ゆめとうつつと 6
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 高橋涼介の自室に置かれている籐椅子は、父方の祖母から二十歳の誕生日に譲り受けたものである。
 父方の祖父が四十歳の誕生日に二十歳の愛人が贈ったというそれは、父方の祖母が何食わぬ顔で受け取って火にくべたという伝説があったため、涼介が二十歳を迎えるまで身内の誰も実物が残っているなど予想もしていなかった。人間還暦を過ぎれば丸くなるものだと祖母は言い、孫の中で一番浮気とは縁がなさそうなのはお前だと、二十歳になった涼介を指名した。祖母が何の根拠をもってそう断定したのか涼介には知れなかった。敢えて聞きもしなかった。実際にそれまで浮気をしたことはなかったし、今後女性との火遊びに時間を割く自分も想像し得なかったため、ただ祖母に敬意を払い諾々と籐椅子を頂戴した。機械と本に溢れている自室の窓際に据えた古びれた籐椅子は初め異質な物体だったが、目障りでなければ日が経つにつれ注意もしなくなるもので、今では足をぶつけた時に思い出す程度の置物だった。
 その置物に、下半身裸の男が足を開き腰を突出しながら座っている姿があるのは、四十歳の祖父を愛した二十歳の女性の情念でも残っているからだろうか、それに対する祖母の情念が染み付いているからだろうか。そんな益体もないことを思いながら、涼介はその男の尻にワセリンを馴染ませ手袋で覆った人差し指を挿入している。分別するよりも、益体のないことを思っている方が、息苦しさも薄れる状況だった。

 中里毅という黒のBNR32を操るドライバーと涼介は峠で二度会っている。一度目はまだ己も赤城山を本拠地として白のRX−7を疾駆させていた時分、走り屋として理念と感情の応酬をし、二度目は表舞台から退いたのち、走り屋チームである赤城レッドサンズの責任者として事務的なやり取りをした。そのいずれに際しても涼介が感じたのは、中里毅の風采に染み付いている泥臭さと、能天気な露骨さにそぐわぬ、せなにはびこる現実そのもののごとき徒労だった。独学の偏った運転技術を持ち、単身ゆえの視野の狭さを持ち、度々敗北の憂き目に遭い、それでも時間を費やしいくらかでも前へと進もうとする意志と情熱を持つ中里は、夢想的なようで、類ない現実的な男として、涼介の目に映った。
 その現実的な男と涼介は本日相手の地元で三度目の出会いを果たし、違和感を覚えた。
 容姿に変化はない。短めの黒髪の数本が硬そうな額に落ちていて、眉も目も鼻も唇も厚く、だが輪郭は鋭かった。墨を塗り込んだように黒いトレーナー、擦り切れの目立つジーンズ、染みのある白いスニーカーという風采は泥臭く、仕草はどこか間が抜けていて、背後に徒労を漂わせていた。だというのに、涼介はその男から現実を感じることに難儀した。過去とは違い、根底がすり替わったような不自然な浮つきと、盤石な余裕が醸し出されているその肉体は、夢想的なようで現実的なのではなく、現実的なようで夢想的だった。涼介は訝り、そして合点した。
 これは確かに、『別人みたい』で『気味が悪い』。
 涼介の弟である啓介が、妙義ナイトキッズの脱税まがいの不正を暴くと勇んで妙義山に行ったのは昨日のことだ。一個人の走行記録の捏造と脱税を比較するのは広義でも狭義でも違うように思えたが、堪忍袋の緒が切れた啓介を止める術がないことも理解していたので――厳密に言えばないわけではないが、それが実行されるのは生命を賭けねばならない場合のみだった――、涼介は黙って赤城山から弟の乗るイエローのFDを送り出した。
 妙義ナイトキッズは妙義山をホームとする同県内の走り屋チームであり、ソースが明らかな情報はほとんど出さず、ソース不明のウワサで野次馬を躍らせることを道楽としているような、妙な方向にヤンチャが過ぎるチームであった。そこに関するウワサは二週間ほど前から断続的に赤城山に顔を出す涼介の耳にも入っていたが、やれ派閥間で対立激化だ頂上決戦勃発だ反乱者粛清だ、具体性に欠けるものばかりで、九割九分は聞き流していた。しかし残りの一分、おそらくそれが九割方の流言の根っこにあるのだろう、一つのウワサについては注意を向けていた。
 妙義の中里がダウンヒルのコースレコードを更新、一日で六秒、二日で八秒、三日で十秒。
 四日目にそのウワサが赤城山に飛び込んできた時、即座に啓介は中里を改めることを主張した。非常識な数字はでっち上げと受け取るべきものだろうが、中里は車に真正直な馬鹿だし、普段からあんまりにも速くなりたいと思いすぎて、気が狂ったに違いない、どうせあそこの取り巻き連中はそんな中里も放置するばかりだろうから、常識を知っている自分たちが崖から落とすフリをするなりをして、目を覚まさせた方がいいんじゃないか。淡々と同情を含ませた主張をした啓介の、精神的な成長に涼介は感心したが、判断は保留した。外部の人間としてその真偽を確かめるべき緊急性は感じなかったし――数字は堂々と公開されたのではなく、あくまでウワサとして流れてきている――、一時気が狂ったにしても時間が経てば落ち着くこともあるだろうと考えた。そして妙義の中里についてしばらく様子を見ることを涼介は決め、啓介は不満タラタラだったが涼介の決定に従った。ウワサはウワサに過ぎなかったからだ。
 その日から、中里のコースレコード更新のウワサは上書きも訂正も行われず、その代わりナイトキッズで戦争が起こっただの中里がそれを制裁しただのという眉唾物の話が広まるようになった。十二日間そのような状況で、ついに啓介は溢れる情報のいくらかを信じたがゆえに苛立ちを爆発させた。妙義から流れてくるウワサの全体はデタラメであったが、細部だけ取り上げれば真実味があり、だからこそ人の心を揺さぶらせ、判断を曇らせるものだった。なまじ中里の頭の中身を同情していただけに、啓介はそんなおとぎ話を聞き流せなかったのだろう、ついに待機状態を独断で解除して、妙義山に向かった。先走ったその心模様を涼介は理解し、同時に潮時だとも感じていた。
 中里のコースレコード更新のウワサが訂正されないということは、それを妙義ナイトキッズも中里も事実と見なしているからだと考えられた。しかし三日のうちに十秒更新は非常識だ。あの地で行われた中里と啓介のヒルクライムバトルの際に啓介が残した記録も、コンディションの問題があったとはいえ中里のコースレコードに迫ったのみだった。それをたった三日で十秒も上回るなど、仮に車を乗り換えていたとしても信じがたい話である――大体が、中里が車を乗り換えたという情報は入っていない。
 そのような非常識な数字を暗黙のうちにでも中里側が正当なものとして認めているならば、その真偽は客観性をもって確かめられるべきだった。数字がウワサで流れ始めてから、たまさかの血の迷いなら我に返っている、気が狂ってるなら我に返りようもない、それだけの日数は経っていた。
 先走った弟を、涼介は信頼していた。語彙が足りなかったり論理性を無視したりするが、直感は鋭く真実を見抜く力を持っている。何より弟は、走りに関して中里の実力がどうなっているのか、正当な判断を下すに必要な経験も技術力も精神力も有していた。だから涼介は赤城山を飛び出していったFDを黙って見送ったのだ。啓介ならば具体的な確信を掴んで帰ってくるものと、涼介は確信していた。
 そして戻ってきた啓介は涼介一人を傍に置いて、戸惑いを見せながら、以下のことを語った。ナイトキッズが内部分裂したとかいう話は嘘らしく、中里が32でコースレコード更新とかいう話は本当らしかった。走りは確かに速くなっていた。しかし中里は手を抜いた。そのくらいは後ろを走られていても分かるから、何でそんな人をコケにするようなことをしたのか問いただそうとしても、宇宙人がどうのこうのとわけの分からないことをぐだぐだ言うだけだった。何だか段々変に思えてきて、煙草の箱を至近距離から不意打ちで投げてやったら、潰さず取ってしまった。何かが明らかにおかしかった。しかし、気が狂っているようにも見えなかった。
 ただ、
『何か、気味が悪くてよ。別人みてえで』
 声をするのも不快そうに、啓介はその言葉を発した。
 『別人みたい』――啓介がそう感じるのならばそうなのだろうと涼介は納得した。三日で十秒のコースレコード更新が事実だとして、それを叩き出した中里毅というドライバーが別人のようになっていても不思議ではない。記録自体が非合理なのだ。非合理なことが起こっていない方が不思議である。啓介の言葉を、感覚を、涼介は信じた。さりとて自分の目で見ないことには、変化を断定することもできない。中里が32に乗り続けながら突然そこまでの速さを得たのはなぜなのか、『気味が悪い』ほど『別人みたい』になったのはなぜなのか、一体中里というドライバーに、何が起こっているのか――問題を吟味する必要性と緊急性と個人的欲求を涼介はそこで感じ、今日、妙義山に乗り込んで、啓介と同じ感想を得た。なるほどその中里毅は確かに別人のようだった。夢想的なようで現実的なはずが、現実的なようで夢想的になっている。まったく気味が悪かった。
 しかし相手を遠ざけては実態の把握など不可能である。涼介は自分の感じる不快さは腹の奥底にしまい込み、なるべく紳士的に、今まで二度しか会っていない走り屋としての距離を適切に保ちつつ、しかし事態追究への意志は明示して、中里に接した。中里ははじめ警戒していたが、会話を交わすうちに涼介をそれなりに信頼できると判断したらしい。そうして涼介は中里の身に起きたことを、自室で聞く機会を得た。そこまでは想定内だった。いや、中里の語った珍奇な話にしても、想定内とは言えた。何が起きても不思議ではなかったのだ。全体像の知れない妙な夢を見た日に男相手に発情して女性役としてまたがって、その後秒単位で立て続けにコースレコードを更新して、三日に一度男にまたがらずにはいられなくなっていたとしても、不思議ではない。不思議ではないが、現実との隔たりが強い話の筋道を無理矢理立てようとするうちに、さすがに涼介も思考の停滞を実感した。そのせいか、あるいは話をする中里が夢想的な雰囲気を持ちながらも、以前二度会った時と同様の徒労と底の知れない前向きさを現実的に感じさせたせいかもしれない。涼介はいつの間にか中里に対し、走り屋としての適切な距離を保つことを忘れていた。これが離れていればまだ良かったが、踏み込んでしまっていた。意識を向けすぎた。
 相手に意識を向けすぎると、自分が向けた意識の分、相手からも意識を向けられることを期待してしまう。期待してしまうということは、裏切られた時に多少なりとも失望してしまうということだ。そして、涼介は知らなかった――他人から失望された時、中里毅という男がひどく狼狽し、それこそ我を失うということを。二度しか会っていないのだから個人の性格など把握できていないのが当然であるし、走り屋として接している限りでは問題も生まれない事柄のはずだった。だが、涼介は中里に、踏み込んでいた。踏み込んだ結果、こんなことになっている。中里は下半身裸のまま籐椅子に足を広げて腰掛けて、両腕で顔を隠し息をひそめ、自分の指はその中里の直腸を探っている。

 やはり、椅子が悪い。ここに中里が座り話したのが悪い。人をたぶらかして、判断を狂わせた、こんなものがあるからいけないのだ。
 責任転嫁の無意味さを涼介は理解している。理解しているからこそ、責任転嫁をする。無意味なことをしたい気分であった。意識は消滅する気配もなく、息苦しさはあるものの呼吸も拍動も維持されている。平常の範囲内だ。ただ、現状は、平常ではない。ああ、何で祖母は俺にこんなものを押し付けてくれたのか。あなたのご案内の通り、俺はまだ浮気には縁がない。しかしこの状況、浮気をするよりも健全だと言えるのだろうか。私生活で男の尻に指を入れて、勃起を促すなど、正常な人間のやることだろうか?
 中里の前立腺は正常なようだった。勃起もしている。勃起はしているが、射精はしていない。まだ三分経っていない。だが、もう少しだ。五分経てば結果が出る。結果が出れば検証できる。
 ――検証だって? 何の検証だ、精液栄養説の検証か? 馬鹿らしい、そんなものはファンタジーで、証明なんざ仕様がない。現実世界で起こりうるものじゃあないんだ。けれど俺の前にはそのファンタジーが存在している。そして俺はそのファンタジーの尻に指を入れて、射精を促している。ひどいファンタジーで、ひどい現実だ。
 涼介は勃起している中里の何の変哲もないペニスを見ながら、内心で溜め息を吐いた。やってられねえ。
 だが、ここで実験――勃起するか否か、射精するか否か、試している――を止めるのも責任の放棄だと感じられる。とりあえず五分やってみようと言ったのは涼介だ。三分では短すぎるし十分では長すぎる。感覚に過ぎなかったが、中里もそれを了承した。ただしその際の頷きようはとても投げやりだった。そこで、お前は自棄になっているからもう少し冷静になってから考えてみろ、とでも中里に忠言していれば事態はもう少し平常に動いたのかもしれないが、失望を抱いていた涼介こそが冷静ではなかったため、実験の準備は滞りなく行われた。中里は自分で服を脱ぎ、自分から籐椅子の上で股を開いた。その頃には涼介も冷静になり始めており、セーターの袖をまくり、籐椅子の前に座り込み中里の剥き出しの股間を見ると、『本当にいいのか』、と確認せざるを得なかった。こんなことを本当に、やるべきなのか。『さっさとやっちまえ』、しかし中里は涼介の逡巡を叩き斬るように、明言した。『できるかどうか、分かりゃいいんだ』。
 中里は勃起している。先走りも溢れている。勃起中枢に問題はないようだった。勃起はする。射精はしない。涼介は左手にはめている腕時計を見た。もうすぐ五分だ。五分乗り切れば、責任は果たせる。結果が出る。できるかどうかが分かるのだ。勃起はして、射精はしない。結果が出れば、検証ができる。
 だから何の検証だ、涼介は実際に溜め息を吐きそうになり、代わりに鼻から深く息を吐いた。おそらく今、溜め息を吐きたいのは中里の方だろうからだ。単なる県内の走り屋相手に、股を開いて尻をいじられ、勃起している。しかも自分の提案でだ。顔は腕で隠されていても、赤らんだ肌の一部は見える。同情する。欲情はしない。まったく、と涼介は思った。正常なことはどこにある。俺もこいつも狂ってるのか?
 息を吐き切った時、人差し指が水に中に溶け込んだような錯覚を涼介は感じた。そこは肉の塊のはずだった。随意筋と不随意筋が層を重ねているはずだった。尻の中はしかし、途端にあらゆる方向へも指を動かすことのできる、液体に満ちた空間になった。
 ――何だこれは?
 それは徐々に粘性を増していき、指を食うように絡みついてきた。時に硬くなり、時にざらつきを生み、時に滑らかに、時に優しく、丁寧に、乱暴に、肉が、波が、動く。咥え、捕まえ、呑み込み、締め付ける。人差し指は、それに食われようとしている。それは――これは一体、何だ?
「……高、橋」
 かすれた声が耳に飛び込んできて、涼介は顔を上げた。実験を始めてから中里が声を出したのは初めてだった。その声は、首筋に震えを呼ぶほど官能的で、その主を見ずにはいられなかった。中里はもう、顔を隠してはいなかった。露わな容貌は、今までと同じように泥臭いのに、今までとはまったく違い、蠱惑的だった。
 瞬間、血流が盛んになって、下腹部に強い熱と衝動が溜まるのを、涼介は驚きながらも納得して受け入れた。これは勃起せざるを得ない状況だ。脳の奥深くで熟睡していた欲情が、強引に引き出された。中里の存在が、それを引き出した。懊悩が浮いた顔、粗く粘った声、熱を持った体、明確な意思がせめぎ合っている姿態、漂う甘ったるいにおい。
「……やめろ、もう、いい」
 囁きに制止の効果はなく、熱を増すだけだ。涼介は唾を飲み込み、滞りたがる思考に鞭を打った。おそらく中里が『野郎にまたがる』時は、本人の意思に関わらず――やめろ、と今、忌避するように、中里は言った――、こうして男を魅惑してしまうのだろう。勃起は理不尽なほど強制的で、欲情は根深く頭と体を支配する。断る相手もそういまい。だが、まだ中里は欲求の生じるべき状態ではないはずだ。話では三日に一度のサイクルは保たれており、三日目は明後日で、先ほどまで中里の尻は普通の尻だった。それが、今は、涼介の人差し指を粘性のある液体が食らったまま、離そうともしない。
「やめたいんだが、抜けないんだ」
 震えが混じらないように、涼介は慎重に声を出した。既に五分は経っている。勃起はして、射精はしない、その結果は得られた。指を入れている必要はない。だが、指を抜けない。中里の尻が咥えて離さない。
「クソ、てめえ相手に、こんな……」
 中里は泣きそうな声を出す。それがまた腰の奥を刺激する。たまらない。涼介は頭を回転させ、理性の遁走を防ぐ。仮にここで中里に突っ込めば、体力を奪われる可能性が高い。明日は終日予定が入っている。倒れては厄介だ。それに何より、中里相手に挿入するのは、気が進まない。これ以上、進んではならないと感じる。中里は肉体で求め、精神で拒んでいる。その精神を、近いところに涼介は感じる。自分も肉体で求め、精神で拒んでいる。それがお互いの、走り屋でしかない関係性を保つために、必要なことだからだ。
「俺は、しねえよ」
「……あ?」
「俺はしない。だから、お前も離してくれ」
 顔を見ずに、涼介は言った。中里の顔を見れば、無駄に官能を得るだけだと分かっていた。人差し指を手袋越しに舐めるように動く肉がもたらす性的興奮で、既に痛いほどの勃起が生じている。このペニスを寛がせて今すぐそこに突っ込めば、よほど強い快感を得られるだろう。深く高い絶頂が全身を貫いて、肉体は歓喜に打ち震えるだろう。そう思える。 そう、思いたくはない。これ以上、進んではいけないのだ。だから思考を出張らせる。考えろ、何だ、何が三日に一度のサイクルを乱した。さっきまで通常だった尻をペニスを求める性器に変えたのは一体何だ。さっきまで――そう、さっきまで行われていたことだ。
 まだ人差し指を中里の尻に咥えられたまま、涼介は閃き、おののいた。さっきまで、中里を勃起させ、射精させようとしていた。つまり、性感を呼んでいた。
 呼ばれた性感が、この状態を呼んだのか。性感が呼ばれれば、食えるようになるのか。食おうとするのか。他人のペニスを、他人の精液を吸い上げようとするのか。だとすれば、これは、由々しき事態だ。中里に欲求が生じていない状態でも、『誰か』がその性感を呼べば、中里はただちにペニスを受け入れられるのだ。食らえるのだ。その『誰か』がペニスを受け入れる中里に執着し、幾度もそれを行えば、体力を奪い取られ続け、死への道を歩むことになるだろう。今の中里にそこまでの相手はいないようだが、このままの状態が続けば、その誰かが現れないとも限らない。中里の体はそこまで作り変えられている。より効率良く男のペニスを得られるよう、何者かが意図的に、肉感的なにおいを中里に発させている。
 ――何者か? いや、それは中里だ。他の誰でもない、中里毅という、妙義ナイトキッズの、BNR32のドライバーだ。夢想的なようで、現実的な男。
『何か、気味が悪くてよ。別人みてえで』
 それが、現実的なようで、夢想的な男に変じていた。そうだ、既に中里は変わっている。会話をしてみれば覚えた違和感は徐々に薄れていくが、それでも根底に存在する、雰囲気の変化。何かが中里を変えている。その何かは、中里ではない。その何かが、中里の体で、精液を欲している。
 ――寄生されてるのか?
 その寄生者は男のペニスを欲している。あるいは便宜的に考えれば、栄養に使えるものを、人間の精液を欲している。だから中里の体は三日に一度、野郎にまたがることを求める。それ以外でも性感を呼ばれれば挿入してもらえる態勢を取る。迅速に精液を得られるよう、相手の情欲をかき立てる力も使う。男のペニスを、精液を求めるからだ。その代わり、宿主の中里に尋常ではない身体能力の向上をもたらす。益々精液を求めるように、益々精液が貰えるように――それは、中里を、変えている。
 それはしかし、空想話だ。そんな寄生者など、この世に存在するわけがない。だが、実際中里の身には甚大な変化が起こっている。現実に、理不尽で非常識なファンタジーを上回られては、説明の仕様もない。考えても考えても、正確な答えには辿り着かない。寄生者は共生しながら宿主を死に至らしめることもある。広い可能性。中里は、誰かを死なすかもしれない。中里が、死ぬかもしれない。それは可能性だ。実際的な問題だ。どうにかしなければならないだろう。だが、俺に何ができるというんだ?
「……ふっ、う……」
 中里の息遣いが艶めかしい。勃起を煽られる。我慢にも限界というものがある。限界の向こう側を涼介は見ようとしていた。
「……んっ……」
 だが、中里が吐いた何十回目かの熱い溜め息ののち、不意に指を咥えている粘性物質の力が弱まった。瞬間思考を切り捨て、涼介は中里の尻から指を引きずり出した。成功した。見れば、指にはワセリンがついているだけだった。涼介は中里を見ずに立ち上がり、手袋を外し、ゴミ箱に捨てた。勃起は続いている。これ以上、中里を見ることはできない。中里に突っ込むことは最大限の努力を払ってでも、避けたい。中里の声を聞くこともできない。これ以上勃起を煽られても、どうしようもない。死にたくはないし、死なせたくもない。
「悪いな、中里。俺にはもう、どうしようもない」
 涼介は呟いて、中里に背を向けた。



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