ゆめとうつつと 4
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 闇が山を覆い、一部人工的な光が殺伐と辺りを照らしていた。
 空気は皮膚を刺すような冷たさをはらみ始めている。風が木を揺らし、車のエンジン音の上に高い枝の鳴る音を被せている。
 そんな峠の駐車場で、中里毅は腕を組み、目の前に立つパーカーにジーンズ姿の長身の男を見据えていた。
 服の中の肉は薄いようにも見えるが、動きの端々に強いばねを感じさせる体躯の持ち主だった。しかし、まず目を引くのはその顔である。気の強さを表すように生え揃っている眉、肌からぱっくりと割れ出ているような色素の薄い目、通った鼻筋、引き結ばれている形の良い唇。歪みのない輪郭と、透明な肌。柔らかそうな茶に染められている髪は無造作に立てられている。美形と呼ぶに相応しい端整な容貌。格好良すぎる、としか貶しようがなかった。
「何か用か、高橋啓介」
 赤城レッドサンズの高橋啓介、その男だった。以前、この妙義山で交流戦を行った際、中里はその高橋啓介の駆るマツダRX−7FD3Sに負けている。僅差だった。だが文句のつけようのない敗北だった。その時味わった屈辱感が、今もまだ、少年の面影を残しているこの美形の男に厳しい視線と声を向けさせる。
「フルネームで相手を呼ぶのはお前のクセか、中里」
 パーカーのポケットに両手を突っ込みながら、高橋啓介はどこか億劫そうな表情で言う。中里は舌打ちした。
「何か用かと聞いている」
「話を聞いた」
「何の話だ」
「ナイトキッズが内部分裂起こして戦争勃発したけど、お前が独裁者になることで収まってコースレコード更新しまくってるって話だよ」
 中里は腕を組んだまま、黙った。どこから突っつけば良いやら分かりにくい話だった。よって話自体の改めは後に回すことにした。
「……そんな話を誰から聞いた」
「うちのメンバーがウワサをしてた。本当ならお前がサギを働いてるとも考えられる。タイムなんざ独裁しちまえばイジり放題だからな」
 高橋啓介の表情は決して固くはないが、その目は鋭い光を帯びていた。中里はもう少し黙って、言うことを頭でまとめてから、口を開いた。
「俺たちナイトキッズは内部分裂なんか起こしちゃいねえし戦争もしちゃいねえ。だから俺はここの独裁者にもなっちゃいねえ。そこら辺は全部ただのウワサだ。ただし、俺はコースレコードを更新している。それは事実だ」
 中里は以前、この峠で同じチームのメンバーである慎吾を性的に襲って襲われた事実を隠すため、慎吾を山肌に引っ張り込んでコトを終えてから肩に担いで戻ってきたのを見ていたメンバーに、決闘だと説明した。それがチーム内でナイトキッズの頂上決戦が行われただの何だのというウワサを呼んだ。中里がコースレコードを更新したこともあいまって、やがて中里が慎吾にお仕置きをしたのだと合点されるようになった。勿論中里と慎吾はそれらを逐一否定して回ったが、ウワサというのは一度広まると完全には絶やしにくいもので、レッドサンズの高橋啓介がわざわざここに来るに至った理由もそのためだと思われた。赤城にまで火が燃え移ったのだ。根拠のない話を信ずる人間にはうんざりするが、今のところ中里にはウワサを否定するしか術がない。説明がなければ誰も認識は改めないのだ。怒り狂う暇もなかった。
「二週間で十秒だって?」
 コースレコード更新は事実、というところに引っかかったのか、片方の眉を上げて高橋啓介が怪訝そうに言った。
「ああ」
「本当か?」
「本当だ。ウソだと思うなら、今すぐ確かめてみるか」
「それも良いな」、と高橋啓介は冗談とも本気ともつかない調子で言った。中里は本気と受け取った。
「お前は準備をする時間がねえだろう。だから正式なバトルとはしねえ。要するに、俺の実力を肌で実感してくれりゃいい。俺はお前の後ろを走る。お前は俺の前を行け。上りで白黒つけようじゃねえか」
 言葉の無力さはここ二週間あまりで痛感していた。何をどう言っても、中里が慎吾にお仕置き――どんな憶測が交わされているかは聞かないようにしている――をしたと思い込んでいる奴は思い込んだままでいる。そういう奴を相手にすることを中里はたまらず諦めたが、庄司慎吾は自分の名誉が汚されることを憎むタチで、例えば昨日まで中里を下卑た目で見ていたメンバーが、翌日怯えの走った目で見てくるようになったことがある。何事だろうかと慎吾に問えば、身の程を知ったんだろ、としか答えはなかったが、そのメンバーは慎吾を見た瞬間脱兎のごとく逃げ出すようにもなった。実力行使。それが必要な場合もあるのだと、中里は悟ったものだ。
「お前、ここで俺に負けたことを忘れてんのか?」
 そうして実力で白黒をつけようとしている中里へ、高橋啓介は益々怪訝そうに言ってきた。
「覚えてるぜ」
 中里は高橋啓介を一瞥し、それだけ言って、愛車のR32に向かった。
 忘れるわけがない。死を覚悟したバトルだった。自尊心を注ぎ込んだバトルだった。最後の最後で敗北を喫した。完璧に実力の差だった。それがあった上で、実力を体感せいなどという中里を、高橋啓介は訝っているのだろう。それは分かる。自分とて、そちらのホームで負かしてやった相手に久々会ってそんな偉い口を叩かれたら、速くなったというウワサがあるにしても、何様だキサマはと思ってしまうだろう。だが、ともかくそうとしか言いようがなかった。肌で感じてもらうしかないのだ。
 コースレコードは更新している。速さも増している。最初はそれが自分の実力であると信じようと努力した。だが日を追うごとに疑念が努力を押し潰した。いくら何でもできすぎだ。そう思うようになった。車の細かいバランスは修正しているが、パーツは変えていない。それでも走っている最中、他のことを考えていながらでも、以前より格段上の結果が出た。自分の肉体ではないようだった。恐怖が生まれた。縮小タイムが十秒に達した時点で、本気になることはやめた。自分の力のみではないという確信が芽生えていた。
 約二週間前、二度目に慎吾を襲った時点では、高橋兄弟も秋名のハチロクも束になってかかってきやがれという気概を持てた。やがて萎えた。今の状態でそいつらに勝っても、BNR32の速さを知らしめるという意味では良いが、本来の自分が勝つということにはならない。二度目から三日後、三度目に慎吾とやらせていただいた――ようなものだ、まったく――時には、もう自分の力に怯えていた。高橋兄弟も秋名のハチロクも来ないでくれと切に願うようになった。
 だが結局、高橋啓介はこうして現れた。ウワサが広まりすぎていた。コースレコード更新自体を否定してしまうと、事実無根のサギという汚名をかけられる。ならば実力向上だけは分からせねばならない。速さを知らせるにも言葉は無力である。だがこれ以上騒がれたくないので、バトルはしたくない。とすれば走り合うしかない。ただ先行するとついうっかり逃げ切ってしまいそうだ。慢心ではなく、自分に宿る不可思議な力を自覚しての予測だった。だから後追いで、なるべく離れずついていく。距離が開かなければ明確に遅いということにはならないし、抜かさなければ高橋啓介より速いということにもならない。約二週間前に慎吾を相手にした時は先行したが、その時はあまり引き離さないようにとひどく気を遣って疲れてしまった。中里も学習したのであった。
「いいんすか?」
 メンバーの一人が、心配そうに尋ねてくる。最後に記録を更新したのは十二日前だ。それ以後はタイムアタックではなるべく低い数値を出すようにした。かつてと同じタイム。それでもたまにぼんやりとしていて、現在の記録に迫ることもあった。そんな風にしていると、十二日前の出来事ということで、記録更新がマグレか錯覚か魔人の仕業ではないかと案ずる奴も出始めた。あまり崇拝されても居心地が悪いので願ってもないのだが、お門違いだと感じられることも否めない。
「いいんだよ。バトルじゃねえんだ。変な話にもならねえだろ」
「でも、相手は高橋啓介っすよ」
 一端のことを言う。若手にしては有望なメンバーだった。中里はにやりと笑ってその男の顎を拳で突き上げるマネをすると、俺は中里毅だぜ、と言い、32に向かった。

 やる気は早々にしなくなった。こいつには勝てる。そう思った。どこをどう突けばとっちらかるか、手に取るように分かり、実際に手足を動かしかけた。やめたのは思考が働いていたからだ。肉体が勝手に動いている間、考え事はできる。通常より遅れはするが、その考えを肉体に反映することもできる。この状態も悪くはないな、と少し思った。
 だが、つまらない。
 目の前を走るのは高橋啓介のイエローのFDである。バックランプの軌跡が眼球の裏に残り、タイヤが刻んだラインが白々と浮かび上がってくる。FRで走るなら自分も選択するかもしれないラインだ。ふくらみを最小限に抑えながら最短距離を突破するドリフトと、グリップを織り交ぜて走行している。コースが、路面が、路肩がどうなっているのか、練習もしていないのに把握しているようだ。以前に走った記憶が強く残っているのか、それともヘッドライトに照らされた闇の先のコースを予測することに慣れているのか。とんだ実力の持ち主だった。
 だが、つまらなかった。
 中里は仏頂面でドライビングを続けていた。どうせバックミラーには映るまい。これほど速い相手の後ろにくっついているのに、つまらない。それは追いかけているのが自分ではないからだ。いや、自分ではある。しかし心臓は高鳴らず、血は全身をいつも通りに巡っており、頭は冷静だった。感動はある。目の前を上っていくFDを手足のように操るドライバーの技術に対する興奮もある。高橋啓介サマサマだな、とも思う。だが、それだけだ。FDを追う作業は機械的に行われた。相手と同じタイミングでブレーキでも踏もうものなら車重と特性が違う、後半苦しくなることは見え透いていた。前には誘導されない。本気は出さない。ただ、適当に走る。楽しくはない。命を懸けたものではない。自尊心を費やすものではない。
 悪かねえが、悪いな、と中里は思った。走り屋としての精神が退化していくようだった。
 上りきる前に、中里はハザードランプを点けていた。張り合うつもりはないことを知らせるためだった。油断をさせといて最後に無理矢理抜かすこともできないでもなかったが、する気はなかった。高橋啓介ほどの実力の持ち主ならば、と考えた。慎吾ですら、後ろについてきた時には違和感を覚えたというのだ、あの男ほどの走り屋なら、これまでの走りの中でこちらの速さを十二分に理解してくれるだろう。
 FDは同じようにスピードを落としてきた。駐車場に二台続いて入る。車は離れてとめた。上には慎吾がいるはずだった。探すまでもなく、相変わらずかったるそうな雰囲気を発しながら、庄司慎吾は近寄ってきた。
「抜かさなかったのか」
 いの一番にそう言った。ああ、と中里が頷くと、けっ、と不愉快そうに唇を突き出した。
「わざとだな」
「そんなんじゃあねえよ」
「ここで一発叩いときゃ、あの小僧もデカイ口利けなくなったんじゃねえの」
 それもできないわけではなかった。高橋啓介といえども潰せるだけの自信が今はある。このまま群馬を征服していくのも一つだ、と考えたこともある。すぐにうんざりした。男にまたがらなければ生きていくのもようようだというのに、何が群馬征服だ。求職中でなければ、職場の人間や走りとは関係ない友人知人まで巻き込んでいたかもしれない。のん気なことを考えられるほど、定期的に慎吾にまたがらねばならない状況は、生易しいものではなかった。中里はあらゆることにうんざりしつつ、言葉を返した。
「そうかもしれねえけど、やる気がなくなった」
「何で」
「これは俺の力じゃねえからな」
「奇麗事を言うなよ」
「お前にゃ分かんねえよ、慎吾」
「ああ、俺には分からねえ」
 突き放すように言っても、慎吾は平然と言い返してくる。相手をしてくれるのがこいつで良かった、とこういう時に中里は思う。何度体を重ねても、いつも通りに接してくる。優しくも、厳しくもならない。よりにもよって自分にまたがられるというのに、随分図太い奴だとも思う。だからこそ、今まで張り合ってこれたのかもしれない。
 慎吾には世話になっているという自覚がある。二度目からは、慎吾の言うところの『発情』する時間も読めてきた。三日に一回というサイクルで、夜だ。だからさほど手間は取らせていないはずだが、それでもやらせていただいているという感じは否めない。性交を行うことで、着実に、慎吾の体力は奪っている。二度目の時には二日連続だったが、翌日慎吾は死にかけていたそうだ。三日に一度くらいならまだ良いらしい。二日に一度はそんな付き合い切れねえぞ、と宣言されていた。今のところはまだ付き合ってもらえている。他のメンバーには手を出したくない。一度吸ってしまった青美は、その当時のことは覚えているんだか覚えていないんだか、曖昧になっているらしく、話は流れそうもないが、かといって他の奴が青美のようになるとは限らない。現に慎吾はしっかりと一部始終を覚えている。大体、同じチームのメンバーに次々と尺八をかけていくリーダーにはなりたくない。
 だから、慎吾がいてくれて助かったと思う。愛想はないし根は悪くないものの常に人を陥れることを勘案しているような男だが、性交を頼めば嫌とは言わないし、最中も無理なことはしてこない。稀に時間をかけたがることが、玉に瑕といえばそうだ。しかし贅沢である。体力を奪われることを承知の上で、男に生で突っ込めるような男もそういないだろう。中里はそうして慎吾に感謝し、そんなところで庄司慎吾という走り屋に感謝せねばならない現状にげんなりし、ため息を吐くのだった。
「何だよ、計算通りだったんだろ」
 漏れたため息を不可思議に思ったのか、慎吾が問うてくる。もう一つため息を吐いてから、中里は言った。
「そんなこと、計算しなけりゃならなくなったってのがな……」
「嫌気が差したか?」
「俺は、俺のまんまで良かったと思うぜ、チクショウ」
「俺も、それは思うけどな」
 今更どうしようもない、という慎吾の思いが声に乗っていた。二週間、事態の解決はない。原因も分からない。探りようがない。とりあえず、その場しのぎで毎日を送っている。ため息しか出てこない。
「おい、どういうつもりだ」
 と、FDから降りた高橋啓介が、意を決したようにこちらに向かってきて、まだ遠いところからそう言った。ため息を吐いたばかりの中里は、反応が遅れた。
「あ?」
「お前、手ェ抜いただろ」
 距離を縮めた高橋啓介が、間近で囁くように問うてきた。焦りが窺える。怒りの炎がその内臓をあぶっているのが見えるようだ。速さは理解してもらえたらしいが、それを理解させるための手段まで理解されたため、機嫌を損ねてしまったらしい。そこまでは計算しておらず、中里はどもりつつ答えた。
「そんなこと、ねえよ」
「後ろについてられりゃあそのくらい分かる。乗り気になったクセに、何で人をコケにするようなマネしやがった」
「いや、だから、手ェ抜いたわけじゃねえって」
「じゃあ何だってんだ」
 高橋啓介は憤っていた。だが中里に対して憤怒の矢を発しているというよりは、理不尽な現象が解明されないことに腹を立てているようだった。中里は焦りつつ考えた。ここで洗いざらいすべてを説明したところで、この男が信じるとは思いがたい。夢を見て、同性に発情したら、速くなっていた。そんなことは中里でも納得しがたい面がある。まさかこの男相手に決闘云々と言うわけにもいかない。だがこの場を丸く収めねば折角下手な計算をして本気になることを避けてまで高橋啓介と走った甲斐がない。もうこの際多少強引だろうが実態に当たらずとも遠からずだろうが、相手を納得させられそうな理屈ならいいだろう。中里は決心し、なかなかの剣幕である高橋啓介をしっかり見返しつつ、高橋啓介、と果断に言った。
「お前は、宇宙人の存在を信じるか?」
「……は?」
 高橋啓介の顔は呆れに染まった。中里は構わず言葉を続けた。
「俺は最近宇宙人というか、この世にはまだ解明できていねえ現象や何かが沢山存在してるんじゃねえかと思うようになってきてな」
 高橋啓介の表情が、呆れから不審に変わった。
「…………で?」
「実際、俺の体にはそういった、物理的に説明しようと思ってもできねえ感じの、ジョーシキでは考えられない変化が起こっているんだ。理屈じゃどうとも言いがたい。しかし、ともかく俺は宇宙人というか超能力というか、何かこう異次元的な力を得ているような気がしてならねえ。で、これは俺の本来の力であるかというとまた違うんじゃねえかという感じもなきにしもあらずで、それを正しいと主張するのもまた妙な話じゃねえかと……」
「何だ、その気がするだの感じがするだのなきにしもあらずだの、っつー責任回避だらけの話は」
 結構イケている理屈だと思ったが、そこを指摘されると弱かった。中里は口をつぐんだ。これを退けられると、他に何とも言いようがなかった。言葉は無力だ。
 高橋啓介は窮した中里を一瞥して、くだらないとでも言いたげに顔をゆがめてよそを見、パーカーのポケットから煙草の箱を右手で取り出した。一本が形の良い唇に挟まれ、箱から完全に抜ける前に、その箱が宙を舞った。顔のまん前、中里は箱を左手で取っていた。高橋啓介は、よそを見たまま煙草の箱を中里の顔めがけて投げたのだった。考えられぬ素早い動きだった。そして中里は、その煙草の箱を、潰さずに掴み取った。
 高橋啓介は、鋭い目で中里を見据えていた。中里が煙草の箱を投げ返すと、右手で受け取り、ポケットに戻し、火を点けぬ煙草を咥えたまま、高橋啓介は不可解そうに眉根を寄せ、言った。
「お前、中里か?」
 冗談には聞こえなかった。冗談で返すわけにはいかなかった。だから中里は、高橋啓介を見返しながら言った。
「多分、一応な」
 交わした視線を高橋啓介は興ざめしたように絶ち、中里に背を向け、首を傾げながらFDへと歩いて行くと、手早く駐車場から去った。

「ま、お前にしちゃ賢いやり方だったな」
 横に並んだ慎吾が言った。中里は何も言い返さなかった。これで良かったのだと合点している自分もいるが、もっと適切な追い返し方があったかもしれない、高橋啓介ともあろう走り屋相手に加減をする必要などなかったかもしれない、と悔やむ自分もいた。高橋啓介の目は確実に中里の異変を捉えていた。そこまで分かるのならば、慎吾に話したようにすべてを白状しても良かったのではあるまいか。いや、そうだろうか。夢を見て、同性に発情したら、速くなっていた、などと言って、高橋啓介の理解は得られただろうか。先ほどのように何となく馬鹿にされて終わりのような気もする。ならば、これで良かったと思うしかない。この状態を冷静に見られる奴が慎吾以外にゴロゴロいてもそれはそれでおかしなものだ。
「今日はいいのか」
 声を返さなくとも、慎吾は横に並んだままだった。言われて中里は思い出した。前回していただいてから三日経っている。時間的にもそろそろだ。
「いいのかどうかは分からねえ。だから用心しておくに越したことはねえんだろうな。頼むぜ、慎吾」
「頼まれるようなことでもねえんだけどなァ」
 疲れたように慎吾が言い、歩いていく。中里はその後に続いた。時間が迫ってきたら、慎吾の隣に乗る。他のメンバーには技術向上のためだと言い張っている。走り出して、本格的に中里が参ったら、路肩なり待避所なり脇道なりに入り、降車して、闇夜と木々に隠れて手早く済ませる。最早慣れたものである。脱いで勃たせてハメて出して、所要最短時間は三分だ。慎吾がこだわる場合は八分ほどかかる場合もある。その間、とめている車を見られても話し合い中ということでごまかせる。車中にいないことを気付かれたら、煙草を吸いたくなったと説明がつく。今のところ、説明が必要になったことはない。
 その日も下りきった先の脇道に入り、シビックから降りて、木を支えにして擦って勃たせて立たせて入れて、三分で終えた。慎吾がまともに運転できるようになるまで五分はかかるが、それは待てば良いだけの話である。中里が運転していて途中で気を失いかけようものなら事故を起こす危険性が高くなる。駐車場から徒歩で影に向かう手もあるが、人が来る可能性があるし、何より気分が悪くなってから姿を消せば要らぬウワサが立たないとも限らない。目下こうして済ませることが最善だと考えられた。
「悪いな、お前だけ割食わせちまって」
 硬いシートに苦悶の表情を浮かべながら座っている慎吾へ、中里は隣から頭を下げた。こうして慎吾の回復を待つ時間は常に罪悪感がつきまとう。前々回あたりに衝動を堪えれば過ぎ去るのではないかと実験してみたが、途中で意識を失った。気付いた時には今のように、苦しげな慎吾がシートに座っていた。つまり、勝手にコトを終えていたのだった。無意識でもシてしまうという結果からは、堪え続けた先の発狂も危惧された。別に我慢しなくてもいいんだけどよ、と疲れたような慎吾がその時言ったものだった。それ以後、我慢はしないようにしている。
「お前、人の話覚えてねえよな」
 眉根にクッキリしわを作ったまま、慎吾が呟くように言った。
「あ?」
「まあいいけどよ。さて、戻るか」
 慎吾はベルトを締め、ライトを点けてアクセルを吹かし、ギアをローに入れ発進した。中里もベルトを締め、わけが分からぬままに問うた。
「何の話だ」
「気にすんな。お前がそういう奴だってことは、俺が一番分かってんだ」
「だから何の話だ、慎吾」
「やかましい」
 苛立たしげに言われては、それ以上言葉を続けようがなかった。何か忘れていただろうか、と車中で中里は考えたが、結局駐車場で下ろされても、何が何やらサッパリ分からなかった。


2007/10/31
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