もうなど、妄想はなはだしきだ。完全に犯罪者だと見られているのではなくあくまで抑止力として扱われていること、名を騙った奴が赤城山にも妙義山にも出入りしているらしいことを知れただけでも収穫だろう。あとは自分の身には関わりのない話題を広げていけばいい。粋な男として。
「そうかい、まあそりゃいいけどよ。それで、あの弟を妙義にやる理由は何かあったのか?」
あー、と渉外役は苦笑し、それは俺からは答えづらいなあ、とよその方を見た。何だそりゃ、と慎吾も苦笑すると、
「理由のないことを俺はしない」
渉外役のいる位置からは逆方向から突如声が降ってきたため、驚きのあまり声を出せないまま、ガタガタドスンと慎吾は椅子から滑り落ちた。アスファルトに左肘と尻をついたまま見上げると、高橋涼介が立っていた。椅子にようよう座り直し、どうも、と慎吾は他人の好意を呼ぶには凶悪的な愛想笑いを浮かべてみた。どうも、とシマウマ柄のシャツを着た高橋涼介は微笑を返してきた。案外普通だった。
「涼介、驚かせてやるなよ。お前が気配消して出ててくると俺でもビビッちまうんだぜ」
「悪いな、俺は会話の入り方が不得意なんだ」
悪びれもなく言う高橋涼介に対してのそれ以上のツッコミを渉外役は諦めていた。慎吾も諦めた。確かにそのようでございますね、という肯定しかしようがない。
「赤城はどうかな?」
腰を落ち着けた慎吾に、高橋涼介は微笑をたたえたままそう尋ねた。どうもこうも、と慎吾は渉外役への答えと同じことを言おうとして、寸前で踏みとどまった。
「まあ、まだ初日だから、どうもこうも言えねえな」
「短い間だが、楽しんでくれ。普段はあまり接しない人間と交流を持つということは、良い刺激になるだろうしな」
論破する隙もない意見だった。何でこいつらはこうも規則正しいのかね、とわずらわしく感じながら、精々楽しませてもらいますよ、と慎吾は自嘲気味に返した。限られた時間を浪費したくはない。若さとは一瞬なのだ。その一瞬でどれだけ大きな花火を打ち上げられるかが、青春の価値を決めるのである。などと熱血的なことを真剣に考えているわけではないが、与えられた環境で自己を発揮できるか否かを試すのも良い機会だ、というような加減のことは考えていた慎吾であった。
「庄司君、傲慢とは何から生じると思う?」
と、不得意さを堂々と押し出すように、高橋涼介が唐突に言った。慎吾は一応真面目に考え、真面目に答えた。
「それ、シャレか?」
「分かってもらえて嬉しいよ」
「そりゃ良かった。で、ゴーマン?」
「傲慢」
「あー、まあ偉いとか強いとか褒められまくって調子に乗るか、元々自分はすげえって思いまくってるか、そういう気持ちの問題じゃねえの」
「気持ちの問題か。とすれば、傲慢な人間に謙虚さを思い出させるには、どうするべきだと思う?」
何聞きたいんだこいつは、と不思議に思いつつも、特に忙しくもないので慎吾は適当に言葉を返した。
「そいつより強い奴がいるって教えりゃいいだろ。世界は広いってな」
「では強い奴がいなければ?」
「放っときゃあ自分で気付くんじゃねえか? 気が付かなけりゃ根がそうなんだから、他の人間がいじれることでもねえだろ」
新しい煙草に火を点け、っつーかそれ何の話ですよ、と慎吾は高橋涼介を睨むように見た。高橋涼介は慎吾の視線をかわすように肩をすくめ、「理由だよ」、と言った。理由? あんた禅問答でもしてえのか、そう続けかけ、慎吾は息を止めた。つながりようがないところで、話がつながっている。いやしかし、どうもつながっている気がしない。でもつながっているような気もする。何だこりゃ。
「では、これから一週間、よろしくお願いするよ。じゃあ」
慎吾が疑問を言葉にする前に、そう言うと高橋涼介は颯爽と歩いて行った。渉外役も、まあ自然にやってやってください、と軽く頭を下げると、のそのそと去って行ってしまった。
「……何だ?」
よく分からないまま慎吾は煙草を吸い、早く一週間過ぎねえかなあ、と心の底から強く思った。
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